ACT:0 プロローグ



不吉な雲のように、王都フロスを多い尽くす黒い煙。
辺りには木と肉の焼ける、胸の悪くなるような匂いが立ち込め
怒号と悲鳴、慌しい足音と正体さえ分からない獣のような叫び声とが混ざり合って
耳を聾するような怒号で空気が満たされている。
「ハシャイ王子!西16門イルが敵の手に落ちました!」
「民は。」
「西地区の住民はドロウスキー将軍の指示のもと殆んどがフロスの外に退避済みです。
将軍はそのままイオク軍の左翼を突破!
 しかし、アレストラ正門が焼け落ち、東の民は行き場を失っています!!」
「外門の守りについている兵を全て東14、15門に移動させろ
他の門は全て捨てて構わん。
民を都から出せ。ここは既に戦場だ。都を出たらテセ山中に散らせろ!
ローウィ!俺の隊の生きてる奴、全員連れて来い!西1門から外に出る。
イオクの奴等、最後の1人までブチ殺してやるッ!!」




広大な大陸を南北に分断するリスリ山脈の南側。
林立する多数の国々が勢力図を書き換えんと、凌ぎを削り合うなか
辛うじて訪れた均衡がもたらした戦の無い時は、人々の予想とは裏腹に
小さな小競り合いこそ有るものの、もう100年も続いていた。
歴史的には短い、しかし人々にとっては戦の時を忘れるのには十分な静寂の時は
大陸内で実に126年ぶりの、国家間の正式な宣戦布告によって破られた。

布告を受けたのは乱世の時代、その勇猛な戦士と卓越した戦略で勢力図を広げ
大陸南・中央部からリスリ山脈までを配下に収める戦国ガーセン
平和な時代に有っても、その国の軍威は大陸中に知れ渡り
実質的な大陸の支配者とみなされていた大国だ。

一方、布告を発した国はイオク。
位置的にはガーセン辺境と国境を接し、それなりに長い歴史を有する国では有ったが
これといった特産物もなく、領土も狭く
地理的な重要性もすぐれた技術も特色も持たない
歴史的にも、実質的にも影の薄い小国だった。
そんな国がどこの国にも吸収されること無く、存在し続けて来たのは
イオクが戦術に秀でていたからでも、神聖視されていたからでも無く
貧しいこの土地に、兵を出し占領するだけの魅力が無かったに過ぎない。
乱世の世に有っても、台風の目のようにぽっかりと取り残され
戦に蝕まれる事がなくても、富む事もなく
ひっそりと存続してきた国だった。

そのイオクがガーセンに宣戦布告を発した。

イオク側から、正規の使節が布告を持ち込んだ時
ガーセンの政を司る議会には、笑いが広がった。
イオクの軍勢など、ガーセンの1領主の私軍ほどの力さえ有りはしなかった。
国の行く末に疲弊したイオク王がガーセンの配下に入る為に起した
馬鹿馬鹿しい施策だと誰もが思った。
イオク軍が戦の準備を整え、ガーセンに向けて出兵を開始したとの報が届いた時にも
久々の実戦に、しかしガーセンは武術大会程の盛り上がりさえ見せなかった。
しかし、イオクからの使節が宣戦を布告してから3日目の午後
突如王都フロスを取り囲むように現れたイオク軍に、フロスの住民は驚かされた。
小国ながらも国境を接する国。布告を突きつけられる前にもその動きを全く見ていなかった訳ではない。
イオク国境からガーセン王都のフロスまで、早馬で駆け通しでも5日
この規模の軍勢を率いて来るには、少なくとも15日はかかる。
それが、その目を掻い潜るように
いや、突如降って湧いたかのように、フロスの目前に現れ、取り囲んだのである。

相手が弱小国とは言え、ガーセン側も笑い飛ばすだけで済ましていた訳ではない。
布告から3日間、まがりなりにも敵国の名乗りを上げたイオクの動向には
抜かりなく目を光らせていた。
それが自国の領土に潜み、王都に迫るまで敵の軍勢に気付きもしなかった大失態は
ガーセン側を本気にさせた。

フロスは城砦都市である。
門を閉ざせば、内部に攻め入る事は事実上不可能で
その内部には、王都に住む住人全てを数年にわたって養っていけるだけの
食料の備蓄と生産能力が有ると言われていた。
水は王都を抱くようにそびえる、霊峰テセからの湧き水を引き
テセ山から吹き降ろす風は、攻め入る敵の矢をことごとく退ける。
そして王都には大陸中にその名を轟かすガーセン国王軍が駐在していおり
門を閉ざしたフロスの何処からか密かに忍び出た別働隊が、敵の背後を突き
フロスの外壁32の門から躍り出た正規軍とで敵を挟み撃ちにする。
フロスは難攻不落。無敵の別名だった。

それが、1夜にして落ちた。

硬く閉ざした門の内側に、闇の中から染み出すように現れた黒い影が
内側から門を開き、フロスの町に火を放った。
開け放たれた門からフロスに雪崩れ込んだ、イオクの兵士達は
恐怖を持たず、痛みを感じないようで
腕を落とそうと、その体を刺し貫こうと立ち上がり、剣を振り上げる。
人とは思えない動きを見せるイオク兵の中には、明らかに人ではない異形の物が混ざり
全身を覆い隠すように黒い布を、頭からすっぽりと被った不気味な人物が
暗い旋律を口づさみなながら、幽鬼の様に兵の間を静かにさ迷い歩く。
迎え打つガーセン軍から放たれる矢は、ことごとく軌道を外れ
交えた剣は、一瞬で錆が浮き、折れ曲がり
軍馬は目を剥き、泡を噴いて主を振り落とし、自軍に走りこんで兵達を蹄にかけた。

