ACT:61 選択



「随分、面白い事になってるね。」

信じられない程近くで発せられた声に、耕太は文字通り飛び上がると
弾かれたように声の方へと振り返り、驚きに息を詰めた。
そこには、振り返った耕太にぶつかりそうな程の距離で
1人の男が上体を屈め耕太の事を覗き込んでいた。

その有りえない近さに、耕太は思わず上体を引いて距離を取る。
耕太はその男に見覚えがあった。
と、言うよりも男は一度見たら忘れようが無いほど、印象的な容姿をしていた。

緩やかに波打つ豪奢な金の髪と、左右の色の違う瞳。
右目は金色の光りを湛える、明るい琥珀色
左目は硝子を嵌め込んだような、薄い蒼

「お前!」
耕太が男に会ったのは、この世界に来て間もない頃。
ジーグと言い争いをした勢いで飛び出して迷子になった耕太の窮地を
・・・一応、救ってくれた形になる。
にも関わらず、耕太の男に対する印象は"胡散臭い"だ。

「やあ少年、久しぶりですね。
ああ、そう言えば、君には貸しが有りましたね。」

"貞操の借りは貞操で"

場違いな程明るく響く声に
思い出したくも無い男の言葉が脳裏に甦り
耕太は青ざめ座った体勢のまま這うように後退る。
そんな耕太の反応に、男は声を上げて楽しそうに笑った。

左右の違う目の色や
音を立てないしなやかで無駄のない動きから
男は長毛種の猫を思わせる。
その気品有る整った顔には、穏やかな笑みが浮かんでいるというのに
男から感じるのは親しみではなく、得体の知れなさだ。
機嫌よく細められた瞳に、狩りを楽しむ猫科の肉食獣の残酷さがにじみ出ている気がした。

突然現れた男に、ジーグは身構え
油断無く男の様子を伺いながら剣を手に
後退る耕太を庇うように男との間に割り込んだ。

男が声を発する、その瞬間まで
人の居る気配を全く感じなかった。
まるで空気から湧いて出でもしたかのような唐突な出現だけでも
ジーグを警戒させるには十分過ぎる異様さだ。
剣を構えたジーグの背後で、ゆっくりとテレストラートが立ち上がる。

「耕太におかしな真似はしないで下さい。」
「これは心外ですね、ロサウの息子よ。」
きつい眼差しと共に発せられたテレストラートの言葉を
男は笑顔で受け止める。
「誰だ?」
男とは面識のないジーグがテレストラートに問いかける。
「ガーシャ・ルウ。」
「あれが?」
ジーグは以前にゼグスから聞いたその名の人物を思い出した。
「はい。オーク老の古くからの・・・友人です。」
ジーグは怪訝な顔をする。
オーガイの戦いの後、テレストラートに反魂の術を施し死亡した術師のオークは
齢300歳とも噂される老人だった。
ゼグスの話では、その老人の父の代から村に訪れていたと言われている男が
目の前の人物なら、男は不自然に若すぎる。
男はどう見ても20代後半と言った外見だった。

「ガーシャ・ルウ。いったい、何の御用ですか?」
「ずいぶんと困っている様子だったので、助けてあげようかと思ってね。」
ガーシャ・ルウの言葉に、ジーグと耕太が目を見開く。
しかし、対するテレストラートの言葉は簡潔なものだった。
「必要ありません。」
「そんなに嫌うな、ティティー。虐めたくなるだろう?
お前にとっても良い話だと思うが。
 聞くだけなら、損はしないでしょう?」
「聞きたく有りません。」
「お前の大切な坊やは、そうは思っていないみたいだが。」

ガーシャ・ルウの言葉に、テレストラートは側に佇むジーグに目をやる。
ジーグはガーシャ・ルウを知らない。
剣を油断無くかまえ、正体の掴めない男に対し全身で警戒している
だがその瞳に動揺と、縋るような色をテレストラートは見て取った。
『ティティー・・・。』
耕太も不安げに身の内から、声をかけて来る。
確かに状況は八方塞。
これは、闇にもたらされた一条の光りかもしれない。
それでもテレストラートはガーシャ・ルウの話を聞きたくなかった。
聞いてしまえば断る事が出来ない内容なのは分かっていたから。

