ACT:39 呼び声


「着いたぞ。」
ジーグの言葉に肩で息をしながらようやく顔を上げた耕太は、いきなり目の前に開けた空間に感嘆の声を上げる。
「・・・・・凄い。」
広がる平地は学校のグラウンドぐらいの広さだろうか
その半分ぐらいは澄んだ水を湛えた泉で、中心部の深い青はその深さを窺わせる。
人の気配に泉の畔で水を飲んでいた鹿に似た動物が、窺うようにこちらに視線を向けるが
人を恐れる風も無く、ゆっくりとした足取りで歩み去る。
泉の廻りは瑞々しく、風になびく姿も柔らかそうな草に覆いつくされ、早い春の花が咲き優しい甘い香で風を染めている。
平地の奥には、捻じれた幹を絡み合わせ、神々しささえ感じさせる程の大木が枝を泉の上にまで伸ばしていた。
鳥が高く声を響かせる青く晴れ渡った空、木立の向こうに見える山並みは、まだ雪を冠して白く輝いている。
天国と言うのは、きっとこんな感じに違いないと思わせる
正に心が洗われる様な風景。
「すごい・・・凄い、凄い!」
思わず繰り返しながら踏み出した足が踏む、優しい草の感触が嬉しくて
駆け出したいという衝動に突き動かされるまま耕太は草地に走り込んでいた。
「コータ、危ないぞ。闇雲に走ると・・・」
「ぅわっ!」
ジーグの言葉が終わらないうちに、耕太は草に足を取られて見事に転んだ。
「コータ!」
丈高い草の間に倒れた耕太の、姿を見失ったジーグが焦ったように名を呼ぶのが聞こえたが
柔らかな草に受け止められ、何処を打つ事もなかった耕太は、濃厚な緑の匂いに包み込まれ酔ったかのように、何だか無性に楽しくなってそのままクスクスと笑い出した。
「大丈夫か・・・まったく、お前は。」
走り寄ったジーグが、寝転んだまま笑う耕太を覗き込み呆れたように呻いた。
そのまま視線を上げ、辺りを見回すと感慨深げに呟く。
「何時でもここは、変らないな。」
「よく来るの?」
「昔はな。」
「テレストラートと?」
「そう言えば、あいつとは来る機会が無かったな。」
その言葉を聞いて、心臓が変な感じに脈打った。
テレストラートも来ていない、秘密の場所をこっそり教えられたような気がして
何故だか妙に嬉しくなった。
「来てよかっただろう?」
「うん!」
耕太は散々ついた悪態を、綺麗さっぱり忘れたような晴れやかな顔で答えた。
こんな絶景なら、あの苦労をしてでも見る価値は十分有る。
帰りにもう一度、あの道を下らなければならないと言う事実は・・・今は忘れた事にしておこう。
そこまで考えた所で、ジーグがテレストラートをここに連れてこなかったのは
あの悪路をテレストラートに体験させるのを避ける為だったのでは?という考えに当り
自分が特別な訳では無いのかと少しだけ嬉しい気分が萎んだ。

何でジーグに特別に扱われるのが嬉しいと思うのだろう?

そんな考えに捕らわれていた耕太の隣に、ジーグが腰を
下ろす
急に黙り込んだ耕太を心配そうに覗き込み、転んでどこか打ったのか?と訪ねられ
あわてて首をふって否定し、一緒に考えも振り払った。
「ねぇ、あの泉泳げる?」
「まだ、泳ぐのには早いだろう・・・。」
「今じゃないよ!夏になったらさ。また、連れて来てくれる?」
「ああ。」
「本当!約束!!」
「分かった。」
ジーグとの約束を取り付けると、耕太はソワソワと辺りに視線をとばす
「あの木、大きいね〜何て木?樹齢何年ぐらいかな?あ!今見た?魚跳ねたよ
 結構デカイやつ!」
「あんまり勝手に1人で歩き回るなよ。また転ぶぞ。」
「転ばないよ、子供じゃあるまいし!・・・そんなに、何度も。」
「危険な動物もいるんだからな。」
「え!!嘘!」
泉を眺めていた耕太は、ジーグの言葉に思わず慌てて振り返り
ジーグの意地の悪い笑いを眼にする。
「あ〜人を脅かしてからかってるな!」
「違う、違う。本当にいるって。」
非難する様に振り上げた耕太の手を、笑いながらよけたジーグはそのまま草の上に寝転んで、手足を伸ばし大きく息をつく。
「ジーグ、疲れてる?」
「いや。」
「忙しいんでしょ?」
「ああ・・・会議会議で嫌にはなるな。埒も無い事をなんどもグダグダと・・・まったく。
 戦場で命張っていた方がずっといい・・・。」

