ACT:2



「獅子王はどのような人物でした?」
テレストラートが部屋の入り口に立つと同時に、中から涼やかな声が唐突にかけられた。
暮れ始めた日の中で、その部屋の中は薄暗く
窓から差し込む弱い光りに、クッションを幾つも重ねた大きな椅子に
埋もれるようにして座る部屋の主は、白くぼんやりと浮かんで見えた。
脇に置かれた卓には、硝子の覆いのかかったランプが乗っているが
灯は灯されてはいない。
それはこの部屋を訪れる者の為の物で、部屋の主は明かりを必要としていない。
彼女は盲だった。

見た目は12,3の少女。
白い肌に癖の無い艶やかな長い白銀の髪。
オパールのように光りにより、その色を変える何色ともつかない不思議な瞳。
あどけないその見た目を裏切り、その齢は長老達と肩を並べると言われている。
生まれながらに、光りを捉える事の無い瞳で
未来を見る。
彼女はこの村で唯一の未来見の巫女だ。
ガーセンの王がこの村に訪れる事を、1ヶ月前に告げたのは彼女だった。

「恐ろしい方です。」
彼女の問いに答えてテレストラートは短く告げる。
「随分良い男だと聴いています。私も出来る事なら
1度、この目で見てみたいものですね。」
鈴を転がすような愛らしい声で、どこか楽しげに語られる言葉は
成熟した女の艶を含んでいて、そのアンバランスさが不思議な存在感を生んでいた。
「テレストラート、こちらへ。」
彼女は椅子にくつろいだ様子で腰掛けたまま、そっと右手を伸ばして招く。
テレストラートは呼ばれるままに近づいて、椅子のすぐ脇に跪いた。
巫女は自分を見上げるテレストラートの視線を、見えない瞳で真っ直ぐに捉える。
「真名をあの男に与えたのですね。」
「はい。」
「そこまでする必要がありましたか?」
「一族の立場を、確実にする為の保障です。
 それに私の命を契約で縛る事により、王の運命も何らかの影響を受けるはずです。
 この村の命運をガーセンと結びつける事で永らえられれば・・・。」
「ふむ・・・」
巫女はその盲た瞳で、何かを見通そうとするかのように
テレストラートの顔をジッとみつめてから、薄紅色の唇に淡い笑みを浮かべて言う。
「まあ、良い。お前の思うとおりにおやりなさい。」
その言葉に、しかしテレストラートはそれまで揺るがなかった瞳を微かに伏せる。
「リート様。私の選択は、本当に正しかったのでしょうか?」
それは、テレストラートがハシャイ王に真名を明かした事ではなく
村を外に向けて開いた事。

「この道は、村の滅びを早めてしまうのでは無いでしょうか?」
「可能性は否定できません。どんな可能性も。
 未来は動くもので、私がこの目で捕える事が出来るのはそのほんの1部。
 お前が選んだ道が正しいのか間違っているのかは、まだ決まってはいないのです。
今の私に分るのは、これから先、お前がこの村で再び暮らす事は無いと言う事。」

その言葉は以前にも聞かされていた。
それが自分の死を意味するのか
それとも、村の移転の成功を意味するのかは判らない。
リートの言葉はそこでは終わらず、流れるように静かに続く。

「そしてお前には外の世界で、出会わなければならない運命にある相手が
幾人か居ると言う事。」
「出会わなければならない相手・・・?」
「覚えておきなさい、長よ。
 全ては大きな流れの中のこと。どんな事が起きようとも、それは
決して誰か1人のせいでは無いのですよ。
テレストラート、お前はお前の思う道をいきなさい。
私はその道が正しい道で有る事を祈っています。」
テレストラートはもう一度視線を上げ、幼い姿の巫女を仰ぎ見た。
その瞳にはすでに迷いは見えなかった。




