ACT:68  邂逅



窓に掛けられた布を通した柔らかな光りが、部屋の中に差し込み
人々の動き出す朝のざわめきが、遠く聞こえてくる。
耕太は一晩中寝台のすぐ脇の椅子に座り、テレストラートを見守りながら
落ち着き無く体を揺らしていた。
血を吐いたテレストラートは、あれから一度も瞳を開かない。

ゼイゼイと、苦しげな荒い呼吸を繰り返していた昨夜とは違い
今は浅い息が微かに開かれた唇から漏れている。
安定している訳では無い。
体力が、限界に近いのだ。
耕太は水を含ませた綿で、テレストラートの唇を湿らせてやる。
昨夜から、もう水も受け付けない。
水分の補給が出来なければ、汗がかけない。
汗をかかなければ、熱は上がる一方で
既に脱水症状を起しているであろう、テレストラートの体力は目に見えて削られて行く。
今は、唇を湿してやるぐらいが精一杯だ。

そっと唇をなぞりながら、耕太が涙をこらえる為に鼻を啜る音が小さく響いた。
今は泣いてはいなかったが、耕太の目は真っ赤に腫れてしまっている。
テレストラートの側を離れようとしない耕太を見かねて、ゼグスが何度目かの声をかける。
「耕太、少し横になって休んで下さい。あなたまで倒れてしまいます。」
「嫌だ。」
「耕太・・・。」
「ねえ、ゼグス。何か他に出来る事ないの?
 何かもっとしてあげられない?何か・・・何でもいいから・・・」
「ヒーラーを呼び寄せています。彼が到着すれば・・・。」
「ヒーラー・・・?」
「そう。精霊から与えられる全ての恩恵を放棄する事によって
 病や怪我を治す力を得た、癒し手です。」
そう言えば、以前ジーグに聞いたことが有る。
そしてイオク国王を追って行ったニンゲの領主の館で
テレストラートがヒールの力を使いジーグの傷を癒した事が有ったのも思い出す。
あの時、テレストラートは無理な技の負担に倒れてしまったが
ヒーラーにはそれが可能なのだ。
ならば、テレストラートを救う事も・・・。
「じゃあ、ヒーラーが来ればティティーを治せるんだね!何時・・・」
やっとの思いで見出した光明に、顔を輝かせた耕太は
しかし、ある事実に気付き、言葉を切り、唇を噛んだ。

ガーセン軍にヒーラーは居ない。
外界と隔絶した世界で生きる、ロサウの村人達にとって
ヒーラーは無くてはならない存在だった。
村人達の生活を守る為、ヒーラーは戦には参加しなかった。

ここ、イオクの王都ローザからガーセンの王都フロスは遠い。
ロサウの村は、さらに遠くに有るのだ。
「・・・・・間に合わない、んだ。とても・・・。」
ゼグスは応えられなかった。
「・・・他の、他の術師達は?ティティーはヒールを使ったよ!
 ジーグの怪我を治したんだ。ヒーラーみたいに上手くはいかなくても
少しは出来るんだろ?ヒーラーが来るまで、それで・・・。」
「ヒールは本当に特殊な技なんです。
まがりなりにも術を発動させられるのは、ほんの一部の力強い者達だけ。
今、ここに居る者の中ではテレストラート様と長老達だけです。
長老達は既に術を施しています。もう・・・これ以上、する力は残っていないのです。」
「そんな・・・。じゃあ・・・。」
「耕太、私たちはまだ、諦めた訳では有りません。
 ジーグがヒーラーかも知れない人物を連れに行っています。
いざと言う時には、長老達がもう一度ヒールをかけます。
何としてでも、テレストラート様を救わなければ。」
「ゼグス・・・。」
「まだ、終わった訳では有りません。そんなに根を詰めていては持ちませんよ、耕太。
 少しでも休んで下さい。お茶を入れましょう。」
ゼグスは大丈夫だと言うように、笑みを浮かべると耕太から離れ
湯気を上げるカップを持って戻り、耕太に手渡した。
耕太は素直に受け取り、そっと口を付ける。

すうッっと爽やかな香りが、温かな湯気と共に鼻を抜ける。
砂糖が入っているのか、そのお茶は仄かに甘かった。
ささくれだった心と体に、染みて行く気がする。
耕太はホッと息をつき、カップの中の液体を全て飲み干した。
空になったカップの底を覗くように、ぼんやり眺めていた耕太の体が
ぐらりと大きく揺れて、傾く。
ゼグスは驚きもせずに、崩れる体を支えその手から滑り落ちそうになっているカップを取り上げた。