ここの所テレストラートは戦の時と、御前会議など、王からの呼び出しが掛かる時しか目覚めない。
耕太が代わりに出席する事も有るが、国内の人物が中心の会議では
代理としてジーグが駆り出される事が多かった。
「最近本当に多いよね、会議。時間も長いし、オレこの間寝そうになっちゃった。
 戦争ってあんなに会議とか、打ち合わせとか色々有るもんなんだね。」
「国同士の思惑が係わってるからな・・・。」
「政治ってやつかぁ〜めんどくさいね・・・それに偉そうな人達ばっかで、肩が凝るよ
 目つきの悪い奴も多いし・・・ねぇ、ジーグ。ジーグ?」
返事が返らなくなったのを訝しく思い、横を覗き込む
草の上で身体を伸ばしたまま瞳を閉じ、どうやら眠っているようだ。
「ジーグ、お〜い。もしもし。」
それでも、ジーグがうたた寝をする事など、今まで無かったので何か企んでの狸寝入りではないかと疑いが拭いきれずに
顔のすぐ前で手をひらひらと振ってみたり、名を呼んだりしてみるが全く反応が無い。

耕太はその事実に今度は驚く。
ジーグは真夜中に熟睡しているように見える状態でも
たとえそれが戦場でなかったとしても、呼べば今まで眠っていたのが嘘のように
一瞬で完全な覚醒状態で動き出す。
耕太は、ジーグが実は眠らないか、切り替えスイッチがどこかに付いているに違いないと常々密かに思っていたのだ。
それが、うたた寝!それも熟睡!!
信じられないものを目の当たりにして、思わずまじまじと見入ってしまう。

きっと見た目よりも、ずっと疲れているんだろう。
誰も居ない状況で、安心しきっている
自分の横で熟睡するほどに、信頼されているのだと思うと何だかくすぐったい様な妙な気分になった。

眼を閉じていると、きつい眼差しが隠れるせいか普段感じているよりも子供っぽく見える。無邪気とさえ言える寝顔。
特に戦場にいる時の威圧感が半端ではないので忘れているが、ジーグは耕太の兄とそう変わらない年のはずだ。
あっちの世界にいれば、まだ学生でもおかしくない歳。

普段は照れくさくて、じっくりとこんなに間近で見ることなど出来ない
いい機会だと不躾なほどにまじまじと覗き込む。
日に焼けた精悍な顔。眼の下に薄っすらと白く傷痕が有る。
すっと真っ直ぐに通った鼻梁を思わず摘みたくなりうずうずする。
その下のやや薄めの唇。
この唇が自分の・・・テレストラートのそれに触れた・・・一体どんな感触だったろう?
何考えてんだろうオレ、もしかして欲求不満かな?
自分の考えにうろたえ、身を引こうとした時
肩から滑り落ちた髪がジーグの頬に触れて、彼が薄く眼を開く
"やばい!!"
こんな至近距離で、寝顔を覗き込んでいた言訳を、一体なんと述べれば?????
突然の事に思考も体も硬直して、凍りついた耕太にジーグは眠そうな視線を向け
優しく微笑み口の中で何か呟く。
その、驚くほど優しい笑みに、耕太は状況も忘れて思わず見惚れてしまう。
ジーグは手を伸ばすと、自分の顔に落ち掛かる黒髪を握りこみ愛しげに口付けると
満足そうな表情を浮かべて瞳を閉じた。
深く、規則正しい寝息が再び聞こえ始める。

"ね・・・寝ぼけてる。完全に寝ぼけてるよ・・・"
寝顔を覗き込んでいた言訳を並べ立てる事態は免れたものの、ジーグの上に屈み込んだ状態で髪の毛を握り込まれて押さえられたこの状態を、一体どうしたら良いのだろう・・・。
"ど・・・ど・・・どうしよう・・・お願いだから、離〜し〜て〜・・・・・。"


