ACT:1



その、さして広くない部屋の中には、圧迫感を覚える程の数の人間がおり
室内は互いに囁きを交し合う、密やかな
もしくは明らかに不満げな声音が重なり合い、漣のように空気が揺れている。

部屋の奥には、この小さな村を代表する13人に老人たちが
穏やかながら、掴み所の無い浮世離れした雰囲気を湛えて座り
小さな卓を挟んだこちら側には、先の戦いで急逝したハイン王の第3子であり
その地位を引き継いだばかりの、歳若いガーセンの王が座している。
その背後は、物々しい鎧に身を包み武器を携えた武将たちが
その威を示すように立ち、出口までの少ない空間を埋め尽くしている。

ガーセンの王都フロスがイオクによる急襲を受けてより一月。
王位を継いだハシャイは僅かな数の兵達と共に、密かにガーセン領土を西に移動し
リスリ山脈の端に位置する名も無い山の奥深く、ひっそりと佇む小さな村を訪れた。
この村に外界との接触を一切断って、ひっそりと暮らすロサウの一族に
戦への助力を請う為だ。

王都を占拠されると言う屈辱的な事態に、諸侯に軍を募り直ちにイオクを叩く事をせずに
ハシャイ王が辺境に隠れ住むこの一族を尋ねることを疑問に思う声も多かった。
イオクの軍勢の数は、ガーセンに比べれば僅か。
相手を侮り、不意を衝かれての失態を力づくで取り戻し
イオクを一気に潰してしまおうとの意見は、常識的な見解とも言えた。
しかし、ガーセンが王都を失ったのは、相手を侮ったからでも
不意を衝かれたからでも無かった。
フロスより生き残った人々が目にしたものは
人ならざる動きを見せる兵士たちと異形の術。

この一月の間に、イオク軍はフロスを拠点にジワジワとその勢力を広げ
イオクの異様な軍勢の噂は、大陸中に知れ渡る所となっていた。
フロスが1夜にして落ちたため、援軍を出す事も出来なかった諸侯たちのなか
フロスを逃れた王家の元に直ちに馳せ参じる程の忠誠心を見せたのは
ほんの一部の者に過ぎない。

ガーセンは国が広大なため、国を幾つもの領地に分け、領主を置き
その統治を任せている。
王家から爵位と領地を与えられた領主たちは、表立って王家に忠誠を誓ってはいるものの
第一に思うのは領民と自分の地位であり
中には機さえ有れば独立を目論んでいるものや、王家転覆を狙っているものもいる。
そうで無くても、領地と地位が守られれば頭首がかわろうが
構わないと思っている者も多く
風を読み違い沈み行く舟に巻き込まれて転覆しないよう
静観の構えを見せ、事の成り行きを慎重に伺っているものが殆どだった。

長い平和な時代は、国の結束を緩め初めていた。

王家がイオクに対抗できる確固たる手段を持たなければ
諸侯は掌を返し、刃を向ける事も考えられる。
王家に必要なものは、国を纏め上げるだけの強烈なカリスマ性と
切り札になりうる確固たる『武器』だった。

だが、その『武器』たりえる、と王の考える片田舎にひっそりと暮らす牧歌的な一族は
外の世界の時の流れなど、気にもしていないかのように
のらりくらりと言を左右に対応を決めず、なんの答えも出ないまま
ガーセンの王はこの村で5日の時を過ごしている。

「まったく・・・ふざけやがって。何様のつもりだ?
 呪い師だか何だか知らないが、なんだってハシャイ様は
こんな使えそうもない奴らにこだわってらっしゃるんだ?」
ずらりと並んだガーセンの戦士たちの最後列。
壁際の狭いスペースに窮屈そうに立つ若い士官士が
イライラと握り締めた拳で剣の柄を叩きながら、それでも声を潜めて不満を吐き出す。
村の代表者との会談の3日目、結論を先延ばしにする悠長な態度に苛立ち
声を上げたため、父親であるラセス将軍にその場から摘み出され
翌日の会談に立ち会う事を禁じられてから、流石に態度には気をつけているらしい。
それでも、会談初日から一向に進まない話し合いと村人の態度に
ジーグは苛立ちを隠せないでいた。

のんびりと茶をすすりながら、堂々巡りの話をしている今、この時も
王都に土足で踏み込んだ、憎っきイオクの奴らは
我が物顔でフロスを歩き回っていると思うと、はらわたが煮えくり返る想いがする。

