ACT:38 楽園 


ジーグが部屋に入って行くと、耕太が真剣な様子でテーブルに向かい作業に没頭している。
テーブルを覗き込んで見ると、小さな木の実から不器用な手つきで殻とその下の薄い皮を剥いでいるのが分かった。
小さなナイフを握る手つきは、見ているこちらが怖くなるほど危うい物だったが
テーブルの上にはきれいに皮を向かれた白い実と、剥がされた殻が既に小山を作っている。
「・・・・何を、している?」
眉をよせ怪訝そうに尋ねるジーグの問いかけに、顔も上げず不器用な作業を続けながら耕太は答える。
「この実、武器の手入れに使う油を作れるんだって。その為に剥いてるんだ。」
その小さな木の実―――――正確には実の部分を取り除いた種から搾り出す油は、金属を錆から護り、油分の付着も防ぐ効果がある為、矢じりや槍の穂先、剣の手入れに多く用いられるのはジーグも、もちろん知っている。
尋ねているのはそう言う事ではなく
「何故、お前がそんな事をしているのかと訊いているんだ。誰に頼まれた?」
「誰でもない。オレが頼んでやらせてもらってるんだよ。」
「何故?」
「皆、戦で忙しいし・・・オレも何か少しでも役にたてる事ないかなぁって、思ってさ。」
「そんな事、お前はしなくていい。」
「良いだろ、俺がしたくてやってるんだから。
 皆自分の役目を果たしてるのに、オレだけサボって遊んでるみたいでさ・・・精神衛生上良くない。
役立たずを思い知らされてる感じ?他にする事も無いしさぁ〜」
「だからお前はそんな事、気に病む必要は無い。お前は十分犠牲を払ってるだろう?」
「それほどオレ図太くないよ。結構これでも繊細なんだぞ・・・痛てッ」
小さな苦痛の声に、ジーグが弾かれたように耕太の手を掴み、有無を言わさずナイフを取り上げる。
木の実の表面を滑った刃が、指を浅く切り血が流れ出している。
その他にも、既に幾つもの小さな傷が有り耕太の手はボロボロだった。
清潔な布で、手の汚れを拭ってやりながらジーグがあきれた様に言う。
「まったく・・・不器用なくせに、何をやってるんだ。手が傷だらけじゃないか。」
「・・・・・ごめん。」
とたんに、すなおに謝ってくる耕太を訝しく思い視線を向けると肩を落とし、落ち込んだ様子で再び謝ってくる。
「ごめん。テレストラートの体を傷付けた。」
「お前・・・そんな事を言ってるんじゃない。痛い思いをしてるのはお前だろ。」
少し怒ったように強い調子で言い、顔を覗き込むが、浮かない様子でうなだれている耕太は目を合わせて来ない。
ジーグは小さく溜息をつき、手を伸ばすと
励ますように耕太の頭をぐしゃぐしゃとかき回す。
その子供を慰めるような仕草に、耕太は恨めしげな目でジーグを見返す。
もし、これがテレストラートだったら、もっと・・・優しく手を回したりして・・・慰めるんだろうに。
思わず浮かんだ自分の考えに、戸惑い顔をしかめて再びうつむいた。
「どうした?何か有ったのか?」
尋ねてくる、心配そうな響きを含んだジーグの声に首をふる。
「別に。いつもの通り。自分の不甲斐なさを噛みしめてるだけ。」
ジーグは俯く耕太の顎を手で捕らえると、強引に上向かせる。
上がった視線の先にいるジーグの予想外の近さに耕太は怯む。
「遠乗りに行くか。」
「・・・はぁ?」
「気晴らしに。少し町から離れよう。」
その申し出にはかなり心が動かされたが、ジーグが忙しいのは知っている。
自分を気遣って無理をさせるのは、嬉しくない。
「いいよ・・・別に。」
視線をそらしてそう告げた耕太に。
「いいから、付き合え。」
ジーグは言って立ち上がる。
「俺が気晴らしをしたいんだ。毎日毎日馬鹿な野郎の下らない話ばかり繰り返し聴かされて、いいかげんうんざりだ。気晴らしでもしないと、あいつらを押さえつけて、生皮を剥いでやりたい衝動を抑えられなくなる。」
笑みを浮かべ、冗談めかして言った言葉に潜む本物の殺気と
少しも笑っていない目に宿る本気に耕太は気おされる。