フロスには多くの民が暮らしている。
イオクは非戦闘員である住民達を、女子供の区別なく何の躊躇いもなく手にかけてゆく。
自分達を守ってくれるはずだった城壁は、今では逃げ道を塞ぐ囲いと化していた。
そこで行なわれたのは、戦ではなく虐殺だった。
国王軍は反撃の機会を得ず、生き残った僅かな市民を守り
フロスの外に出す事だけで精一杯の状態だった。


「ハシャイさま!ここも直に陥落します。どうぞ撤退を!!」
「うるせえ!俺に尻尾を巻いて、逃げろと言うのか!」
「ハイン王も・・・セロス様もお亡くなりになりました・・・」
告げられた国王と皇太子の訃報に、ハシャイは眉をしかめ
継いで王位の継承権を持つ、もう1人の兄の名を呟く。
「・・・フィートは?」
「わかりません。・・・ですが、恐らく・・・。」
従者の言葉にハシャイは鋭く舌打ちする。
それまで無言でハシャイの側に有った彼の副官のセント将軍が
静かな声で告げる。
「ハシャイ様。王は貴方です。今はご辛抱なさって一度撤退し建て直しを。」
セントの冷静な声にハシャイは苛立ったように歯軋りし
その目に怒気をみなぎらせると、威嚇するように言う。
「王族の血が惜しければ、ハセフを担いで行け!俺は敵に背は見せん!」
敵の血に赤黒く染まった剣を、無造作にマントで拭い
辺りを圧するような声で、宣言し馬首を反す。
「死ぬ覚悟のあるものは、俺について来い!」
「聞き分けの無い。」
セント将軍は呟くと、見事な手綱さばきで馬をハシャイの側に寄せると
後方から何の躊躇いも無く、ハシャイの首の後ろに鋭い手刀を叩き込んだ。
不意打ちを喰らったハシャイの躯が、呻き声1つ上げずに崩れ落ちるのを
表情1つ変えずに受け止め、冷静な声音で詫びた。
「お許しを。今、貴方様を失う訳にはいかないのです。」

あまりの事に、呆気にとられる周囲を他所に
セント将軍はハシャイの体を自分の馬に引き釣り上げる。
「撤退する!死んでもハシャイ様をお守りしろ!」
鋭い声で命令を発すると、氷の異名を持つ将軍は
敵に凍てつくような一瞥を向け、フロスを脱するべく馬首を廻らせた。






「ガーセンが滅びただと・・・。調子に乗りやがって。」
不機嫌も露な低く静かな声が、居並ぶ一同の心臓を縮みあがらせる。
ハシャイはその異名である獅子のように、怒りに目を爛々と光らせ立ち尽くしている。
ここは、フロスから馬で1日の距離にある小さな都市ティカ。
その土地を治める領主の別邸の一室で、怒りを全身から放出させているハシャイの前には
セント将軍と、フロスを脱した僅かな兵士達が跪き頭をたれている。

「ローウィ。貴様、俺を殴りやがったな。」
ハシャイの低い声に、部屋の中の兵達が一様に身をすくめる。
ハシャイが剣をゆっくりと引き抜くと、跪くセントの首に添えるようにしてその肩に置く。
部屋の中に、冷たい緊張が広がってゆく。
「ハシャイ様!セント将軍は・・・」
「黙れ。」
兵の1人が、決死の思いで声を上げた。
だが、その言葉は鋭く発せられたセント自身の声で遮られる。
「その責めは、後で如何様にもお受けいたします。
 ですが、今はどうか感情よりも状況の優先を。」
揺るぎもしない静かな声での言葉に、ハシャイは王者の威厳を漂わせる声で告げる。
「分っている。お前を罰するつもりは無い。 今回はお前の手柄だ。よく俺を諌めた。」
ハシャイの言葉にセントは無言で頭を垂れる。
「だが、これからは俺が王だ。どんな言葉にも逆らう事は許さない。」
「御意。」
セントは顔を上げ、差し出された剣の刃に恭しく口づける。
「立て。」
ハシャイは剣を鞘に収めると、命じた。
「誰でもいい、町から神官を引きずって来い。即位式をする。
さっさと俺に王位をよこしやがれ。」
「は、はい。」
1人の兵士が、慌てて部屋を走り出て行く。

「くそっ、面倒くせえもん押し付けやがって。」
ぶつぶつと不平を述べるハシャイに、セントが問いかける。
「軍勢を纏め、すぐにフロスに戻りますか?それとも直接イオクを?」
「・・・・・いや。」
ハシャイは考えを巡らすように言葉を切る。
「このまま戦っても、昨日の二の舞だろう。確実にイオクをぶっ潰す。
まずは西だ。」
「西?」
「そこに良いもんが隠して有る。」


(2008.04.01)
一言でもご感想頂けると嬉しいです!! →     web拍手 or メールフォーム           
前へ。  作品目次へ。  次へ。