ACT:3



「あいつ、何かおかしくないか?」

ジーグの呟きに、ロトは彼の視線を追い
目にしたものに、呆れたような溜息と共に言葉を吐き出した。
「またテレストラート様か?見ててイラつくのなら気にしなきゃいいだろ?」
一体何が気に入らないのか、このロトの乳兄弟は
山奥の村を出てからこちら、幼い村長を目にしては愚痴をこぼしていた。
その内容は『敵意』と言えるほどでも無く
子供の言いがかりめいた低レベルのものだったが
他人に対して、始めて見せるそんなジーグのそんな態度に
ロトは意外に思いつつも半ば呆れていた。
しかし、今回のそれは何時もの愚痴とは違うらしい。

「違う。そうじゃなくて、歩き方が変だろう。」
「ん?」
ジーグの真面目な声に響きに、ロトはもう一度
人々の中をゆっくりと横切ってゆく術師の長に目をやった。
「別に、何も・・・」
堅苦しい程に背筋を伸ばして歩く姿は、いつもと何ら代わりが無い。
無表情もいつもの通りで、カラクリ人形の様に規則的な歩調で歩いて行く。
しかし、ジーグは何かが気にかかるらしい。
「ちょっと・・・行ってくる。こいつを頼む。」
「あっ・・・おい、ジーグ。」
一方的に言うと、ジーグは手にしていた山牛の手綱をロトに押し付け
夜営の準備にざわめく陣の中を、足早に横切って行く。
「もしかして・・・牛の世話、押し付けられた?」
人ごみに紛れる後ろ姿を見送りながら、ロトはぼんやりと呟いた。

人々の間に見え隠れする、黒髪の後姿をジーグは見失わないように注意しながら
一定の距離を保ってつけていった。
野営の準備で忙しい兵達は、村長が通り過ぎるのに気付き
軽い会釈ぐらいはするものの、特にその行き先に気を留めるものはいないようだ。
テレストラートは誰に注意を払われるでもなく、陣営の外れへと足を運び
人目を避けるように、森の中に踏み入って行く。

「何をこそこそ、やって居やがるんだ?」
ジーグもそのまま、気配を消して森の中に踏み込み
木々の間を進んでゆく、テレストラートを尾行していった。
そのままゆっくりとした足取りで、数分進むと
岩場から流れ出す小さな清水の流れに出た。
テレストラートはそこで立ち止まると、様子を伺うように辺りを見回す。
ジーグは慌てて、近くの大木の陰に身を潜めた。
『・・・何やってるんだ、俺は。隠れる必要なんか無いのに。』
まるで後ろめたい事をしているかのように隠れてしまった、自分の反応に苛立ち
それでも、そっと様子を伺うように大木の陰からテレストラートを覗き見る。
テレストラートは背をこちらに向けて立っており
その背中が、溜息をつくように大きく揺れて
両肩から力が抜けるように、僅かに下がる。
そしてその水辺にゆっくりとかがみ込んだ。


木々の間から差し込む、僅かな夕方の光りを弾きながら
静かに流れてゆく清廉な流れの側に座り込むと
テレストラートはブーツを足から引き抜き
ズキズキと痛む足を冷たい流れにそっと浸した。
村を出てよりの僅か数日の道程で、行動を共にした村人達は
テレストラートが思った以上に疲弊していた。
彼らは体力が無く、排他的で、ガーセンの人々とも上手く馴染めていない。
疲弊した神経が思わぬ事故を呼び、文化の違いが軋轢を生む
村人達はガーセンの兵達に大きな負担をかけ
村人の多くは下山を果す前に、村を出た事を後悔し始めている。
ガーセンの人々と村人たちの間の橋渡しを、自分がしなければならないのに
誰よりもテレストラート自信がガーセンの人々に倦敬遠されていて
不甲斐なさに情けなくなる。
自分がしっかりしなければ、駄目なのに・・・
体の創りが柔なのはテレストラートも同じで、履きなれないブーツに村を出て2日目には
足はひり付く痛みを訴え始めた。
今ではその痛みは、歩くたびに刺す様だったが
せめて自分だけは揺るがずに・・・とその意地だけで隠し通していた。
実際、大した怪我では無い。
しかし水は、痛めた足に酷く沁みて、テレストラートは思わず首をすくめる。
ヒリヒリとした痛みが引くのを待ち、そっと息を吐き出した。

「怪我をしたのか?」
突然、すぐ後ろから掛けられた声に、テレストラートは文字通り飛び上がり
とっさに立ち上がった拍子に、思わず痛めた足で砂利を踏みつけ、顔を顰めた。
「見せてみろ。」
振り返った先には、1人の若い兵士が見下ろしている。
村に来たガーセンの兵士の1人だ。
テレストラートはその姿を、何度か見た記憶が有ったが
言葉を交わした事は一度もない。
背が高く、立派な体躯で精悍な顔立ちの青年だが
恐らくまだ20歳を越えてはいないだろう。

