ACT:67 限界



部屋には絶えず人が慌しく出入りし、騒然としていた。
部屋の主は寝台の上に横たわり、荒い息で空気を揺らしている。
テレストラートの容態は最悪だった。
過労によるものと思われた熱は、時が立っても一向に下がらず
テレストラートの体力を奪ってゆく。
幾人もの高名な医師を呼び、術師による術を施し、有りとあらゆる薬湯を試してみたが
望む効果を表さず、多くの医師が匙を投げた。
遂に術師達は風霊を飛ばし、ロサウの村にいるヒーラーを呼び寄せたが
ガーセンは広い。ガーセンの王都フロスより更に西に位置するロサウの村からは
どんなに馬を飛ばそうとも、20日はかかる。
誰も口にはしないが、それまでテレストラートが持つとはとても思えなかった。

きつい日差しが差し込まないように、覆い布を掛けられた窓の脇に置かれた寝台には
今も医者や薬師が忙しく立ち働き、思いつくかぎり処置を施しているが
何一つとして満足の行く成果を上げてはいない。
部屋の隅に置かれた大きな椅子には、数人の術師が座り
祈りのような呪文を小さく呟いているのが聞こえてくる。
術師たちの顔には、焦燥と色濃い疲労が浮かんでいた。

寝台の上にぐったりと横たわるテレストラートの顔は
高熱のために上気し、胸は荒い呼吸に忙しなく上下しており
今朝からは、ゼイゼイと苦しげな呼吸音が喉から漏れ出ていた。
柔らかな枕の上に置かれた首は
纏わり付く熱から逃れようとするかのように、時折力なく振られ
意識ははっきりしていない様だが、眠る事も出来ないようで
時折、薄く開かれる瞳が何かを捜し求めるように彷徨い
ジーグをみとめると安心したように再び閉じる事を繰り返している。

その度にジーグは傍にいるのを知らせるように、そっと頭を撫でてやるが
眠りの中に逃げ込む事さえ出来ないテレストラートが、可哀想で仕方が無い。

水分は口に含ませれば飲ませる事が出来るが、固形物はどんなに柔らかくした粥でも
飲み込む事が出来ないようで、テレストラートの体力は見る間に落ちてゆく。
熱を少しでも取り去れるようにと、額に乗せられた冷たい水に浸した布は
どんなに取り替えても、すぐに温くなってしまう。

テレストラートが起き上がることが出来なくなってから丸4日
ジーグは寝台のすぐ脇に座り成す術も無く、ただテレストラートの手を握り続けていた。
当初は弱いながらも握り返していたテレストラートの手は、今はただジーグの手の中に力なく置かれているだけだ。

体にこれと言った外傷は無く、病の徴候も認められない。
医師・術師・占い師まで呼び込んでみたが、はっきりとした答えは出なかった。
ただ、熱が下がらない。
イオクの風土病の可能性も疑ったが、似た症状が現れるものも
死にいたるような重度なものも、無かった。

ガーセンの従軍医師ハーラン・ケイルとジーグの脳裏に浮かんだ最大の可能性は賢者の石。
その過ぎる力で、以前テレストラートの体を蝕んでいた、伝説の石。
しかし、それは契約の元、ガーシャ・ルウによって取り除かれたはずだった。
実際、テレストラートの体に刻まれていた傷は消えうせ
以前のような痛みを訴える事も無く、昔のように行動していたのだ。
今もその傷跡は現れてはいない。
しかし、テレストラートが元気にしていたのはたった3日の間だけだ。
当然、ガーシャ・ルウに対する疑念が募る。
しかし、それが原因だったとしてもそれを確かめる方法は無いし
それが原因であれば、打つ手は無い。
それは、テレストラート自身もどうすることも出来ず、死を覚悟していた呪われた石だった。

