ACT:60 決壊



遠ざかるジーグの背中が見たくなくてテレストラートは目を閉じた。
その名を呼んでしまいそうな衝動を抑えるために、唇を噛み締める。

もう一度、今、彼の顔を見てしまったら・・・私は

しかし、ジーグは振り返りはしなかった。

行かないで。
早く居なくなって。


一刻も早くこの場を立ち去りたかった。
理解しきれない、理解したくない事態に頭が混乱していた。
今テレストラートの顔を見ていたら、彼を罵り攻撃してしまいそうだった。
とにかく頭を冷やさなければ。
足早に立ち去ろうとしたジーグは、しかしマントを引かれて反射的に振り返った。
テレストラートが左の手で、ジーグのマントの裾をしっかりと掴んでいた。
その顔には何の感情も浮かんではおらず、まるで人形のような無表情。
その唇が微かに開き、何か訴えかけようとするかのように微かに震える。
「・・・テレストラート?」
訝しげに問いかけるジーグに向け、テレストラートの口から言葉が零れる。
「・・・グ、行くな・・・ティティーは・・・し・・と、して・・・」
テレストラートの右手が上がり、言葉を遮るように自らの唇を塞いだ。
「コータ、か・・・?」
驚きに目を瞠るジーグの前で
感情を宿さなかったテレストラートの蒼い瞳に、みるみる動揺が浮かび上がる。
「テレストラート、何を企んでいる。」

次ぎの瞬間、テレストラートは踵をかえすと一目散に逃げ出した。
ジーグは一瞬呆気にとられ、対応が遅れた。
まさかテレストラートが否定も言い訳もせずに、逃げ出すとは思わなかったのだ。
だがすぐに自分を取り戻すと逃げるテレストラートを追い走り出した。
「待て!テレストラート、止まれ!」
出遅れたとは言え、足はジーグの方がテレストラートよりはるかに速い。
なのに追いつくどころか、距離が広がる一方だ。
まるで大地が粘着質に変化したかのように足に絡み付き
空気は密度を増したかのように、行く手を阻む。
精霊たちが邪魔をしているのだ。
まるで水の中を歩んでいるかのようなもどかしさ
これではテレストラートを逃してしまう。

「コータ!テレストラートを止めてくれ!」
叫んだ瞬間、テレストラートの足元が乱れ、止まる
しかしそれは僅かな間の事で、すぐにまた走り出した。
が、その間に距離を詰めたジーグがテレストラートの体に当るように飛びつき
その体を捕えて地面に引き倒した。
尚も逃れようともがくテレストラートをジーグは力づくで押さえつける。
「嫌!離して下さい!!」
「テレストラート!お前、何を企んでいる!」
テレストラートはジーグを決して見ようとはせず
ただ身を捻り無茶苦茶に足掻く。
「離して下さい!離して!」
完全に取り乱しており、手が付けられずジーグは暴れる体を引き起こし、抱きしめ
自分の腕で動きを封じる。
「落ち着け、ティティー・・・!」
「嫌だ!離せ!!」
テレストラートの感情に感応した精霊が、風を起し
空気の刃がジーグの皮膚を切り裂く。
それでもジーグはテレストラートを離さなかった。
噴き上がる血が風に乗り、視界を一瞬赤く染め、辺りに鉄錆びた匂いが漂う。
それによってジーグを傷つけた事に気づいたテレストラートが
自分のした事に驚き、動きを止めた。
「あ・・・あ・・・っ」
擦れた声が唇から零れ、その体が震え出す。
「テレストラート、大丈夫だ。
俺は大丈夫、落ち着け。ティティー落ち着くんだ、大丈夫だから。」
取り乱し、浅い呼吸を繰り返し、大きく体を震わせるテレストラートを
ジーグは腕の中に抱きこみ、強く抱きしめながら
根気良く宥めるように囁き続ける。
「落ち着け・・・ティティー、落ち着け。」