なのに、この村の人間は平和そうな顔をして
たった一つの決断を、いつまでたっても下さない。
大体、調子が狂うのだ。
この村の奴らは、どいつも皆ひょろりと青白く
ズルズルとした服を着て、男か女かも良く分からない。
興味深そうにこちらを伺っているくせに、遠巻きにして近づいてはこないし
目が会うと逃げ出す。
まるで野生のウサギみたいだ。
こんな臆病で弱々しい奴らが、一体戦場で何の役に立つというのだろう。

それは、ジーグだけではなく王に付き従うもの達の多くの疑問でも有った。
カタカタと剣を鳴らすジーグの拳を、そっと手で制しながら
穏やかにジーグの副官がたしなめる。
「イオクの奴らの戦いぶりは見ただろ。
 あんな奴ら相手に、まともな戦い方が通じるわけが無い。」
親友の言葉にジーグは不満げに言い放つ。
「そんな事無い。ただ死なないだけだろう?
 剣でぶった切って、動けなくしちまえば同じじゃないか。」
「その剣をボロボロにされて、どうやって斬る?お前の剣も折れたじゃないか。」
あえて無視していた事実を指摘されて、ジーグは面白くなさそうにそっぽを向く。
「大体、鎧を着けてる人間の体をバラバラに叩ききるなんて、誰もが出来る芸当じゃない。
 皆がみな、お前や将軍たちと同じように戦える訳じゃないんだ。」
「おまえだって、同じように戦えるじゃないか、ロト。」
ジーグの小さな呟きに、ロトは困ったような笑みを優しげな顔に浮かべた。
ガーセンの男は皆、勇猛で優れた戦士だ。
だが、誰もが体躯や剣の才能に恵まれている訳ではない。
戦闘能力が高い集団でも、個々の能力には当然差があり、弱い者もいる。
それには努力でどうにか出来ない限界が有る事も、頭ではわかっているが
若く能力に恵まれたジーグには、ガーセンが敵に戦力で劣り
他者の助力を請わなければならない状況が歯痒く感じられるのだ。

「大体、どうしても必要だって言うなら、首に縄でもかけて引きずり出せばいい。」
日も傾き始め、今日もそれまでと同じように大きな進展を見ないまま
話し合いが終結を見る頃合かと思われる時間になった頃
村の代表の間から、1人の人物が立ち上がり、ざわめく部屋の中にでもはっきりと聞き取れる良く通る声で発言をした。

「私は、ガーセンの王に協力しようと思います。」
この5日間、村の人間から返される事の一度もなかった
はっきりとした意思表示に、部屋の中のざわめきが、潮が引くように引いて行く。
発言をしたのは老人たちの間に立ち上がった、少年で
自分に部屋中の視線が集まる中、臆する事も無く
人形のように無表情な顔を、目の前に座るハシャイ王1人に据えている。
色が白く、柔らかな頬のラインに暗い色の髪がかかり
真っ直ぐな瞳は大きく、まるで少女のような優しげで整った顔立ちは
その無表情のせいで、作り物めいた無機質な冷たさを漂わせていた。
その10をいくつか越えたぐらいにしか見えない、幼い少年がその部屋に居る事に
ジーグはその時初めて気付いた。

「誰だ、あれは。」
「ああ、この村の長だよ。」
「長!?あれがか?ガキじゃねぇか。」
ロトの言葉に、ジーグは驚いて思わず呻く。
並んで座る老人達のうちの誰かが、村長なのだとてっきり思い込んでいた。
老人達の間に立つ姿は、どこからどう見てもまだ子供だ
もしその存在にジーグがもっと前に気付いていたとしても
長老付きの小姓ぐらいにしか思わなかったろう。
この村の長は世襲制なのだろうか?
しかし、続くロトの言葉がそれを否定する。
「ただの子供じゃないよ。この村では能力の1番高いものが長になるのが決まりだそうだ。
つまり、この村1番の実力者って訳。」
「何でそんな事をお前が知っているんだ?」
「この村に来て、何日目だと思ってる?それくらいの情報は仕入れ済みだよ。」
驚いて副官に目をやったジーグに、何でもない事のようにロトが応える。
「何処から?ここの村の奴等、目も合わさないぜ。どうやって・・・」
「方法は有るよ。情報収集と整理は副官の俺の仕事だからね。」
「お前が居ないと、俺は全くの役立たずだな。
良い副官に恵まれて運が良かった、頼りにしてる。」
笑って告げる副官に、ジーグは自嘲気味に言う。
実際、気が短く、頭に血が上ると後先の事が頭から飛んでしまいがちなジーグは
ロトの機転で、何度も救われて来たし武勇も上げて来た。
「どういたしまして。お任せ下さい。」
真顔で告げるジーグにロトは茶化すように軽い調子で請け負う。