ジーグは、温んだ布を取り去りテレストラートの汗で張り付いた前髪を梳き上げ
額の汗を拭ってやる。

「ジーグ、これを飲ませてやれ。スープだ。少しでも栄養を補給してやらないと。」
歩み寄ったケイル医師の差し出した椀を、ジーグは受け取る。
栄養価の高い野菜と獣肉をよく煮込んだスープ。
もちろん、固形物は摂る事が出来ないため、上澄みでしかない。
今、テレストラートにしてやれる事は、これぐらいしか無かった。
「テレストラート。起きられるか?」
ジーグは様子を伺うように、そっとテレストラートに声をかける。
ジーグの声は聞こえたようで、閉じられた瞼が微かに開く。
「スープだ。少しでも食べないとな。」
言ってテレストラートの頭を抱えるように、そっと持ち上げ
椀の中の液体の温度を確認して、1匙そっと口へと流し込む。
ゆっくりと喉が動き、嚥下したのが分かる。
少なくともまだ、水分は与えてやる事が出来る。
さらにもう1匙。と、ジーグが口へと流し込むが
テレストラートは上手く飲み込む事が出来ず、咳き込み
全て吐き出してしまった。
苦しそうな咳に、テレストラートの頭が揺れる。
彼は自分の頭を支える力さえなく、その首はジーグが腕で支えていないと不安定に揺れた。
咳が収まるのを待ち、その頭を慎重に枕の上に置いてやると
疲れを吐き出すかのように、テレストラートが息をつくのが分かった。
無理に飲ませるのを諦め、吐き出した物で汚れてしまった口元をそっと拭い
この4日で驚くほど細くなってしまった頬のラインに指を指で辿る。
ジーグは込み上げてきた思いに眉を顰めた。

テレストラートを失うのが恐い。
その時をただ待つのが耐えられない。
ひと時も離れたくない。
それと同時に彼を見ているしか無い自分が居たたまれなくなる。
胸が押し潰されそうだ。暗い思いに心が捕らわれそうになる。

何故、こんなに彼を苦しめなければならない?
助からないので有れば、何故長く苦しめる必要が有る?
彼を楽にしてやって、俺もすぐその後を追えば良い。

ジーグは思いを振り払うように、大きく頭を振る。
馬鹿な。
諦めるな。
もう2度とテレストラートを手放すものか。

「無理か・・・。」
「時間を置いて、また飲ませてみる。」
溜息交じりのケイル医師の言葉に、諦めないと言う決意を込めた声で答え
頭を冷やしてやる為の布を絞ろうと、桶に手を入れすっかり温んだ水に溜息をついた。
少し外の空気を吸って、頭をハッキリさせたかった。

「水を新しく汲んで来ます。」
「ああ。」
立ち上がったジーグに「私がいきます。」と若い使用人が声をかけた。
断ろうとしたが、その前に桶を奪われてしまい、半ば呆気に摂られて後姿を見送った。
そんなジーグの様子を見かねたように
ケイル医師が安心感を与える暖かい声で話しかける
「ジーグ、少し外の空気を吸ってきたらどうだい?
 テレストラート殿は私が見ているから。」
励ますように背を叩いてくれたが
ジーグは結局首を振った。

「いいから、ジーグ行って来い。ついでにユイの葉を取ってきてくれ。
 裏が白っぽくて丸い葉の、知っているか?
たしか、中庭に植えてあった。ケチるなよ、2,3枝折って来てくれ。」
用事を言いつけることで、無理矢理ジーグを扉の方へと軽くやる。
更に何か継ごうとしたが
言葉は、ちょうど廊下から覗いた使用人が、部屋の中に居た文官を呼ぶ声で遮られる。

「この部屋は、うるさ過ぎるね。」
眉を不機嫌そうにしかめ、苛立ったように呟くと、踵を返し
部屋の中を無意味にウロウロする文官や軍の上層部の者たち
明らかな野次馬たちを部屋から押し出し、追い払いにかかる。
「ほら、用の無い者は出て行け。
まったく、なんだって此処はこんなに人が多いんだ?
座る場所も無いじゃないか。
出て行け!見舞いの者は入れるな。面会謝絶だと言ったろう!
病人の部屋でうるさい足音を立てるな!
ローウィ・セントをここに遣してくれ。急ぎだ!
ハーラン・ケイルが駄々をこねて手がつけられないと言ってやれ。さっさと行け!」