何故、彼が突然こんな所に現れたのだろうかと
混乱した頭で考えていると、歩み寄った青年が
怪訝そうに眉を寄せテレストラートを急かす。
「どうした?そこに座れ。」
「いえ・・・あの、大丈夫です。大した事、ありませんから・・・。」
「いいから、見せろ!」
言葉を濁し、その場を取り繕おうとしたテレストラートを青年は
いきなり大声で怒鳴りつけた。
青年の予想外の反応に、テレストラートは驚いて目を見開く。
「早く、そこに座れ。」
「は・・・い。」
強い口調に押されるように、テレストラートは青年の言葉に従い川縁りに腰を下ろした。
青年はテレストラートの前に膝を付くと、無造作に足を掴んで持ち上げ
一瞥して眉をしかめた。
「靴擦れか。酷いな。」

テレストラートの足は薄暗くなり始めた森の中で、妙に白く感じられた。
まだ小さく、柔らかな肌は靴で擦れて赤く腫れ、水ぶくれが潰れて血が滲んでいた。
何箇所かは皮が捲れてしまっている。

ジーグは子供の頃から怪我と無縁で生きてきた訳では無いし
酷い傷を負った人間も数多く見てきたが
こう言った類の傷は身近で、妙に生々しく、視覚的に酷く痛そうだった。
実際に、結構痛むはずだ。
それを、きちんとした手当てもせずに放置し、隠すようにしていた事に
苛立ちを覚える。
「何でこんなになるまで、放っておいた?」
自然、声の調子はきつくなったが、抑えようとは思わなかった。
人間らしい感情を見せる事のないこの少年に
自分がいくら苦言を口にしたところで
心を動かされる事も無いだろうと思ったせいも有る。
その事実がまた、癪に障って
ジーグは殆んど叱り付ける様に言葉を吐き出した。
「これでは、何か有った時にまともに走る事も出来ないだろう。
 無理をすれば後でツケが来る。
下らない意地を張っていては、かえって周りに迷惑をかける事になるんだぞ。」

頭ごなしに発せられる、男の強い口調の乱暴な言葉に
テレストラートは戸惑ったが、その言葉はいちいち正しくて
反論の仕様がない。

ジーグの強い声に身をすくめるように、テレストラートの躯が強張ったのが
足首を掴むジーグの手に伝わってきたが、返った反応はそれだけだった。
少しぐらいは応えたか
それとも怒りをかっただろうか
それならば、それで良いのだが
見下ろしているのは、どうせ作り物のような無表情だろう。
そう、半ば予想してそれでも確かめるように視線を上げ
見下ろす蒼い視線を捕えた。
予想とは異なり、その蒼い瞳は驚きを表すように大きく見開かれており
ジーグが目を上げた瞬間、脅えるようにビクリッと震え
まるで、逃れるように目を伏せた。

『な・・・んだよ、それ・・・。』
途端に自分が、まるで弱い者虐めをしているような気分になり
ジーグは不機嫌に眉を寄せる。
「大体、自分で治せるんだろう?このぐらいの傷。」
ジーグの言葉に、テレストラートは目を合わせないまま、小さく首を横に振る。
「けど、お前、この間、仲間の怪我を。」
確認するように言った言葉に、テレストラートが驚いたような顔で視線を上げる。
あの時、ジーグはそこに居なかったハズだとでも思っているのだろう
だが、こんな小さな隊の中で起こったことは
どんな事でも秘密でも何でもない。まして、あんな特異な事は。
テレストラートも直ぐにその事に思い当たったのだろう、小さく息を吐き
どこか申しわけ無さそうに口を開く。
「ヒールは・・・あの術は、自分自身には使えません。」
「なら、他の人間に掛けてもらえ。」
「あの術は、特殊で・・・術を行なう者に負担をかけます。
 今は・・・皆、疲れていますから・・・。」
「お前はやっただろう?」
「私は・・・私の力は、誰よりも強い。」
「お前のこの足の状態は、誰よりも悪い。」
「・・・・・。」
テレストラートは唇を噛み、俯いてしまう。
今までこの少年を見ていて、無表情で無感情で
大人のような口を利く生意気で、可愛げの無い、不自然なガキだと思っていた。
それが何故か妙に気になり、癪に障った。
しかし直に接してみれば、何の事は無い。
こいつは、ただの意地っ張りなガキなんだ。
不思議な力を持つ謎の一族の長と言う肩書きに、どうやら自分も惑わされていたらしい。
「まったく・・・。お前は人に頼る事をしらないのか?」
ジーグは自分に対する呆れ半分、目の前の幼い長への呆れ半分の溜息と共に
忌々しげに言葉を吐き出した。
「周りもまわりだ。力が強いか何か知らないが
こんなガキに責任を押し付けて、お前に頼りすぎなんだよ。
あんだけ大勢大人が周りに居ながら
誰もお前の歩き方がおかしい事に気付かないなんて。」
その言葉に、テレストラートが驚いてジーグに目をやる。
自分は足の事を、必死に隠していた筈だった。
実際、誰にも気付かれてはいなかったのに
この男はそれに気付いたと言うのだろうか?
何故?