「もしも〜し・・・ジーグ。あの・・・ちょっと、離して。・・・ほしいん、だけ、ど・・・。」恐る恐る小声で話しかけてみるが、幸せそうな寝顔に変化は無い。
もちろん、揺り動かせば起きるだろうが
この状況でジーグを起すのも、何か・恐い。
そのうち寝返りでもうてば、きっと離すだろうとしばらく待ってみるが体勢的にきつくなって来た。
恐々と上体を起し、髪を抜きにかかる。
滑らかな髪は指の間を滑らかに滑り、ゆっくりと抜けて行く。
何とか無事に開放されそうだと思った瞬間に、ジーグが微かに身じろぎ何か呟くのが聞こえた
耕太は慌てて残りの髪を引き抜くと、そのまま転がるような勢いでジーグから距離を取り
恐る恐る様子を伺う。
ジーグはそのまま寝てしまったようで、耕太は安心すると同時に気が抜けてその場にへたり込んだ。
「つ・・・疲れた〜」
俯くと、サラサラと落ちてくる長い髪を、苛立たしげに背中へと払い立ち上がると
耕太はブツブツと文句を呟きながら1人泉の方へと歩いていった。
「だから切りたいって言ったんだ。長い髪なんて手入れが大変なだけで何の役にもたたない。」
これは完全な言いがかりなのは、耕太も自覚していた。
テレストラートの長い髪は滑らかで、寝癖も付かないし、梳くのも楽で
毎朝、寝癖爆発状態だった耕太自信の髪よりも、よほど手間はかからない。
それに何よりとっても綺麗で、テレストラートに似合っていると耕太も思う。
テレストラート自身には意外な事に、この髪に対する執着心はそれほど無く
以前に覗いた、テレストラートの記憶で知る限り、彼の髪はジーグに出会う前はこれほど長かった事は無い。
つまり、この長い髪はジーグの好みと言う訳だ。
テレビか何かで、男が女の人の長い髪が好きなのは、その髪がベッドに広がる様を想像するからだとか言っていたのを思い出して、面白くない気分になる。
「ジーグのムッツリスケベ。」
謂れの無い避難を浴びせながら、泉に石を投げ込む。
髪を切りたい、とテレストラートに本気で言えば、ジーグが反対しても彼は切らせてくれるだろう。
戦に関係ない事柄であれば、テレストラートがジーグよりも自分の意思を尊重してくれる事には自信が有る。
それでも、やっぱり髪を切ろうと言い出せないのは
思いっきりがっかりするであろうジーグが本当は見たくないからか。
テレストラートの長い髪が自分も好きだからか。
何だか、複雑で、面倒くさくって、よく分からない。