廊下から小さく聞こえる、ケイル医師の弾むような勢いのセリフを聴きながら
少し静かになった部屋の中で、ジーグはテレストラートの額にそっと口付けを落す。
「大丈夫。絶対に治る。
ティティー逝くな。もう俺は決して逃げないから。」
祈るように、囁いた。
これが、テレストラートを縛る呪になれば良いと思いながら。
「ジーグも速く行け。ユイの葉を取って来るのを忘れるなよ。」
もう一度、そっとテレストラートの髪を撫でると
もどったケイル医師に急かされながら部屋を出た。

外は気に障るほどにいい天気だった。
外に出るのは、久しぶりだったが大きく息を吸い込んでも、少しも気持ちは軽くならない。
自分の無力さだけが、身に染み渡る思いだ。
何かしていないと、気が狂いそうだ。
何も出来ない。
オーガイでの戦の時も、あの男がテレストラートを連れ去った時も、今も
自分は無力で、同じ過ちを繰り返している。

中庭に出るとユイの木をみつけ、枝を数本乱暴に折り取った。
木が非難するかのように、葉を鳴らし大きく揺れる。
折り取った枝を片手に、部屋に戻るべく足早に中庭を横切ってゆく。
途中、井戸が目に止まり、ジーグはそちらに歩み寄ると
澄んで冷たい水を掬い上げ、頭を下げると水を思い切りよく頭から被った。

俺は弱い。無力だ。それは認める。
だが、それが何だ!

もう一度それを繰り返すと、乱暴に頭を振り、獣のように水気を飛ばす。

俺は逃げない。決して諦めない。
「もう俺は決して逃げない。」
自分自身に言い聞かせるように、最後には声に出して言った。
これは誓い。
ジーグは濡れて乱れた髪を、片手で無造作にかき上げた。

「ジーグ!!」
その時、頭上から声が降ってきた。
「ジーグ!ちょっと待ってて、そこに居て!今、そこに下りてくから!!」
見上げた先で耕太が、2階の窓から身を乗り出し、大声で叫んでいた。
「待っててよ!!」
見上げたジーグと目が合うと、念をおしてその姿は窓枠の中から消えた。


この4日、耕太は部屋でジリジリとしていた。
数日前から胸を締めていた、形の無い不安は
今は胸を押しつぶす程にハッキリと、大きくなっている。
何かが起きている。何か良くない事。おそらくテレストラートの身に。
けれど、周りの人間ははぐらかすばかりで、テレストラートに会わせてくれない。
ゼグスも他の術師達も、誤魔化すばかりで、何も言ってくれなかった。
そのクセ、これ以上ないってぐらい不安そうな顔をしている。

自分に教えないのは、何か理由が有るのだろう
何も出来る訳じゃない自分が、でしゃばっても皆の迷惑になるだけだ。
きっと時が来れば、自分にも話してもらえる。

そう、思って我慢してきたけれど
もう限界だった。
4日間耐え抜いた部屋を出て、一番最初に出会った人間を締め上げ
テレストラートの居所を聞く。
そう、心に決めて城の階段を駆け下りていた所に
階段の突き当たりに有る、大きな窓の中に、井戸の脇に立つジーグの姿を目にした。


「ジーグ、一体・・・。」
中庭に駆け出すと同時に、声を張り上げた耕太は
目にしたジーグの姿に思わず言葉をうしなった。
ジーグに最後に会ったのは、ほんの4日前なのに彼の印象が激変していたからだ。
頬が扱け、顎のラインが鋭くなり、顔色は悪く病人のようで
目だけがギラギラと殺気だっている。