力強い腕、優しい声、心臓の鼓動
欲しかった温もり
テレストラートは次第に落ち着きを取り戻し、それと共に酷い疲れを感じた。
抵抗する気力も失われて行く。

腕の中の体から力が抜け、呼吸が落ち着いた深いものになって行くのを確認し
ジーグはテレストラートを逃さぬよう、警戒しながら腕の力を緩め
放心したような彼を、その場に座らせ、ゆっくりと落ち着いた調子で話しかける。
テレストラートはただ呆然と宙を見つめ、もう逃げようとはしなかった。
「テレストラート、何を隠している?
 何を脅えているんだ?
 ティティー、全部俺に話せ。」

それでもテレストラートは緩く首を振る。
駄目だ。流されるな。
「何も・・・。」
「ティティー、俺の目を見ろ。」
それでも、顔を上げようとしないテレストラートにジーグは声の調子を変えないまま言う。
「分かった。では、コータに変われ。」
「ジー・・・」
驚き抗議の声を上げようとするテレストラートの言葉を遮るようにジーグが呼びかける。
「コータ、出て来い!」
「ジーグ!ティティーを止めて!!ティティーが・・・」
表に出るなり喚き出した耕太が突然動きを止める。
「テレストラート!」
咎めるように声を上げたジーグを見上げ、苦しげに訴える。
「止めて下さい・・・耕太に語らせないで。
 ・・・私が、全部話しますから。」
搾り出すようにそれだけ言うと、再び視線を落とした。


テレストラートは考えを纏めようとするかのように
しばらく握り締めた自分の手を見つめていた。
ジーグは急かす事はせずに、テレストラートが話し出すのを黙って待つ。
沈黙の後、テレストラートは静かに話しだした。
「この体は・・・死ぬほどの衝撃を受けました。
その上、不完全な反魂の術が掛けられています。
その術は禁呪。死者を完全な形で甦らせる事は人間には出来ることではありません。
不完全な術により、体の傷は癒えぬまま
魂は2つの人格を宿し、その上にこの身に宿る精霊と呪力
そして制御しきれない反魂術の力の影響。
負担が大きすぎるのです。
この体は・・・いずれ崩壊します。
そう・・・長くは持ちません。」
「何、だって・・・?」
「でも、私が目覚める前。耕太には何の異変も無かった。
 耕太自身には精霊も、力も宿ってはいないから。だから、元に戻そうと思います。
 そうすれば、不完全な術に縛られるこの体でも耕太の一生分ぐらいは持つはずです。」
「それは・・・」
「私はこの体を耕太に返して、消えます。」
「な・・・んで、そんな事を・・・」
「ごめんなさい。貴方に知られたくなかったのです。
知られるのが怖かった。」
「それで、俺を・・・遠ざけた?隠し通せると思っていたのか?」
テレストラートはうな垂れる。
「ふざけるな!俺は認めない。何か他に方法が有るはずだ!」
「いいえ・・・ジーグ。いいえ、無理です。」
「無理なものか!こんな馬鹿な話が有る物か!
 何処かに・・・タリスでも、ホクトだろうと赴いて!」
「ジーグ、時間が無いのです。」
「まだ、お前は生きてる。最後まで諦める事は無い!」
「ジーグ聞いて。融合が始まっているのです。
 耕太と私を間違えたでしょう?2つの人格が混ざり始めているんです。
 これ以上融合が進めば、人格を切り離せなくなる。
 迷っていては、耕太一人さえも助ける事が出来なくなってしまいます。」
「そんな・・・だが、
本当に・・・。お前を救う方法は何も無いの・・・か・・・?」
「ジーグ、私は1度死んだ人間です。
私は、あなたにもう一度会えて・・・」
ジーグはテレストラートの言葉を遮るように
その華奢な体を掻き抱き、呻いた。
「言うな・・・クソッ・・・クソ―――――ッ」
消えてしまうと言うのか?また、あの時のように。
テレストラートはここに居るのに、確かに今ここに居るのに!
ジーグの体を以前にも感じた深い喪失感が蝕む。
その存在を確かめようとするかのように、彼を抱く腕に力を込める。