水面に広がる波紋をぼんやりと眺めていた耕太の耳に
小さな鳴き声が聞こえた気がして、石を投げるのをやめて耳を澄ます。
「猫?」
甘えるように長く伸びるその声は、子猫のもののように聞こえた。
耕太は家で飼っている、大五郎の事を思い出す
あの温かく、ふにゃりとして重い猫の感触を思い、たまらなく触りたくなった。
「猫、どこだ?猫。」
声に誘われて、平地の奥に生える捩れた大木の根本まで来た
声はその木の上から聞こえて来る。
見上げると、高い枝の上に声の主がうずくまっているのが見えた。
大きさも形も正に猫そのもの。体の割には太い足と、顔の割りに目の大きなあどけない顔つきから、大型の猫科の動物の子供のようだ。
子猫は木の上から耕太を見下ろし、まるで助けを求めるかのような声で鳴く。
「お前・・・降りられなくなったのか?」
耕太の問いに、言葉が分かる訳でもないだろうが応えるように鳴く。
その縋るような(と思われる)瞳に、猫好きの血が騒いだ。
「しょうがないなぁ。考えなしに上るからだぞ。」
にゃ〜と応える愛らしい声に、思わず目じりが下がる。
大木の本体に目をやると、幾本もの細い木が絡み合い一本になったような形状で
足がかりはふんだんに有り、比較的楽に登る事が出来そうだ。
子猫が先端にいる横に長く伸びた枝も、枝ぶりは立派で人が登るのに特に問題は無いように見える。
「今、降ろしてやるからな、待ってろよ。」
にゃ〜という返事に後押しされ、耕太は長衣をたくし上げると、子猫を救出すべく大木に取り付いた。
木の絡み合った立派な大木と見えた太い幹は、実際にのぼって見ると実に脆く
絡み合った細い蔓のような枝は、辛うじて耕太の体重を支えてはいるものの、今にも剥がれ崩れそうだ。
それでも、子猫の助けを求める声に励まされ、足がかりだけは多い幹を何とか枝まで登って行く。
たどり着いた枝は、幹とは違い屋根のように張り巡らされた上の枝から垂れ下がる多数の蔦に支えられたて、つり橋のように揺れはするが安定していた。
ほっと息をつき、子猫へと向かって慎重に進んで行く。
「おいで、大丈夫。怖くないよ、おいで。」
警戒するのではないかと、少し離れた所でとまり優しい声で呼んでみると
子猫は意外なほどにあっさりとこちらに歩み寄り、やわらかな毛で覆われた頭を親しげに摺り寄せた。
「よしよし、恐かったか?もう大丈夫だぞ。」
手を伸ばして抱き上げても、嫌がる様子もなくまるで猫そのもののように、機嫌よく喉をゴロゴロとならしている。
白く柔らかな少し長めの毛に全身を覆われて、背中には美しい灰色の太い筋が一本
頭から長い尾の先まで通っている。
背の筋の周りには、光の加減で美しく銀色に光る斑点が不規則に散らされ
ピンと立った大きな耳と、宝石のような紫の瞳は風格さえ感じさせ、芸術品のように美しい。
けれど、ピンク色の柔らかな肉球やピンク色の薄い舌。全身で甘えるその様は、正に家猫で、その愛らしさに耕太はメロメロだ。
存分に柔らかな毛の感触を楽しみ、可愛らしい顔を見ながら話しかける。
「お前、お母さんはどうした?1人ぼっちなのか?こんなに小さいのに、一人で生きていけるのかな・・・。」
親とはぐれた野生動物が、1人で生きていくのは難しいに違いない。
「このまま、置いていったらどうなっちゃうだろう。連れていっちゃ駄目かな?
人の手で育てる事って出来ないのかな。こんなになつっこいし、きっと・・・
ジーグに相談して・・・。」
連れ帰る算段にまで考えが及んだ時、腕の中で甘えていた子猫が急に毛を逆立て、鋭い威嚇の声を上げる。
「え?」
子猫の視線を追い振り返ると、耕太のすわっている枝の根本に白く長いものがわだかまり、鎌首をもたげこちらを伺っている。
「蛇・・・?」
見た事も無いような大蛇だ。先の割れた舌をチロチロと出しながら、ゆっくりと狙い定めるようにこちらへ進んで来る。
子猫を腕に抱いたまま、耕太は枝の上に立ち、後ずさる。
突然、子猫が身をよじると、耕太の腕からのがれ宙へと身を躍らせ
身軽に地面へ降り立つと、そのままの何事も無かったかのように林の中へと走りさった。

「・・・・・嘘。・・・降りられないんじゃ、なかったの?」
助けに来たはずの相手に、あっさりと見捨てられ、耕太は状況もわすれて呆然と呟く。
ガサッと葉のなる音に振り返り、確実に近づいてくる蛇にパニックを起しそうになる自分を必死で慰める。

落ち着け、落ち着け。大丈夫。いくらでっかい蛇でも人間を飲み込んだりはしない。
あわてて、ここから落ちる方がやばい。大丈夫。別にオレを狙ってる訳じゃない・・・たぶん。
ああいう、デカイ蛇に普通毒は無い、ハズだ。
それに蛇はおとなしい動物だったと思う。怒らせなければ噛んだりしない・・・きっと。
それでも確実にこちらへ這い寄ってくる蛇の目が、自分を見ているような気がしてならない。
何で、こっちに来るんだ?もう子猫はいないぞ、逃げちゃったぞ
い・・・一本道だからこっちに来るだけだ。引き返せないんだ、きっと。
大丈夫、あの大きさの口に物理的に人間が入るわけないんだから・・・

必死に自分に言い聞かせる耕太の目の前で、蛇が見せ付けるように口を開く。
それは、頭の大きさを無視し、長い胴の半ばまで身を割り裂いたかのように裂け
生き物としての体の仕組みなどまったく気にせずに大きく広がった。
人間など、簡単に飲み込める程に。
「うわ〜〜〜〜〜〜」
意識せずに迸った自分の叫び声で、理性が吹っ飛んだ。
喰われる、助けて、誰か、ジーグ!!
助けを求めて視線を泉の向こうへ走らせる。
ジーグがいるのは、あの辺り。寝転ぶ彼の姿が草間に微かに見える。
遠い・・・。その上、爆睡中だ!!
蛇は確実に近づいている
耕太は、声を限りに助けを呼んだ。