「ジーグ・・・大丈夫?」
「コータ・・・」
耕太が心配していたのは、テレストラートだ。
けれどジーグのこの荒廃ぶりはどうだ?
そして、ジーグにこれ程までの変化をもたらすのは・・・。

「何が・・・有ったの?
ティティーに何か有ったんだろ?
分かるんだ、オレ・・・不安で、仕方がないんだ。胸が苦しくって。」
確かに自分にはテレストラートの異変が分かる。
なのに誰も耕太には何も教えてはくれない。
自分の身を案じての事なのは分かる。もしかしたらテレストラート自身の指示なのかもしれない。
だけど、感じるのだ。
どんなに誤魔化されても、ハッキリと分かる。
当然だ。テレストラートと耕太の魂は同じ、1つの物だったのだから。
けれど、それを上手く口にする事が出来ない。
自分だって、どう言う仕組みなのか分からないのだから。
「ジーグ・・・ティティーは何処にいるの?ティティーの所へ連れて行ってよ。」
「コータ・・・」
「何が有っても、こんな風にオレを蚊帳の外に置くのは酷いよ!!」
自分の叫び声に煽られて、耕太は興奮し、叫び出すの声が抑えられなくて戸惑う。
今まで耐えていた物が、口をついて溢れ出してしまう。
ジーグを責めたい訳ではないのに。

ジーグが腕を伸ばし、耕太の頭に手を回すと引寄せ
抱き込むように胸に押し付けて、言葉を遮った。
「わかった。」
低い声が、触れ合った胸を通して聞こえた。
「ジーグ・・・ティティーの所へ連れて行って。」
「分かったから、落ち着け。」
耳元で囁かれるジーグの声は掠れて、微かに震えているようだった。

泣いているのかと思った。
耕太は身動きが取れなくなった。
どうする事も出来ない程の、酷い状況の中で
ジーグが怒りをぶつける事は有っても、泣くなんて、思ってもみなかった。
「すまない。お前をティティーから離すべきじゃなかった。」
詫びる言葉と共に、耕太の頭を解放したジーグの顔には
しかし、涙はなかった。
「先に話しておきたい。テレストラートは4日前に倒れて
それから、熱が下がらない。原因は分からない。状況は・・・かなり、悪い。」
耕太は答えを予想していたのか、拳をギュッと握っただけで、騒いだりはしなかった。
「だが、打てる手は全て打つ。俺たちは決して諦めたりしない。」
ジーグの言葉に、耕太は無言で頷いた。
言うべき言葉は、何も見当たらなかった。


部屋に入って来た耕太を目にして、ゼグスが驚いたように目を瞠り
問いかけるようにジーグに視線を送る。
ケイル医師も、表情を曇らせため息をついたが
耕太はそのどちらにも気が付かなかった。
寝台の上に横たわるテレストラートを目にして、少なからぬ衝撃を受けていたからだ
自分でも、ある程度は予測していたつもりだった。
ジーグにも言葉で告げられていた。
しかし、今それが始めて現実のものとして目の前に曝されると
その重さに、胸が潰れる思いだった。

ジーグに導かれるまま、寝台の横に置かれた椅子に掛ける。
寝台に横たわるテレストラートは、その蒼い瞳が隠れているという一点だけでも
驚くほど弱々しく見えて
苦しそうにな呼吸の音は、見ているこちらまで辛くなってくる。
耕太はどうする事も出来ずに、掛け布の上に力なく投げ出された腕をとり
包み込むようにそっと握った。
祈るような気持ちで、ただ握り続けていた。
他に何も出来なかった。