ユイの葉を炒ったお茶には、鎮静効果が有る。
それに加えた甘い味のするトキワスレの実は、強力な睡眠剤だ。
穏やかな寝息を立てる耕太を、見張りの兵の腕をかりて寝椅子に運び
そっと横たえると、ゼグスはその体を毛布で包みこんだ。

もしテレストラートが、助からなければ
この少年は、自分達の力で元の世界に返してやらなければならない。
そして、外の世界へとその存在が知れ渡ってしまったロサウの村を守る事も、全て。
自分達が、いかに希代の長1人の力に頼っていたかを思い知る。
この少年だけは、何が有っても守らなければならないものだ。
彼は、自分達の為に犠牲になり続けていたテレストラートの
もう1つの姿なのだから。

眠る耕太を見下ろしていたゼグスは、急に自身も強い眠気を感じた。
自分も疲れているのだろうか?
眠気を払うように、首を振った瞬間ガクリと膝が崩れた。
いけない・・・と思った瞬間には、ゼグスの意識は眠りに捕らわれていた。



テレストラートの意識は眠りと覚醒の間で不安定に浮いていた。

熱い。
熱い。
ただ、息をするのでさえ、胸が焼け付くように痛む。
部屋の中で動く人の気配も、額に乗せられた温い布の感触も
全てが鬱陶しい。
ただ1人、今側にいて欲しい人だけが、ここに居ない。
また、自分は彼をおいていくことになるのだろうか・・・。
燃える様な体より、何より
彼にまた、自分のせいで悲しみを負わせてしまうのが、つらい。
せめて一言、彼に謝りたいのに。

人々の話し声、開く扉のたてる軋み、床を踏む靴音
全ての音が、頭の中で鳴り響く。
うるさい・・・
考える事さえ難しい。
全て、消えてしまえばいいのに・・・


そう、テレストラートが思った瞬間、
まるで時が止まってしまったかのように、部屋の中の音がすべて
ピタリと止んだ。
額に載せられた濡れた布が取り払われ
代わりに乾いた感触が額に触れる。
誰かの掌だ。冷たいその感触が気持ちいい。
全身にこもった熱が、そこからスーッと引いてゆくようで
テレストラートは大きく息を吐き出した。

「まったく、無理をしたものだな。」
深く静かな声が、呆れの色を帯びて上から降りてくる。
その声に、テレストラートは重い瞼を押し上げて声の主を蒼い瞳に映した。
「ガーシャ・・・ルウ・・?」
「2,3日は無理をすると言ったろう?」
「忘れ・て・・・ました・・・。」
途切れとぎれのテレストラートの応えに、ガーシャ・ルウが息をつく。
「お前は・・・。
 お前に施したのが、どんな術かは分かっていただろう?」
大きな溜息の後に吐き出された言葉には、多分に苛立ちが含まれていた。
この男の声に、本物の感情が滲む事が有るのかと
テレストラートはハッキリしない頭で考えていた。
「あんな大掛かりな術が、時を置かずしてすぐに定着するものか。
そんな不安定な状態で、無理を強いれば術が崩壊するのは分かりきった事だろう。
なのに私の忠告を無視した上、私を呼びもしない。
あの少年が私の名前を口にしなければ、術が消滅するその時まで気付かない所だった。
私にとっても、あの術は結構な大仕事だったんだぞ
お前は、私の苦労を無にしたうえに、オークルスとの約束を違えさせる気か?」
「ごめ・・・な・さ・・・」
ガーシャ・ルウはテレストラートを見下ろし、もう一度大きく息を吐き出す。
「まったく・・・ロサウの長は、代々頑固者ばかりか。」
再び発せられた言葉に、もう熱い感情はカケラも篭ってはいなかった。
ガーシャ・ルウはテレストラートの首の後ろに手を差し入れ
持ち上げると、取り出した小瓶の中身を自らあおり
液体を含んだ唇をテレストラートのそれに寄せた。
咄嗟の事にテレストラートが思わず身を硬くする。

「助けてやるから、飲め。」

ガーシャ・ルウの言葉に微かに唇を開くと、すぐにそれを塞がれた。
口の中に冷たい液体が流し込まれ、テレストラートは必死でそれを飲み下す。
ガーシャ・ルウは同じ事を何回も繰り返す。
手にした小瓶は掌の中に納まるような、小さなものなのに
有り得ない量の液体を吐き出し続けた。