ガーセンがロサウの協力を取り付けた翌々日の早朝
ハシャイの一行と参戦を決めた村人54名はロサウの村を出立したが
彼らの足取りは遅々として進まなかった。

山道は険しく、馬を乗り入れる事が不可能な為
ハシャイたちは必要な荷を、山牛に積んで引き
険しい斜面を切り開き自らの足で登って村へ来た。
人数を増しての復路は、急な斜面に気を遣わなければならないとは言っても、下り道
そして1度通った道のりという事も有り、村で予想以上の時間を割かれた分
兵達は、先を急ぎ山道を下った。
しかし、思わぬ重荷がガーセンの兵達にのしかかった。
行動を共にする事になった村人達だ。

山中で生活をし、山道にも慣れていると思われた村人たちだったが
村に閉じこもり、遠くに出る事の無い彼らは、恐ろしく体力がなかった。

まともに進めたのは初日の半日ほどで、その後はへたり込む者や
過って足を滑らせる者が続出し、軽い怪我人まで出た。
やむなく、山牛に積んだ荷を兵達が手分けして担ぎ
村人を山牛に交代で乗せて運んだが、全員を乗せられる程の牛が居るわけも無く
道行は難航した。
イオクに対抗する力を持つ存在として、王自らが足を運び
助力を請うた相手だったが
数日にわたり無為な時間を過ごさせられた上のこの体たらくに
兵達の間にも、静かに不満が広がって行く。
王の手前、口に出して言う者は殆どいなかったが
大方の兵達の村人に対する認識は『役立たずの厄介者』だった。

そんな中、自分の足でまともに進んでいるのは
一番体力の無さそうに見えて妙に頑健な長老達と
幼い長だけだった。

長老の中には、何年生きているのかも分からないような枯れ枝のような老人も居る。
そんな老人が妙に生き生きと、陽気に動き回っている様子も
反感を持つ兵士たちから見れば、気味が悪かったし
まだ幼いと言っても良いような子供の姿で
子供らしさの全く窺えない人形のように無表情な村長も
厄介者の村人達より更に奇異の目で見られていた。
それは村長の姿にも起因していた。

「何熱心に見てるんだ?」
険しい道を、危うげの無い足取りで歩きながら
何かを気にするように遠くを窺っている様子のジーグの視線の先を追い
ロトは笑いを含んだ声でからかう様に言う。
「ああ、テレストラート様か。
綺麗な子だよね。変わった毛色だけど。気になる?」
「気に入らねぇ。」
親友の言葉にジーグは不機嫌そうに眉をしかめ、苛立たしげに漏らす。
「あいつ、不自然だ。」

睨み付けるような視線の先で村長はハシャイ王の側近くで静かに足を進めている。

始めて目にした薄暗い部屋の中では、褐色だと思っていた髪は
太陽の下で見ると、炭のような漆黒で
その瞳は見たことも無いような蒼だ。
幼い長はいつ見ても、まるで棒でも入っているかのように背筋をしゃんと伸ばし
少女めいた優しげな顔に、なんの感情も浮かべず、流れるような隙のない動作で動く。
なまじ造作が整っているだけに、まるで人形のように無機質に見えた。
その言動や立ち居振る舞いにも、まったく幼さが無く
見た目の幼さとの相違が、年齢の分らない気味の悪さを生み
その稀有な色の姿とも相まって、まるで人では無いもののような印象を周囲に与える。
厄介者の村人達のなかで、誰より敬遠されているのがこの長だった。
だが、ジーグの苛立ちは、それとは少しズレた所に向けられているらしい。