慈愛さえ感じさせる、優しい微笑み。
それは望みを叶える代償として、魂を求める悪魔の笑みだ。

「話を、聞かせてくれ。」
「ジーグ!」
ジーグの応えにテレストラートが声を上げる。
「とにかく話だけでも聞こう。頼むから・・・。」
ジーグの真摯な瞳にテレストラートは何も言えなくなる。
たとえ相手が悪魔だと分かっていようと、今のジーグは取引に応じるだろう。
「テレストラート。」
重ねて言われ、テレストラートの瞳が迷うように揺れる。

「どうします?」
沈黙に飽いたように、それすらもどこか楽しんでいるような声でガーシャ・ルウが決断を問う。
テレストラートは視線を上げ睨むような強い眼差しをガーシャ・ルウに向けた。
「その前に聞かせて下さい。」
「いいですよ。」
「禁書の封印を解いたのは、貴方ですか?」
「いいえ。」
「イオクの裏で、糸を引いているのは?」
「違う。」
即答で返される言葉の真意を見定めようとするかの様に
テレストラートは真っ直ぐな視線を向け続ける。
「そんな目で見るな、ゾクゾクするだろう。」
茶化すようなガーシャ・ルウの言葉に、テレストラートが視線をきつくする。
そんなテレストラートの様子にガーシャ・ルウは楽しげな笑い声を上げる。
「本当にお前は可愛いなぁ。で?質問はそれで終わりですか?」
ガーシャ・ルウの言葉にテレストラートは観念したように溜息をついた。

「それでは、話を進めようか。」
ガーシャ・ルウの右手が上がり、宙に小さく印の様な物を結ぶ。
その動きに誘われるように空気が動き、白いもやが渦を巻き
一瞬前まで何も無かった空間に、1人の人間が立っていた。
その姿を見た耕太が引寄せられるように前に出る。

『オレ・・・だ。』
ガーシャ・ルウの横に目を閉じて立つのは、元の世界で17年間生きてきた耕太自身の姿だった。
「そう、君の記憶から形作った君の体です。良く出来ているでしょう?」
テレストラートにしか聞こえていないはずの耕太の言葉に応えを返されて耕太は驚く。
この男は心まで読むのだろうか。
今更ながら得体の知れなさに薄ら寒いものを感じたが
今は目の前の自分の体の方が気になる。

耕太の意識がテレストラートを動かし、
恐る恐る近づき、懐かしいその姿にそっと手を伸ばす
しかしそれは指が触れる寸前、まるで煙が空気の動きに乱されるように
ゆらリと揺れて形を崩した。
「ああ・・・。」
「これは、空気中の成分だけで作った幻みたいな物だからね。
 でも、ちゃんとした材料をそろえれば、本物と寸分違わない肉体を作ることも出来ます。」
実に簡単な事だと言わんばかりの口調に、耕太は呆然とガーシャ・ルウを見上げる。
あまりにもあっさりと差し出された解決策に、ジーグも呆気に取られたように立ち尽くしている。
あれ程までに絶望的だと思われた状況の急激な変化に、耕太の頭はついて行けない。
疑念と喜びに混乱する耕太に変わりテレストラートが後を引き継ぐ。
「そこに魂を移すことも?」
「もちろん。」
テレストラートは考え込むように視線を伏せ、しばらくしてガーシャ・ルウに尋ねた。
「それで、あなたは何をお望みですか?」
ガーシャ・ルウは物分りの良い生徒を見つめる教師のような満足げな笑みをうかべて答えた。
「賢者の石。」
「賢者の石?」
テレストラートが意外そうに聞き返す。
人に不老不死をもたらすとされている伝説のその石は、確かに貴重なものでは有るが
その力は人間では制御しきれず、現にテレストラートの体を蝕み死に近づけている元凶だ。
ガーシャ・ルウが何にそれを使うつもりなのか、気にならないでもないが
決して惜しい物ではなかった。
しかし・・・。
「それは・・・私の中に溶け込んでしまっていて、取り出す手立てを私は知りません。」
「それは私がやるから大丈夫。」
「条件は、それだけですか?」
賢者の石がガーシャ・ルウの手に渡るとは言え、その条件は
余りにもこちら側に有利なように思えて、テレストラートは重ねて確認する。
だがガーシャ・ルウの応えはあっさりとしたものだった。
「それだけです。」
「貴方は石をどうするつもりです。」
「別にどうも。あれは元々私のものです。
昔、オークに賭けで負けて取られてしまってね。
死ぬときには返してくれる約束だったのですが、勝手に死んでしまって。
まさか石を使ってしまうなんて、とんだ契約違反だが死んだ相手に文句を言っても仕方がないですからね。
確かに自分の物を取り戻すのに、余計な手間を掛けさせられはしますが
まあ、あれには随分楽しませてもらった事ですし
今回のことは手向けと言う事で済ましてあげます。」
何時も人を小馬鹿にしているように聞こえるガーシャ・ルウの言葉が
オーク老を語る時に柔らかく響くのをテレストラートは驚いた様に聞いていた。
「まだ、何か納得いかないですか?」
「いいえ。でしたら・・・」
諾の答えを口にしようとしたテレストラートをさえぎって、ジーグが口を挟む。