「自分で・・・飲め、ます・・・。」
何度と無く、繰り返される行為に、テレストラートがガーシャ・ルウを遮り訴える
「そんな台詞は自分で体を起こせるようになってから言え。」
満面に楽しげな笑みを浮かべ
ガーシャ・ルウは親密な口付けのようなその行為を続行した。

口腔から体内へ流し込まれる液体に、苦痛がまるで洗われたかのように流されて行く。
疲れ切った体から、力が抜け
テレストラートの意識は静かに眠りの中へと落ちてゆく。
何日もの間、得る事のなかった深く安らかな眠りの中へ。
いつしか、テレストラートは静かな寝息をたてていた。



ジーグは重い体を引き摺るようにして、城の廊下を急いでいた。
その身は埃で汚れ、髪や服に乾いた血がこびり付いていて
すれ違う人々が眉をひそめるような酷い状態だったが
ジーグの体から発散される沈鬱な空気に、誰も声をかけ呼び止める者はいない。

ルルスの町にヒーラーは居なかった。

盗賊たちを切り捨て、脅える案内人を急きたてて
明け方にルルスの町に着いたジーグは、手近な家の住人を叩き起こして
癒し手の事を尋ねたが
住人は首を横に振った。

住人の話では、その人物は確かにこの町に居た事は有ったそうだ。
フラリと町に現れたその青年は、町角で花を売っていた盲目の少女の目を
魔法のように治したと言う。
そのまま、町に住み着いた青年は
骨折から、子供の虫歯、リウマチや肺の病まで
どんな病もたちどころに治したと言う。
しかし、ある日町長の娘の気が触れ、自らの体を傷付けると言う事件が起き
家族が慌てて青年を呼びに行くと、彼の姿は何処にも無く
それ以来一度も戻らなかったと言う。

もう、40年も前の話だ。


事実を確認すると、直ぐジーグは馬を駆りローザへと取って返した。
無駄足と分かると、テレストラートの側を離れた事が、悔やまれた。
城内ですれ違う人々を、無意識の内に威圧しつつ進んでいたジーグは
テレストラートの居る部屋へと続く通路の曲がり角に
1人の男がこちらを向いて、立っているのに気がつき、凍りついた。

「貴様・・・ッ!!」
搾り出すような唸りがジーグの喉から漏れ、凍りついた体が、怒りに一気に沸騰する。
ジーグは床を強く蹴ると、身構えもせずに立つガーシャ・ルウに向かって飛び掛る。
剣を抜いていきなり切りかからなかっただけでも、冷静だったと言えるだろう。
だが、獲物を狙う獣のような素早さと獰猛さで襲い掛かったジーグの体は
あっさりと交わされ、何をどうされたものか
ガーシャ・ルウの背後の壁に、背中から叩きつけられた。
ジーグは呻き、それでも崩れそうな膝に喝を入れ、踏みとどまる。
そんなジーグをガーシャ・ルウは笑みを浮かべて見下ろす。
「学ばないな、お前は。自分の身の程も知らない。」
笑いを含む言葉に、鋭い視線で睨みつける。
「そんな小さな器で、あれを守りきれるのか?
 お前が一体何をした?」
テレストラートの事を言っているのは直ぐに分かった。
自分の無力さを嫌と言うほど思い知らされているジーグは、言葉を返すことが出来ない。
「言っておくけど、あの子に施した術は結構大変なものなんですよ。
あれの体は、中途半端な反魂によって、ボロボロだった。
それを正すには、一度体をバラバラにして余分なものを取り除き
組み立て直すしかなかった。
それは筆舌に尽くしがたい苦痛を伴ったはずだ。
正直に言うと、乗り越えられるとは思っていなかった。人間に耐えられるようなものでは無いからね。」
ガーシャ・ルウが淡々と語る、話の内容の残酷な事実にジーグは青ざめる。
「な・・・、そんな術を・・・!」
「もっと言うと、あの取引自体にあれが応じるとは思っていなかった。
 テレストラートは潔癖だし、プライドも高い。生にもそれほど執着が無い。
辱めを受けてまで生きて居たいとは、思わないはずだ。
私だとて、あれ程までにテレストラートの体が酷い状態でさえなければ
あれを抱くなんて方法は取りたくなかったよ。」
具体的な表現に、ジーグの眉間に力がこもる。
それに目をやり、ガーシャ・ルウは楽しそうに口角を上げた。
「あれは苛烈な男だからね。
自分が望まぬ行為はたとえ自らの命が懸かっていてようとも受け入れない
無理を強いれば、私もろとも自分を滅ぼしかねない。」
「テレストラートが自ら望んだ事だと言いたいのか!」
「当然だよ。彼は望んで私に抱かれた。」
ジーグの視線がそれだけで、人を射殺せるのでは無いかと思えるほどの殺気を孕む。
ガーシャ・ルウは平然とそれを受け止めて、静かに笑う。
「どうしてだと思う?」
その言葉にからかう様な響は無かった。
「お前と生きる為だよ、ぼうや。」
顔には笑みが浮かんだままだ
「お前に対する執着が、生きる事を選ばせた。
なのに、お前は何をした?」
たが、その声は冷え冷えと響いた。
「嫉妬して、突き放し、あれを追い詰めて。」
「違う!」
「他の人間に触れられる事が、そんなに耐え難い事か?
 あの命自体よりも、大切な事なのか?」
「違う!そうじゃない・・・!!」