「ティティーを救う方法は有るよ。方法はもう一つ有る。」
突然口を開いた耕太にジーグは驚きの目を向ける。
その瞳に宿る縋るような色は、しかし続く耕太の言葉に凍りついた。
「この体を保つには、精霊を手放し力を封印し人格を一つにすれば良いんだろ?
話を聞いてから、ずっと考えてたんだ。それは俺じゃなくても良い筈だ。
ティティーを残してオレが消えれば。」
「何を・・・莫迦な・・・」
言葉を無くすジーグに変わり、テレストラートが内側から抗議する。
『何を莫迦なことを!そんな事、駄目です!』
「何で?同じ事だろう?」
『同じでは有りません。残るのが私では力を封じきれる保障は有りません。
精霊たちも、戻ってきてしまう可能性が有る。
そんな不確実な状況で貴方を犠牲に出来る筈が無いでしょう!』
「やっぱり出来るんだ。可能性の話だろ?やってみなくちゃ分からないじゃないか。
オレだって駄目かもしれないし!」
『耕太!!』
「皆が必要としているのはオレじゃなくってティティーだ。
 この世界の為にも、ジーグの為にもそれが一番良い方法だと思う。」
『耕太、待って下さい。そんなの意味が・・・』
「力が無ければ自分に意味が無いなんて言うなよ!ティティーの価値はその力なんかじゃない。
 それに、どうせオレは元の世界には帰れないよ。
だから良いんだ。」
『そんな事・・・!絶対に元の世界に戻してみせますから!』
「どうやって?
 だってティティーは死ぬ気じゃない。
 この体をオレに引き渡して、それで?
オレにこの世界で1人で生きて行けって言うの?無責任だよそんなの。」
『それは・・・長老たちが・・・。』
「無理だよ。分かってるでしょ?
 オレを返せる人間なんて居ない。だからもう良いんだ。」

耕太が1人語る話の不穏な内容に、会話としては聞き取れず蚊帳の外のジーグが低く唸る。
「一体、何を話してる!」
「ジーグ!耕太を止めて下さい!彼が犠牲になる必要なんて無い!」
「ジーグ、ティティーを説得しろよ!彼が必要だって!彼に死ぬなって言えよ!」
入れ代り立ち代り、現れてはまくし立てる2人にジーグは戸惑う。
「ジーグ、ティティーが好きなんだろ?彼を助けたいんだろ?」
「駄目です!耕太、莫迦な事言わないで下さい、私は・・・」
「ジーグ。
ジーグが選べよ。オレかティティーか。」
耕太はテレストラートを押さえ込み、ジーグに決断を迫った。
ジーグは絶対にテレストラートを選ぶはずだから。
けれど、ジーグは絶句して答えを口にしなかった。

それを見て、耕太はとても嬉しく感じている自分に驚いた。

テレストラートと天秤にかけたら
ジーグは世界だって捨てかねないと思ったし、実際そうだろう。
自分も、最終的には選ばれない
それは分かっているけれど
それでも自分の為にジーグは悩み、心を痛めてくれる
それが、嬉しかった。

そんな事で、嬉しいと思う自分て結構、健気だよな・・・
と暢気にも思う。

「オレ、ジーグが好きだよ。
テレストラートも好きだ。今まで色々、ありがとう。」
だから、これで良いはずだ。
それ以上深くは、怖いから考えない。

まるで別れの言葉のような耕太の台詞に、思わずジーグが声を上げる。
「テレストラート、コータを止めろ!」
「絶対にさせません!」
押さえつけられていたテレストラートがそれに応えるように、耕太を押しのける。
『わ、莫迦ジーグ何言ってんだよ!オレがせっかく・・・』
「耕太、私は貴方を犠牲にしてまで生きる気は有りません。」
『オレだって同じだ!オレを残して逝ったら死んでやる!』
「2人とも止めろ!頼むから止めてくれ!」
ジーグが悲痛な叫びで2人を遮る。
「体がもたないと言うなら、他の体に移る事は出来ないのか?」
「それは無理です、死体に魂を移しても同じ事。
 肉体が耐えられずにすぐに崩壊を起します。」
「生きた人間の体なら?俺の魂を封じてどちらかがこの体に移れば良い。」
「駄目です!」
『そんなの駄目だ!』
ジーグの言葉に驚き、テレストラートと耕太が同時に拒否する。
納得がいかない様子で言葉を続けようとするジーグを見上げ
テレストラートは客観的な事実を冷静に説明しようと試みる。
「ジーグ・・・本当に、出来ないのです。
魂と肉体はそう簡単に切り離したり入れ替えたり出来るモノでは有りません。
肉体と魂は対の物。他の器に入れても合わないのです。」
「じゃあ、どうしたら・・・!」
ジーグの言葉にテレストラートは首を振る。
ジーグがギリッと歯を噛み締める音と、低い呻きが空気を揺らした。