「ちょっと待て。テレストラートは賢者の石で甦った。
石を取り出したら死んでしまうのではないのか?」
賢者の石こそがテレストラートを蝕んでいる事実を知らされていないジーグが不安を口にする。
「それは大丈夫。反魂で一番難しいのは、魂を呼び出すことです。
体に宿らせることなど造作も無い。
石はその為に使われ、今は防腐剤ぐらいの仕事しかしていない。
魂はすでにここに有るのだし、体が正常なら離れて行ったりはしないでしょう。
体は傷を受ける前の状態に私が責任を持って戻してあげます。
心配なら魂を体に結び付けてやっても良い。石はもう必要ありませんよ。」
「どうやって体から石を取り出す?」
「難しいことは何もない。体を交え私の中に取り込む。」

「なっ・・・んだ・・と」
『!!!!!?』
「・・・・・・。」

サラリと吐かれた言葉の内容にジーグが言葉を無くす。
テレストラートも驚いたようにガーシャ・ルウを見つめる。
さすがの耕太も自分の状況も忘れ、驚いた。

「そんな事、誰がさせるか!」
怒気を孕んだ声を発し、剣を構えなおしたジーグをガーシャ・ルウは面白そうに見ている。
何か思案していたテレストラートは、そんなジーグを手で制すると、静かな声で答えた。
「その契約、お受けします。」
「『ティティー!!』」
内と外で沸き起こった非難の声に、ティティーは諭すように説明する。
「私には賢者の石は必要有りません。それで、問題が解決するなら
悪い条件では無いでしょう?」
「お前、話を聞いてたのか?」
『ティティー、よく考えろよ、身売りまでして・・・』
「耕太、体が欲しくないんですか?」
『そりゃぁ・・・でも』
「では、私の体で我慢してもらえますか?」
それはテレストラートに死ねと言う事だ。
けれど、耕太の体を得るにはテレストラートに死ぬほどの屈辱を与える事になる。

「ジーグ、この不自然な状態を続けるのはもう限界です。
耕太か私が消えるしか有りません。私は耕太を消すことは絶対にさせません。
ガーシャ・ルウの契約を受け入れるか、私が死ぬかです。」
「・・・・・・・ティティー」
「私は生娘でも、子供でもありません。
減るものでも有るまいし、たいした事ではありません。」
語気を荒らげる事もなく、淡々と言ってのけるテレストラートを前に耕太もジーグも言葉を失う。

"自棄(やけ)になってる・・・"

こうなったテレストラートに手がつけられる者は誰も居ない。
それでもジーグは納得することが出来ない。
「ティティー・・・」
「大丈夫です。」
テレストラートに吹っ切ったような微笑を向けられて、それ以上言葉を継げなくなる。

それらのやり取りを実に楽しそうに見物していたガーシャ・ルウが声をかける。
「契約は成立かな。」
テレストラートは真っ直ぐガーシャ・ルウを見返し。
「何を集めればよろしいですか?」
それを答えとした。

(2007.11.24)
一言でもご感想頂けると嬉しいです!! →     WEB拍手 or メールフォーム 
前へ。  作品目次へ。  次へ。