「ガキのくせに澄ましやがって。気にいらねぇ。
 何、あんなにしゃちほこばってやがるんだ?ガキはガキらしくしてやがれ!」
村人を意味も無く敵視したり、恐れたりするよりはマシだが
あまりにも低レベルの物言いに、ロトは呆れを通り越して笑ってしまう。
「そんな事言っても、仕方がないだろう?
 彼はあれでも、村の長なんだ。立場も責任も有る。
その辺の無邪気な子供と一緒って訳にはいかないだろう?」
「だからって表情まで固めちまう必要が有るのか?何だ、あの面みたいな無表情は。
 あいつには感情が無いのか?」
「気が張ってるんじゃないの?まだ、子供なんだし。戦に行くんだから。」
「だったらもっと子供らしい反応をしろよ!あれが子供の反応か!」
どうやら、何もかもが気に入らないらしい。
ジーグは割りとあっさりした性格で、好き嫌いはハッキリしているが
嫌いなものは切り捨て、後は気にも留めないのが常の反応で
こんな風に拘るのは、珍しい事だった。
一体村長の何がそんなにジーグの癪に障ったものか。
苛々と機嫌の悪い親友に、ロトは仕方が無いなとひっそりと溜息をつき
ジーグの気が逸れるまで、放置しておく事にした。



行軍の後方が何やら騒がしくなり、隊の中ほどに居る王の元へ1人の若い兵士が
進行を止めて欲しいとの言葉を伝えに走って来る。
「どうした?」
「村人の1人が足を踏み外して怪我をしたようなのですが・・・。」
「酷いのか?」
「いえ、ですが・・・。」
問いただすセント将軍の言葉に、兵士の返事ははっきりとせず
痺れを切らしたハシャイが隊に待機を命じて、様子を見に走る。
テレストラートもそれに続いた。