そうやって、どのぐらいテレストラートを見ていただろう。
テレストラートが微かに身じろぎ、伏せられていた瞼が震え、僅かに開かれた。

『耕太・・・』

テレストラートの唇が、微かに動いたがその言葉は音を紡がなかった。
それでも、耕太には自分の名が呼ばれたのがハッキリと分かった。
「うん。オレだよ、ティティー。ここに居る。」
テレストラートは声を出そうとして、小さく咳き込んだ。
それでも、何とか今度は音に出して耕太の名を呼び、途切れとぎれの言葉を吐き出す。
「こう・・・た、・・・めん・・な・・さ・・、約・・・束・・・」
だが、再び咳き込んで、言葉はすぐに途切れてしまう。
「ティティー、いいから。喋らないで。」
「こ・・・た、・・・もと、に・・・けほっ・・・ぐぅッ・・かはッ」

喉が、嫌な音で鳴り、テレストラートは大きく咳き込むと血を吐き出した。
「テレストラート!!」
「ドクター!!ドクター・ケイル!!来てくれ!!」
悲鳴を上げる耕太の脇で、ジーグが鋭い声でケイルを呼ぶ。
「体を横にして!窒息する。」
部屋の扉の近くにいたケイルは走り寄ると、テレストラートの体を横向きに倒し
枕を外すと首を支えて、血を吐き出させる。
「大丈夫だ、テレストラート。無理に息を吸い込もうとするな、全部吐き出して。
 そう、ゆっくり・・・落ち着いて。大丈夫。」
静かに声をかけながら、背をそっと擦ってやる。
テレストラートが苦しげに掴んだ敷き布が、吐き出された血で鮮やかな赤に染まって行く。
「ティティー、ティティー・・・!!」
「耕太、落ち着いて!こちらに来て下さい、耕太」
目の前の状況に、パニックを起した耕太をとにかく惨状から引き離そうと
ゼグスが後から抱きすくめる。
「ティティーが死んじゃう!!何で!」
「耕太、大丈夫ですから、落ち着いて」
「何で!!もう大丈夫だって、言ったのに!ティティーを救うって!
契約したのに、あのペテン師!!インチキ魔術師!!ガーシャ・ルウ!!
まだ、一週間も経ってないじゃないか!こんな・・・」
「耕太・・・。」
「誰か何とかして、ティティーを助けてよ!!何で・・・」

テレストラートが死んでしまう。その恐怖が耕太を鷲づかみにする。
この世で一番近い存在。魂の片割れ。
前にテレストラートによって賢者の石の真実を告げられた時にも
自分の死の可能性と同じように、どこか現実味のなかったテレストラートの"死"と言うものが
触れることさえ出来そうな現実感を伴って、耕太の心を満たす。

沸騰してゆく感情とは裏腹に、冷えてゆく自分を感じる。
自分が喚き散らしても、状況は何も変わらない。
口を開いていれば、周りを攻撃する言葉を吐き出してしまう。

耕太は、無理矢理言葉を切ると、口を閉じ
さらに息まで止めて、言葉を封じ込めた。
突然言葉と、動きを止めた耕太にゼグスは驚いて顔を覗き込み
顔を真っ赤にしている耕太に慌てて、声を上げる。
「耕太!・・・何してるんですか?息をして下さい!」
口と、ついでに目も硬く閉じて、耕太は拒否するように首を大きく横に振る。
誰のせいでもない。誰も責めたくないのに、口を開けば責めてしまう。
「耕太・・・。」
縋るようなゼグスの声、それでも抗おうとしたが
息苦しさに、とうとう息を吐き出してしまった。
しかし、言葉は飛び出さなかった。
変わりに、涙がボロボロ溢れ出した。
「耕太・・・。」
声もなく泣く耕太を、ゼグスが抱きしめてくれるが
そのゼグスも小さく震えているのを、耕太は感じた。

「大丈夫だ、治まった。」
ケイルがチラリと後を振り返り、短く告げる。
テレストラートに視線をやると、意識を失ってしまっているようで
ぐったりと横たわっている。
その血の気のない顔色に、耕太の小さく息を飲む。
「大丈夫。呼吸は有る。湯と新しい布を持ってきてくれ。」
ケイルは告げ、手際よく指示を出し始めた。
耕太はゼグスに促されるまま、部屋の隅の椅子に腰掛け赤い血が拭われて行くのをぼんやりと見ていた。