その間にも部屋の奥では、村の長老達が聞きなれない言葉で
何事か話し合っている。
どうやら少年の意思表明にが長老達の間に波紋を投げかけた様子だが
ガーセン側の人間には、何を言っているのか全く聞き取れず、置き去り状態だ。
長老達が激しく意見を交わし合う中、少年だけは無表情のまま沈黙を守り
老人達の話に耳を傾けている様子だった。
「わしは、長の決定に従おう。」
暫しの議論の後、1人の老人がガーセンの言葉で告げる。
「私も長にしたがう。」
「仰せのままに。」
それを受けて、他の長老が1人、また1人と了承の意を告げる。
少年はそれに対して無言で頷き、部屋の中には再び静寂が訪れた。

その静寂を破り、村長が再び口を開く。
「ガーセンの王、ハシャイ・ゴーダ。貴方の申し出を受けるに当って
呑んで頂きたい条件がございます。2人でお話をさせて頂きたいのですが。」
「わかった。」
膝を折ることも無く、真っ直ぐに王の目を見据えて発せられた
片田舎の小さな村の長が、一国の王に対するものとは思えない要求と態度に
しかし、ハシャイ王はあっさりと返事を返す。
それを受けて、部屋の中の人間が退室を始める。
「王・・・」
セント将軍だけは、主君を得体の知れない者と2人にする事を警戒するように
その場に留まったが、ハシャイは左手を挙げセント将軍をも追い払う。
「お前も出ろ。扉の外で待機していろ。」
「・・・御意」
短く応えて、村長に威嚇するような冷たい一瞥を残して
セント将軍も部屋を後にする。

「さあ、2人だけになった。」
背後で扉が閉まると、ハシャイは立ち上がり、テレストラートを真っ直ぐに見下ろした。
ハシャイ王は闘気とも言えるような剣呑な空気を身に纏い
そこに居るだけで、他を圧倒するような存在感を示している。
気の弱いものなら、この男の前に立っただけで身がすくみ顔を上げる事さえままならないだろう。
だが、幼い長はハシャイ王の鋭い視線を真っ向から受け止め、臆する事無く真っ直ぐにその目を見つめ返す。
「それで?条件とは?
条約締結の為の格式ばった手順を全て踏もうか?
それとも、本題に入る前に互いに理解を深める為に、世間話でもするか?」
「いいえ。時間は十分に頂きました。」
揶揄するように発せられたハシャイの言葉にも
長は動じる事もなく静かな声で答える。
「耳にするお噂とは違い、忍耐強いお方のようですね、獅子王。」
「必要な時には、いくらでも忍耐を引きずり出そう。
それが王の役目だからな。我々には力が必要だ。
私を、試していたのか?」
「いいえ。保守的な年寄り達には、決断を下すまでに思索を巡らす為の時が必要なのです。
たとえ、導き出される答えが1つしか無い事が分かっていても。」
「それで?条件とやらを聞こうか。」
「村人の戦への参加は、当人の任意とし強制はなさらないと約束して下さい。」
「どのぐらいの参戦が見込める。」
「私と、長老ではオークルス、グイルリンガー、セイルトア
後は恐らくクレストレイアとオーロイレス。他に村人は30人ほど。
皆若く、能力は比較的高い者になります。」
ハシャイ王はしばらく考えるように眉をよせ、先を促した。
「それから?」
「参加者全員に支度金として金貨20枚、報酬として月に金貨2枚
ガーセン国内に居住可能な領地を100ガインとその自治権。
統治の不干渉と税の免除。村に対する王家の後ろ盾と守護。」
それは小さな村が一国の王に求めるには、不遜とも言える要求だった。
領主なみかそれ以上の権利を求めながら、家臣としての義務の一切の免除を求めているも同じだからだ。
「いいだろう。」
だが、ハシャイ王はその理不尽とも言える要求に対し、即座に諾の答えを口にした。

まさか、そのまま受け入れられるとは思ってもいなかったのだろう
それまで人形のように無表情だった、村長の瞳が驚きを表すように見開かれる。
始めて表に出した感情の動きに、ハシャイ王は満足そうに歪んだ笑みを浮かべる。
「何だ?不服か?では、そちらの用意した切り札を聞こうか。
 それだけの要求を突きつけて来るんだ。手ぶらでは有るまい?
 どんな保障を用意した?」
村長は一瞬表情に表した感情を、再び綺麗に押し隠し、静かな声で告げる。
「私の真名を」
その言葉の意味を正確に理解したハシャイ王が驚きに眉を寄せる。