強くなりたかった。
兄よりも、父よりも、誰よりも強く。
子供の頃からずっと、そう思ってきた。
強く有りさえすれば、全ての望みは適う
周囲に自分を認めさせ、敵をねじ伏せ、国のために生き
悔いの無い人生を手に入れられるのだと、そう信じて疑わなかった。
剣の腕を磨き、誰にも負けないよう・・・そして自分は、確かに強くなった。
あの頃、自分が思い描いていた様に。

けれど実際には、どうしようもなく無力だ。
何一つ、守る事も出来ないではないか。
自分の祖国も
共に育った親友も
ガーセンで一番強くなるだと?
ただ1人の人間さえ守る事が出来ないのに!!

「何故だ・・・何故だ、何故だ、何故だ!!一体これは何の仕打ちだ!」
「ジーグ・・・」
感情を抑えきれずに叫ぶジーグをテレストラートは切なげな表情で見上げた。
「ごめんなさい・・・
 私が・・・目覚めなければ良かったのに・・・。」
「違う!そんな事、有るもんか!!」

悪いのはテレストラートじゃない。
では、一体誰が悪いというのだろう?
何故何度も、俺からテレストラートを奪う?
己のエゴの為に、大切な者を守らなかった俺に対する罰なのか?
「クソッ!!」
ジーグは感情の矛先を定められず、自らの拳を木に叩きつける。
木が重い振動と共に揺れ、ジーグの拳が裂けて血が流れ出す。
テレストラートがジーグの発する怒りに打たれたように、その身を竦めた。
それでも収まらずジーグは剣を抜き放ち、手近な木に斬り付けた。
湧き上がる暴力的な衝動を、抑える事ができない。

「クソ――ッ、クソぉッ!!」
どうしたら良い、一体どうしたら・・・
自分で代われるものなら、喜んでそうするのに!
何故、この2人なんだ?
何故、どちらかが犠牲にならなければならない?
何故、何も出来ない!
何を差し出しても良い、出来る事なら何でもするから
誰でもいい、神でも、悪でも構わないから
誰か、助けてくれ!!
コータを、テレストラートを・・・。

気が違ったように木立を斬り付けるジーグを
テレストラートは地面にへたり込んだまま放心したように眺めていた。

一体、自分は何をしているのだろう。

ジーグを苦しめたくなくて
彼を騙して
辛い思いをさせてまで遠ざけて
結局隠し切れずに、かえって彼を追い詰めて
守るべき耕太にまで・・・あんな決断をさせて

そして彼をまたおいてゆくのだ。

「ごめんなさい・・・」
つぶやいた言葉は声にならない程に微かだった。

もう・・・疲れてしまった。

テレストラートはうな垂れ、体の主導権を放棄した。
「ちょ・・・ティティー、大丈夫?しっかりしろよ!」
耕太は焦って声を上げる。
テレストラートは衝撃に打ちのめされて、憔悴しきっている。
張り詰めていた気力が尽き果てて、弱りきってしまっている。

自分がテレストラートの変わりに犠牲になると、大きな事を言ったものの
実を言うと耕太には、どうすればそれが出来るかなんて皆目見当もつかなかった。
テレストラートを説得できなければ、全てはお終いなのだ。
ジーグにならそれが出来ると思っていたのに。

頼みのジーグは切れてしまっているし
ティティーは放心状態
精一杯の意地をはって、あんな宣言をしたと言うのに。
耕太は泣きたくなった。
一体、オレにどうしろと!?
神様、仏様〜誰か、何とかしてくれよ〜〜〜。

その時、突然その声はした。
まるで、すぐ耳元で発せられたかのようにハッキリと。
「随分、面白い事になってるね。」

実に楽しげな、笑いを含んだ声で。

(2007.11.17)
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