「ジーグ。」
部屋を覗きこんで、ジーグを呼んだセント将軍が騒然とする室内の様子に眉をしかめる。
「どうした?」
足早に近づくジーグに問いかけるが、ジーグが言葉も無く首を振ると
表情を更に険しく歪め、ジーグを手招いた。
「ルルスと言う町に、どんな病も治す人物が居るという噂が流れた事があるそうだ。
 真実の程は定かでは無いが、ヒーラーの可能性も有る。
ここからは馬で半日ほどの距離だ。明朝一番に人を出す。」
セント将軍の言葉に目を瞠ったジーグだったが、すぐに眉をしかめる。
「何故、直ぐに出さないのです?」
「山道に野盗が出る。直に日が沈む。この土地を知らぬものを、夜に出すには危険だ。」
「俺が行きます。人一人連れてくるぐらい、俺1人で十分でしょう?
俺なら野盗など、如何とでもなる。案内の人間だけ、貸して下さい。」
「だが・・・」
「行かせて下さい。時間の猶予はそう無い。」
セント将軍はしばらく思案していた様子だったが
慌しい様子の部屋の中をちらりと見やり
ジーグの決意の現れた顔に視線を戻し、溜息を1つついて答えた。
「・・・・・分かった。無事に戻って来いよ。」
「必ず。」





暗闇の中に立つ、人馬の気配に馬が脅えたように嘶く。
案内人の掲げた松明の明かりに照らし出された、2人の男にジーグは静かな声で告げた。
「俺は先を急いでいる。其処を退け。」
ジーグの言葉に、男達は嘲るような笑みを野卑た顔に浮かべる。
薄汚れたシャツに皮のズボン。
1人はその上に毛皮の胴衣を重ね、もう1人はどす黒い染みの目立つマントを付けている。
手にした剣は、その姿に似合わぬ業物で
跨る馬も、首や腕に付けた装飾品もまた、不釣合いに豪華だ。

「ああ、通してやっても良いぜ。その懐ん中のもんと、ついでに武器と馬
 着てるもんも全〜部、通行料に置いてけばな。
 まだ、ちょっと寒いが。何、2人で抱き合って行けば・・・・・」
其処まで話した所で、男の首に短剣が突き刺さりその体が、声もなく馬から滑り落ちる。
何の予備動作も無く短剣を投げ、一瞬にして1人の男の命を奪ったジーグは
仲間の異変にもう1人が身構える隙も与えず、馬を駆り一瞬で肉迫すると一刀の元に切り捨てた。
「話が長い。急いでいると言ったろう。」
「ひぃ・・・。」
「行くぞ。」
ジーグの背後で、遅れて擦れた悲鳴を漏らした案内人に短く告げ。
再び馬を駆ろうとした瞬間、周囲の闇の中から大勢の人馬が湧き出した。
目で確認できるだけでも、13人。
木立の中には、他にもまだ気配が有る。
怒りと欲望にギラつく男達の獰猛な面構えに、案内人が再び哀れな悲鳴を上げた。

前哨を叩いた今の派手なパフォーマンスで、手出しを見合わせて欲しいと思ったのだが
どうやらそう上手くは行かなかったらしい。
技量で敵わずとも、数に頼めば仲間の敵が討てると踏んだのだろう。
ジーグは次ぎの瞬間、馬首を返すと野盗たちに背を向け
逃げ出そうとしていた案内人の襟首を捕まえた。

「逃げるな。此処に居ろ。お前のことは必ず俺が守る。
 お前の案内が必要だ。もし逃げ出したら必ず見つけ出してお前は俺がこの手で殺す。
必ずだ。いいな。」

冷え切った声で告げられる言葉に、硬直する案内人を放す。

「繰り返すが、俺は急いでいる。手加減してやる余裕も無い。
死にたくなかったら其処を退け。」

ジーグは剣を抜き、振り返ると野盗達と向き直った。

(2008.1.26)
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