真名。
古の世界では言葉は今の世界よりも大きな力を持ち
名は、その存在全てを表していた。
名前を握られる事は、相手に心臓を握られるのと同じ意味を持つ。
だから人々は隠し名を持ち、自分の名前を人に明かすことは無かった。
それを明かすのは、命を懸けるほどの誓いを交わすときだけ。

もっとも、力有る古の言葉は失われて久しく、今の世界の言葉にそれ程の力は無い。
貴族など、古くからの血を守る一族はいまだに隠し名を持ってはいるが
それは既に形だけのものだった。
しかし、古の言葉を操り
その名も、古き言葉でつけているこの村の一族にとって
真名は今も存在そのものを現し、その名を渡すと言う事は命を差し出すのと同じ意味を持っている。
村長がその名をかけてハシャイ王に忠誠を誓えば、その誓いは彼に隷属を強いる。
ハシャイ王は自分の手足と同じように、長の力を使う事が出来る。

だが、ハシャイは値踏みするような目で幼い長を見据える。
「お前1人の命にそれ程の価値が有ると?」
その射すくめるような眼光を、少年は身動ぎ1つせずに平然と受け止めた。
「私がもしお前の守るべき民を、その手に掛けるよう命じたら、お前はどうする?」
「私が本来負うべき責任を犯す命を受けた場合は、私は自ら命を絶ちます。
 貴方の命に逆らうと言う事はそう言う事です。
 ですが、私は私の民の権利を侵害しない限り、貴方のご意思に背く事は無いと誓います。」
試すように発せられた質問にも、わずかな動揺も見せず平然と応えた少年を
ハシャイ王はその瞳から面白がるような色を消して、真剣な様子で見つめる。

「新月の闇、全てを等しく覆い隠すもの、飛竜の尾羽、黒の長
そして竜の血を映した瞳、アクアレア・クエスタ。それらは全て『力』の象徴。
面白い。いいだろう、お前の名を私に捧げろ。」

「我、トロイメイスの息子ライシュリーンの子にして
イースロトモリスの娘フィラストレーナの子
聖なる契約の元、ガーセンの現王を主と定め我が名を捧げ
主による契約の破棄、主、又は我に死がもたらされるまでその命により我が存在を縛らん。
我が名はテレストラート・フィラル・ロッティ・トゥール・レイ。」
「ライシュリーンとフィラストレーナの子にしてロサウの長
テレストラート・フィラル・ロッティ・トゥール・レイ。
契約の名の下、我が命に従え。
我が名はハルスシャイル・ゴーダ。」
不思議な発音を有する、長の名をハシャイ王は淀みなく完璧な発音で繰り返した。
ハシャイ王がテレストラートに告げたのは、己の名の一部で
非対等な立場での契約は、一方向的な拘束力を持ち、隷属を強いる。

「仰せのままに、ハルスシャイル・ゴーダ。
ガーセンの王、尊き方、我が君。」
ハシャイの名をテレストラートが復唱した瞬間に
ハシャイの全身を押し潰しそうな圧力が襲い
その場に膝をつきそうになる程に強い一瞬のそれを、ハシャイは
微かに眉を潜めただけでやり過ごした。
それは、契約が正式に結ばれたしるし。

騎士が主を定める時、昔ながらに真名を名乗り忠誠を誓う儀式を行なう。
それは昔の契約の名残で、既に形骸化して命を縛る程の力は無いが
時に名乗り方なのか、想いによるものなのか偶然のなせる業か実際に契約が発動するのを
ハシャイ王は感じた事が何度か有った。
しかし、それは風が髪をそよがせる程度の微かな感触で
今、全身を襲った様な圧迫感を感じた事は一度もなかった。
それは、テレストラートと言う存在、命の重み。
ハシャイの口元に、歪んだ笑みが浮かぶ。
「これは、これは・・・。結構来るな。」

自分が手にした物へ対する興奮か、恐怖か
体に残る震えを振り払う様に、ハシャイ王は首を振ると
楽しくて仕方が無いと言うように笑い出す。
「随分と良い取引をしたようだ。俺と共に来い、テレストラート
 お前に世界を見せてやろう。」
自信に満ち傲然と言い放つハシャイ王に前で
テレストラートは優雅な所作で臣下の礼をとった。


(2008.04.09)
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