テレストラートと距離を置いたのは、彼を責めての事ではない。
けれど・・・それがテレストラートを追い詰めたのなら、その罪は自分に有る。

「あれの命は重い。これからも、平穏無事ではいられないだろう。
あれは、人に頼る事を知らない。そしてあれが外に対して示しているほど強くも無い。
お前にあれが守りきれるのか?」
この戦の中で、ジーグは何度も自分の無力を思い知らされた。
剣の力ではどうにも出来ない事柄が、テレストラートの回りにはあり過ぎた。
「ぼうや。目に見えるものしか見ようとしない、底の浅い男。
自信がないなら、今すぐ手を引け。
 私があれを守ってやろう。」

テレストラートが弱く、脆い事は知っている。
自分が若く、無力な事も。
けれど。

「テレストラートは渡さない。」

ジーグは顔を上げ、真正面からガーシャ・ルウの瞳を睨み付けた。
沈黙と共に、ガーシャ・ルウが射抜くような視線を向けたが
決して視線を逸らさなかった。

「なるほど。底が浅い上に、馬鹿と来たか。面白い。」

呟いた声は、楽しげな笑いを含んでいた。
「それでは、私は退散するとしますか。」
ガーシャ・ルウは無防備に背中を曝すと、ゆっくりとした足取りで歩き出した。
「待て!」
「熱は下げてやったが、後10日は安静にさせろ。
 さもないと、また逆戻りだ。今度こそ崩壊するぞ、私もそれ程暇ではないからね。
 術が定着しさえすれば、日がな一日ヤッても構わないから、今は我慢しろ。ぼうや。」
「貴様!!」

不調だったテレストラートを抱いた事を揶揄されていると知り
ジーグが荒い声を上げる。
それに楽しげな笑いを残し、ガーシャ・ルウの姿は廊下を折れるでもなく
空気に溶けるように、消えた。
その笑い声の響も消えて、ジーグは我に帰り
慌てて廊下の角を曲がる。

テレストラートの部屋の扉の前には、衛兵が2人廊下に座り込んでいた。
覗き込むと、2人とも眠っている。
扉を開くと、部屋の中にも動いているものは一人も居なかった。
ケイル医師も、水差しを手にした使用人も・・・全ての人間が
座り込み、または床の上に転がり寝息をたてている。
部屋の奥の寝椅子の上には耕太が横たわり
それに、もたれるようにしてゼグスが眠っているのも見える。

ジーグは急いで部屋を横切り、窓際の寝台を覗き込んだ。
そこに横たわるテレストラートは、規則正し呼吸に胸を静かに揺らしている。
そっと触れた頬からは爛れるような熱は引いており、顔色もずっと良くなっていた。
深く安らかな寝息が、唇から緩やかに漏れている。

「・・・・・。」
ジーグは言葉にならない思いを、吐息と共に吐き出し。
祈りを捧げるように身をかがめると、額をテレストラートの白い額の上にそっと重ねた。
有りとあらゆる神々に、感謝したい気持ちだ
今ならガーシャ・ルウの靴にさえ、口付けても構わない。

「ん・・・?あれ・・・?オレねちゃって・・・ジーグ?帰ったの?」

背後から、寝ぼけた耕太の声が聞こえて来た。

(2008.2.2)
一言でもご感想頂けると嬉しいです!! →     WEB拍手 or メールフォーム           
前へ。  作品目次へ。  次へ。