どうやらそうとう参っているらしい。
「わかった。行く。行きます。」


2人は町を取り囲む城壁を出、フロスを抱くようにそびえるテセ山へと馬を向けた。
霊山とされる山を登る緩やかな道は広く、平らに整えられていたが人気は全く無い。
新緑の美しい木々に美しい声でさえずる小鳥が遊び、爽やかな風が吹いていた
だが、それらを楽しむ事が出来たのもジーグが進路を脇道へ取るまでの事。
森の中を険しく上る道・・・・・とは到底思えないような悪路に
耕太は馬から振り落とされないように、しがみ付いているのに必死だった。
「のわっ・・・落ち・・痛て!ちょ・・と、どこ・まで・行く・んだよ、ジーグ!」
耕太の途切れ途切れの問いかけに、同じ道を苦も無く馬を操り登っているジーグが呆れ顔で振り返る。
「お前・・・下手になったんじゃないか?最近、馬に乗っていないだろう。」
「だ・・・って、必要・無い・だろ・・・もう、それに、この、馬、乗りにくい!」
「仕方ないだろう?お前の馬は山道には向かない。」
耕太が乗せられたのは、ジーグと同じ軍馬で
そのデカイ図体に似合わず、軽快に悪路を踏みしめ登ってくれるのだが
激しくゆれるこの状況で、その太い胴体の上でバランスを取る事は耕太にとっては曲芸にも等しい。
景色を楽しむどころの話では無い。
「こんなサバイバルな事しなくっても・・・さっきの道で良いよ。十分良い景色だったし」
このまま喋り続けては舌を噛むと、馬を止め、水筒を鞍から外しながら不平交じりの提案をする。
「あそこは普段、立ち入りが禁じられてるんだ。見つかるとヤバイ。もう少しだから・・・」
「何それ!そんな所に・・・うわ!」
「危ない!」
ジーグの言葉の内容に驚いて振り向いた拍子にバランスを崩し、馬の背から落ちそうになり
咄嗟に伸ばされたジーグの腕に支えられ、何とか落馬を免れる。
「ビックリした〜。」
「お前、何だってそう・・・。」
「何だよ。」
溜息混じりに言葉を切られ、恨めしげに睨みつけるが
馬の首にかじりついた恰好では、あまり迫力は無い。
「こっちに一緒に乗るか?」
「い・いいよ、そんな。1人で大丈夫だって。」
意地を張っては見たものの、馬が倒木を飛び越えれば落ちそうになり
斜面を登れば、落ちそうになり
岩場を下れば、落ちそうになり
とうとうジーグに首根っこを捕まれ、無理矢理彼の馬へと引きずり移される羽目となった。

ジーグは馬と一体なんじゃないかと思うほどの絶妙さで馬を繰る
その安定した体に後から支えられて居ると、酷い山道で馬に揺られるのも何の苦にもならない。
けれども、乗せられた瞬間から耕太は降りたくって仕方が無かった。
目茶苦茶緊張するのだ。

何でなんだろう、以前は平気で乗せてもらっていたのに、今は恥ずかしくて仕方が無い。
これは、やっぱりアレだろうか・・・ジーグがテレストラートと恋人同士だなんて
以前は思いもしなかった事に、気付いてしまったから?
でも、それはオレとは全然関係ない事だし、でも・・・とにかく心臓が喉から飛び出しそうだ。
こんな事なら、馬の首にしがみ付いていた方が何万倍もマシだ!

耕太が逡巡の末に、やはり1人で馬に乗る!と言い出そうと思ったその時に
「降りるぞ。」
言って、ジーグはさっさと馬を下りてしまった。
「へ?ここ?」
あっけにとられ、気の抜けた声で呟きながら辺りを見回す耕太を助け下ろしながら
「目的地はもう少し先だ。ここからは馬は通れないから、歩きだ。」
ジーグは事も無げに告げた。


「何でオレがこんな事〜〜〜」
山の斜面の細い道を、耕太は山肌にへばり付く様にしながら横這いに進んで行く。
「楽しいだろう?」
ジーグはその前を、耕太の手をしっかりと掴んだまま、恐れ気もなく進みながら振り返って尋ねる。
その、無邪気と言っても良いほどの笑顔は、彼が皮肉でも何でもなく
言葉通りこの状況を楽しんでいるだろう事が窺い知れて、耕太は恨みがましい目で見上げた。
今まで馬で来た道も、殆んど獣道といった趣だったが
今のここは、そんな物ではない。斜面に突き出た、出っ張りだ。
絶対これを、道とは言わない。この状態を歩くとも言わない。
別に下は断崖絶壁という訳ではなく、1メートル程下に浅い流れの川がサラサラと(こんな状況でさえ無ければ)心地よい音を立て流れているだけなのだが
足を踏み外し転げ落ちれば、打ち身の1つや2つは出来るだろうし
春とは言えまだ寒いこの時期に、全身ずぶ濡れの憂き目は確実で
命に関わらないからと言って、何の慰めにもならない。
ジーグに腕を引かれてさえ居なければ、この場に座り込んでしまいたい(座れるスペースが有れば、の話だが)ような状況なのに、"楽しいだろ?"だと?この男!
文句の1つも言ってやらなければ、やっていられない。
「遠乗りだって言ったろ〜〜〜遠乗りって言うのは馬に乗って行くもんだ!
 それも、普通、山なんかに登ったりしない。まして、崖にへばりついたりなんて、絶対しない!!」
「もうすぐ抜けるから、がんばれ。そこ、気をつけろよ。」
「人の話、聞いてる!?オレ・・・うゎあ!」
「話しながらだと、落ちるぞ。」
足を滑らせ落ちそうになった耕太を、腕一本の力で軽々と引き上げて慌てもせずにジーグが注意する。
「オレ、もう帰りたい〜〜〜。」
泣き言を言いながら、引きずられる様にしばらく進むと
道は川から離れ、次第に広くなり、なだらかな登り坂へと変化した。
「まだ登るの〜」
「体力無いな。背負ってやろうか?」
ジーグの言葉に、ブンブンと勢いよく首を振り、耕太は長いのぼり道を息を弾ませつつ
やっとの思いで登って行った。

(2007.07.21)
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