そこには小さな人垣が出来ており、その中心に金髪の幼い顔の若者が膝を抱え
泣きそうな顔で座り込んでいる。
すぐ前には軍医のケイルが静かに話しかけているが
少年は拒むように首を振り、ケイルから少しでも離れようとするかのように
その場で身を縮めていた。
「カナト。」
「テレストラート様・・・。」
人垣を抜け、テレストラートが少年に声をかけると
少年は縋るような表情で顔を上げ、今にも泣き出しそうに顔を歪めた。
「どうしました?」
テレストラートと同じか、少し年上ぐらいに見える少年の直ぐ傍に膝をつき
状況を尋ねると、傍らの医師が困ったように説明する。
「兵士の上げた連絡用の笛の音に驚いて、そこから足を滑らせたんだ。
 足をくじいているようなんだが、怯えていてどうしても診せてくれない。」
「すみません、私たちには人に肌を曝す習慣が無いのです。」
説明するテレストラートの言葉に
脇で聞いていたハシャイが言葉を挟む。
「別に素っ裸になれって言ってる訳じゃねぇぞ。」
乱暴なハシャイの物言いに、カナトが怯えるように身を竦め
ケイルが責めるように王を睨みつける。
「ハシャイさま、余計な口は挟まないで下さい。
 貴方が居ると、状況が混乱する。邪魔じゃま」
王に対してずけずけと苦言を言い、煩そうに手で追い払う仕草をする医師に
ハシャイは怒るでもなく、肩を竦めて口を閉ざす。
「カナト、彼はガーセンの癒し手、ヒーラーと同じです。足を彼に見せて下さい。」
「ヒーラーは治療で体に触れたりしません・・・。」
宥めるテレストラートの言葉にも、カナトは頑なに首を振る。
「触れないから、とにかく足の状態を見せてくれないか?」
ケイルが忍耐強くカナトに話しかけるが、カナトは人の目が気になるのか
自分を取り囲む人垣を恐ろしそうに見回している。
「お前たち、ここは良いから散ってくれ。」
ケイルの言葉に取り囲んでいた兵達がその場を離れはじめる。
ケイルは傍らのハシャイにもチラリと視線を向けたが
その場を動こうとしない王に、諦めたように溜息をつき視線をカナトに戻した。
「さあ、大丈夫だから診せて。早く処置をしないと。痛むんだろう?」
優しく声をかけられて、カナトは伺うようにテレストラートに視線を向ける。
長が促すように頷くのを目にすると、諦めたように自らの右足に手を伸ばした。
「・・・・・いたっ・・・。」
だが、酷く痛むらしく自分でブーツを足から引き抜く事が出来ない。
「剣で切り開いちまえば良い。」
助言のつもりでいっただろうハシャイの言葉にも、怯えたカナトは身を震わす。
「ハシャイさま。」
『黙っていろ』と言わんばかりに冷たく名を呼ばれて、ハシャイは小さく舌打ちする。
カナトは何とかこの状況から逃れたいと、自分のブーツを脱ごうとするのだが
混乱しているのか、痛みの為か
わたわたと手が無意味に動くだけで、作業は進まない。
嗚咽を漏らし始めたカナトを見かねて、テレストラートが彼を止めた。
「カナト、もう良いです。良いですから、動かないで。」
カナトを落ち着かせると、彼の右足の上に両手をかざす。
「テレストラート様・・・。」
「大丈夫。これくらいなら問題有りません。黙って。」
不安げな声を漏らすカナトに穏やかな言葉で制し
テレストラートは目を閉じると、静かに言葉を紡ぎ始めた。
青い光りが、テレストラートの手から零れ
カナトの足首に生き物のように巻きつくのが見えた気がした。
光りは瞬く間に消え去り、テレストラートの吐き出した深い息が
食い入るように注視していたハシャイとケイルの呪縛を解く。
「立てますか?」
テレストラートの言葉に、カナトはぎこちなく立ち上がり
恐る恐る右足を踏みしめる。
カナトの顔にはにかんだような笑顔が浮かび、嬉しそうにテレストラートを見た。
「ありがとうございます。」
「一体、どうなっている?」
「もう大丈夫です。治りました。」
「馬鹿な、痛みを抑えて無理に動かしては、反って悪化させてしまう。
 ちゃんと診せてみろ。」
治ったと主張するカナトに、しかしケイルは医者として納得出来ない。
困った様子のカナトに、テレストラートが静かに命じる。
「カナト、先生に足を見せて。」
「でも・・・テレストラートさま・・・。」
「ここは村では無いのですから、外界のやり方に慣れてもらわなければ困ります。」
カナトは気の進まない様子でもう一度腰を下ろすと、ブーツの紐を解き、引き抜く。
現れた華奢な足には、繊細な刺青が刻まれていた。
カナトはそれを隠すように手で覆ったが、垣間見える足首には腫れも、鬱血も無かった。
「本当に・・・治したのか?」
ケイルは呆然と呟き、思わず手を伸ばしカナトに身を引かれ我に返る。
「もう、良いですか?」
「ああ、悪かったね。良いよ、ありがとう。」
驚きの隠せない様子のケイルの横で、ハシャイは面白そうに呟く。
「怪我も治せるのか?」
「小さなものでしたら。」
「便利だな。二日酔いも治せるか?」
身を乗り出して聞いてくるハシャイに、本気なのか冗談なのか計りかねて
テレストラートは戸惑い、言葉に詰まる。
テレストラートを助けるかの様に、ケイルが横から言葉を挟む。
「二日酔いなら術師殿に頼らなくても、良き効く薬が有るぞ。」
途端にハシャイは苦い物を飲み込んだかのように渋面を作る。
「要らん。お前の薬は苦すぎる。
 あんな物を呑むぐらいだったら、二日酔いの方がまだマシだ。」
「酒を控えると言う発想は出てこないのか?お前のようなウワバミが国王では
国庫が危うい。」
「ぬかせ、このザル男が。お前の様に酒が体を素通りする男に言われたくは無いわ!」
「失礼な事を言うな、私はちゃんと酒を味わっている。
お前の様に勢い付けの為に用いている男に言われる筋合いは無い。」
突然頭上で始まった言い争いに、テレストラートは目を瞬き2人を交互に見やる。
互いをけなし合ってはいるが、何処と無く楽しそうに見えるので
おそらくこれは彼らなりの親愛の表現なのだろうと理解しておく事にした。

next coming soon!

(2008.04.16)
一言でもご感想頂けると嬉しいです!! →     web拍手 or メールフォーム           
前へ。  作品目次へ。  次へ。