テレストラートが傍らにいたはずなのに、姿が見えない。
慌てて起き上がったジーグは少し離れた草の上で眠る彼を目にして安堵の息をつく。
それと同時にこれは夢なのだと自覚する。
眠るテレストラートは現在の彼よりも幼い。
出会って間もない頃の少年の姿だ。
まるで胎児のように身体を丸め、眠るあどけない寝顔に笑みをもらし
ジーグは立ち上がると、彼のそばへと歩み寄ろうとした。
すると突然、テレストラートを包み込む丈高い草が、意思を持ったかの様にゆらめき、絡みつき
ゆっくりと彼を飲み込んで行く。
「ティティー!!」
走り寄ろうとしたジーグの足にも、草が絡みつき前へと進む事が出来ない。
空気がまるで粘度をもったかのように体に纏わり付き行く手を阻む。
これは、夢だ。
分かっている。
分かっているのに、焦燥感が胸を焼く。
ゆっくりと、泥水の中を掻き分けて進むように、ゆっくりと
たどり着いたそこには、テレストラートの姿は既に無く
ジーグは狂ったように地面を掘りおこす
これは夢だ。
それでも、体の震えが止められない。自分の無力さに打ちのめされる。
「テレストラート!!」

"ジーグ・・・"
名を呼ぶ声に、弾かれたように視線を上げる。
"ジーグ・・・助けて・・・"
テレストラートが助けを求めて呼んでいる。
けれど、その姿は見えず何処から声が聞こえて来るのか分からない。
「何処だ!ティティー」
"助けて!ジーグ助けて!!"
神経を集中し辺りを伺うが、生き物の気配すらつかめない闇が広がるばかり。
ただ助けを求める声だけが響き渡る。
"ジーグ!!!"
「・・・コータ?」

自分の呟く声で目が覚めた。
目の前に広がるのは、抜けるような青い空と、風に揺れるやわらかな草。
のどかで、平和な現実がそこに有る。
心臓は未だに不安を訴え、速いスピードで脈打っている。
夢の中で聞いた、助けを求める声が耳から離れない。
ジーグは夢の中から持ち帰った不安を吐き出すように大きく息をついた。

「助けて!!ジーグ!!!」
夢の中と同じ、助けを求める声が確かに耳に飛び込んで来て、ジーグは文字通り飛び起きた。
視線をはしらせ、離れた大木の枝の上に声の主の姿を認めると同時に走り出す。
「あンの馬鹿・・!!」


全速力で平地を走りぬけ、耕太のいる木の下まで来るとジーグは素早く状況を確認する。
耕太の居る同じ枝に、牛呑み蛇がいる。
動くものなら何でも飲み込んで、強力な胃液で消化してしまう
頭も悪く、進むのも遅いが耕太に達するのはもう時間の問題。
すぐ目の前に餌がある状況では、気を逸らすのも難しいだろう。

上っていって、蛇を枝から落とすしかない。
そう咄嗟に判断して、木に取り付くが足を掛けた幹がことごとく脆く崩れさり、上る事が出来ない。
ジーグの体重を支えきれないのだ。
短剣を抜き、絡み合う脆い蔓を貫き通し大木を支えているであろう幹本体に差し込み、足がかりを作ろうとするが、脆い木の奥は驚くほどに固く、足がかりに出来る程に短剣を刺すことが出来ない。

上るのは無理と判断し、耕太の下に行き声を掛ける。
「コータ!テレストラートに変われ!ティティーを呼び出せ!!」
テレストラートなら火を呼べる。こんな下等な生物など、問題にもならない。
ジーグの言葉に頷いて、耕太が必死にテレストラートに呼びかける。だが・・・
「駄目!目覚めない!全然反応ない!!うわ、こっち来るな!!」
舌打ちをしてジーグは他の方法を探る。
「耕太、飛べ、飛び降りろ!!」
「無理だよ!そんな、死んじゃう!!」
「俺が受け止めてやる!信じろ!飛べ!」