疑問を口にする前に、ジーグがベルトに吊るした小袋から陶器らしき小瓶を2つ取り出し
蓋を開けて、地面に並べて置いた。
「とにかく手当てしないと。」
言ってテレストラートの足を清水で洗い、取り出した瓶の1つを手に取る。
「少し沁みるぞ。」
その言葉にテレストラートの両手が身構えるように、ギュッと服の端を握り締める。
ジーグは手にした瓶の中身――恐らく酒だろう――をテレストラートの足に無造作に振りかけ
次いでベルトに仕込んだ小刀を抜き取ると、それにも同じように瓶の液体をかけた。
それでテレストラートの足のまだ潰れていなかった水ぶくれを潰し
めくれてしまった皮を取り除く。
両足共にそれを行なうと、最後にもう1つの瓶から取り出した軟膏を
足全体に慎重な手つきで塗った。
ヒリヒリとした痛みを訴えていた足を、ひんやりとした冷たさが包む。
「これで終りだ。」
言いながらジーグは取り出した布で、テレストラートの足を丁寧に巻いていった。
それから地面に放り出して有ったブーツを手に取り、しげしげと眺める。
「これ、お前には大きすぎるんじゃないのか?」
村を出る時にテレストラートに与えられたその新しいブーツは
確かに彼の足に合う大きさではなかった。
「村には・・・余分な物資は無いので
成長途上の者は間に合わせの靴を使っているんです。
それは、村を出る時に・・・村の人達が用意してくれた物で、まだ、新しいのですよ。」
村人を擁護するかのように言う言葉に、ジーグは小さく息を吐く。
隠れるように外界との接触を断って暮らす彼らにとって
子供用に作られた靴などは贅沢な物なのだろう。
戦に出る者たちに、新しい靴を履かせて出すのがせめてものはなむけか
たとえ、それがサイズが合っていなくても。
けれど、新しい皮が大きさの合わない足には尚の事、馴染まなかったようだ。
ジーグはしばらくその靴を眺めていたが
おもむろに自分の服の裾を切り、小刀で裂くとブーツの中に詰め始めた。
呆気に取られるテレストラートに、そのブーツを履かせ
きつくないか、無駄に足が動かないかを確認して詰め物を調節し
さらに動かないようにブーツの上から紐を巻きつけ、足にしっかりと固定してしまった。
「どうだ?」
ジーグはテレストラートを立たせて、少し歩かせ状態を確認する。
「とても、良いです。」
柔らかな詰め物のせいで、靴の中で足が無駄に動く事がなくなり
足に結び付けられたブーツは安心感が有った。
治療を施され、厚く巻かれた布がフワフワと足を包み込み
酷かった痛みもとても楽になっていた。
「きつくはないか?」
「はい。あの・・・」
応えてから、テレストラートは自分が混乱して
この兵に一度も礼を言っていなかった事に気付き
慌てて礼の言葉を述べようとして、彼の言葉に遮られた。
「明日はお前も牛に乗れよ。」
「えっ?・・・いえ、でも・・・。」
「こんな足でまともに歩けるかよ。
これ以上酷くなったら、誰かが担いで行かなければならなくなるだろう?
お前が言えないなら、俺が直にハシャイ様に掛け合ってやる。」
テレストラートは慌てて首を横に振る。
「わかった。ちゃんと乗れよ。誤魔化せると思うな、ちゃんと見てるからな。
それから、明日も夕食前に俺のところに来い。
薬を代えてやるから。」
「いえ、自分で出来ますから・・・。」
「信用できない。お前が自分の面倒を疎かにする奴だと言う事は、良くわかった。
 俺が嫌なら、ケイル先生に頼んでもいいが。
 お前、隠しておきたいんだろ?その足の事。」
「・・・・・。」
「そんなことぐらい、別に弱みにもならないと思うが、隠したいなら、まあ良い。
 分ったな?返事は!」
「は・・・い。」
「よし。」
ジーグの勢いに気おされて、テレストラートは思わず諾と返事をしてしまった。
そんなテレストラートに満足そうに頷くと
始終険しかった顔に、一瞬、笑みを浮かべて、右手を伸ばし
呆気にとられるテレストラートが避ける暇もなく、頭をぐしゃりと乱暴に撫で
「絶対だぞ。」と念押しして、そのまま歩み去った。

テレストラートはただ、呆然とその姿を見送った。
子供のように、叱られたのも、心配されたのも、人に頼れと言われたのも
初めてで、テレストラートは戸惑っていた。
まるで小さな子供のように。

頭を、大きな手で撫でられる事も。


next coming soon!

(2008.05.05)
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