そんな事言われても、3階ぐらいの高さは有る。
下手したら、本当に死ぬし
上手くいったって大怪我だ。
「大丈夫だ、コータ。俺を信じろ!」
そうは言われても、踏ん切りは付かない。目を閉じて一歩を踏み出す―――――勇気が出ずに、再び目を開ける。やっぱり高い。
「コータ!」
下で腕を広げるジーグと後ろから迫る蛇と、交互に視線をはしらせ死ぬのにどっちが痛くないだろうなどと、後ろ向きな事を考え始めた目の前で
再び蛇が口を開き、首を伸ばす。
「神様!」
こんな所で死ぬのは、死んでも嫌だ!
耕太は覚悟を決め、ジーグの元へと飛びおりた。
体がガクンと落下し、直ぐに飛んだ事を後悔したがもう遅い。
「ひゃ!」
マヌケな声を出して落ちてきた耕太を、ジーグは確実に腕に捕えるとそのまま地面に転がり、落下の衝撃を逃す。
「コータ、怪我は?」
恐れていたような大きな衝撃も無く、心配そうなジーグの声に
恐る恐る目を開けると草の上に横たわっていた。
「わかんない・・・どこも・・痛くないみたい。」
ゆっくりと起き上がり、自分の体を確認する。
「凄い・・・全然大丈夫!良かった〜本当、死ぬかと思った〜」
能天気に喜ぶ耕太をみて、思わずジーグは脱力する。
と、後で何かどさりと重いものが落ちる音がした。
嫌な予感と共に振り返ると、餌を諦め切れなかった蛇が追って来たらしく、長い体をくねらせていた。
「ひぇ・・・ジーグ!?」
逃げようとした耕太とは逆に、ジーグは無造作に蛇にむかって行き
腰の剣を抜くと一刀の元に蛇の体を真っ二つに叩き切った。
それでものたうつ体の頭の付いている方を剣で刺し貫いて地面に張り付けにし、短剣を取り出して目と目の間に鍔が当るほどに突き刺した。
ようやく動きを止めた頭を尻目に、残った尾の方は体をくねらせ茂みの中に姿を消した。
「・・・・・逃げたの?」
「ああ。三月もすれば頭が生えてくる。それまでは獲物を襲えないがな。」
地面に横たわる頭の方に目をやり。
「・・・死んだの?」
「脳を破壊したからもう動かない。尾のほうが生命力が強いんだ。」
「・・・・・へぇ・・・。」
「何であんな所に登ったりしたんだ?」
「子猫が・・・。」
「猫?」
「木から下りれなくなってたんだ。・・・と、思ったんだ。それで・・・。」
「登った野生動物が下りられない訳ないだろう?」
「そんな事無いよ。オレの世界ではよく、木とか電柱とかに登って下りられなくなった動物を助ける為に、レスキュー隊が出たりして・・・その・・・。」
実際に子猫はいとも簡単に逃げさったのだから、説得力が全く無い。
だんだんとシドロモドロニなって行き。耕太は言い訳の内容を変えた。
「凄〜く可愛い子猫だったんだ。白くてふわふわでこう銀の斑点があってさ」
「何だって!?」
「な・・・何?」
急に青ざめたジーグの只ならぬ様子に、耕太は恐る恐る訪ねる。
「それは雪猫の子供だ。」
「雪猫?」
「牛呑み蛇なんて比較にならない。もし親に見つかってでもいたら、即座に八つ裂きにされていたぞ。よく無事で・・・。」
牛呑み蛇と言うネーミングにもショックを受けたが、あの子猫がそんなに危険な動物だったとは俄かに信じられず。
「そんなに危ないの?」
「ああ。獰猛で賢い。普通、人間には姿を見せないが子供が絡めば別だ。危険な動物が居ると言っただろう? こんな所まで下りて来るとは思わなかったが・・・。」
ジーグの声音に、本当に危険だったらしいとやっと実感した耕太は、連れ帰って飼う気だった事は告げないでおいた。
「まったく・・・無理をしてくれるな。お前も、ティティーも・・・。
 寿命が縮む・・・。」
「ごめん。」
深い溜息と共にしみじみと漏らされた言葉の重さに、さすがに少し反省して耕太は素直にあやまった。
「いや、俺が迂闊だった。お前がこの世界の事をよく知らないのを考えもしないで
 目を離した俺の落ち度だ。怖い思いをさせてすまなかった。
 本当に・・・無事で良かった。」
「心配してくれたの?」
「当たり前だ!」
「オレを?テレストラートの体をじゃなくて?」
言葉を発してから、一体何を言っているんだろうと後悔する。
「お前なぁ・・・オレがテレストラートの事以外、どうでも良いと思っているとでも?
 俺が義理や義務だけでお前を護ってると思っているのか?
 お前自信の事は気に掛けていないとでも?
だったら、わざわざお前をこんな所に連れ出したりしない。
傷つかないように、閉じ込めて、鍵を掛けて見張っていればいい。
俺がお前に対して、印象が悪いのは分っている。だが、俺はお前自身も護りたいと思っているんだからな。」

あまりにも照れくさくて、茶化してその場を誤魔化してしまったけど。
ジーグのその言葉は、今までにちょっと無いぐらい
もの凄く
嬉しかった。

(2007.07.22)
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