ACT:37  開放された術師


自分を取り巻く全ての音が、一定のリズムで脈を打ち
視界の隅に映る物の動きまではっきりと認識できる。
時間が妙にゆっくりと流れる気がする。と思うと
次ぎの瞬間には流れるように過ぎる。
自分の意識が外側に向かって広がっていく様な錯覚
薬のもたらす独特の感覚に、テレストラートは眉を寄せる。
感覚が研ぎ澄まされて行くのと同時に、精神は澄んだ水面の様に凪いで行く。
精神の安定や鎮痛の効果が有るこの草は、術師が使用する時、常人へとは多少違った作用をもたらすようだ。
術師の中には精霊と繋がりを、より深める目的で雪眠草を用いる者は多いが
テレストラートは、今まで一度も使う事を考えた事さえ無かった。
だが、術に対する集中が増すのは疑いようが無く
これを用いるようになってから、痛みを覚えても術を乱す事はしていない。
大きな術を行使している最中でも、有る程度自分を保つ事が出来るため
馬に乗り続けている事も出来るぐらいだった。
今の所、保険としては、十分な役目を果たしていた。


術を収め、軍本隊へと向かっていたテレストラートにジーグが馬を寄せてくる。
「テレストラート、お前最近、戦の前に何を飲んでいる?」
テレストラートはジーグへと視線を向け、なんでもない事だと言うように軽い調子で答える。
「雪眠草です。精神を落ち着かせ、術により集中する事ができるので便利です。」
「何でまた、薬なんか。」
「術師は殆んど、多かれ少なかれ使っています。別に特別な事では」
「でも、今までは飲んでいなかっただろう?」
「必要を感じて居ませんでしたから。でも、広域な術を行使する事が増えて・・・
さすがに少し負担がかかりましたので。」
「薬を用いてまで、無理をする必要は無いだろう?体を壊す。」
「大丈夫ですよ。そんなに強い物ではありませんから。むしろ術を使うのが楽になりました。」
「見せてみろ。」
薬草に関する知識など、大して無いだろうに自分で確かめない事には納得出来ないらしいジーグは、薬を出すように要求する。
テレストラートは逆らう事無く、あっさりと小さな薬瓶を取り出すと手渡した。
緑色の液体が入った小さなビンを空け、匂いをかいでみる。
続けて中身を舐めて見るが、微かな苦味と共にスッと爽快な香りが鼻腔を抜けた。
「眠れない時の誘眠剤にもなりますよ。持って行きますか?」
「いや、いい。」
口に含む事を止めもしなかったテレストラートの態度からも、特に危険な物では無い様だと判断し、元通りに栓をして、テレストラートに瓶を返す。
「あまり、変なものに頼るなよ。」
「はい。大丈夫です。」
それでもやはり気になるのか、釘をさすジーグにテレストラートは笑顔を向けて素直に頷いた。



約2月ぶりに帰還した王都フロス。
季節は冬から春へと移り変わり、人々は長い冬から解放された喜びからか
町は何時にも増して、活気付いているように見える。
ジーグが直しに出していた剣を町に取りに出ると言うので、耕太は無理矢理付いて出た。
城に出入りの武器商人も居るのだが、使用するにはジーグの位は低すぎる。
テレストラート付きの護衛という現在の役職を考えれば、使用も可能だろうが
町には馴染みの武器商人がいるため、ラセス家の出入りの商人さえ使わず
自ら町へ足を運んでいる。
毎度の事だが、剣を目の前にすると、ジーグはお菓子屋に入った子供のように夢中で
用事を済ますまでにはかなりの時間がかかる。
今回も耕太はすぐに飽きてしまい、店の外にこっそり出て馬を繋ぐ為の柵によりかかり
行き交う人々をぼんやり眺めていた。

ゴチャゴチャと乱雑に立ち並ぶ建物。入組んだ通路。
明るく、活気の有る人々。
耕太はこのフロスの町が好きだった。
城の中にいるよりも、町に出ていた方が落ち着く。
フロスに居る時には、城の外で暮らせたらいいのに・・・。そう言えば、ジーグはずっと城にいるけど、彼の家は何処に有るんだろう?
そんな事を考えていると、視界に入った何かが耕太の気を惹いた。
何だろうと視線を廻らせて、耕太は人ごみの中に見知った顔を発見し、思わず声を上げる。

「カナト!!」
呼ばれた相手は、声の出所を探るように辺りを見回し耕太に目を止めると、驚いた顔の後に笑顔を浮かべ、小走りにこちらに向かって来た。
「耕太、お久しぶりです。どうしたんですか?こんな所で。まさか、城から抜け出して来たのでは・・・。」
急におろおろとし出したカナトに
「違う、違う。ジーグの用事についてきたんだ。」
と、後の武器商の店を指差すと、ホッとしたように息をついた。
彼は術師の着る長衣やローブは身につけておらず、以前と少し印象がちがって見えた。
その腕に有るはずの呪具は、今は長い袖に覆い隠され、わからない。
最後に見たとき、彼はまるで抜け殻のようで
耕太は随分彼の事を案じていた。
だが今、目の前に立つカナトはとても元気そうで
その目は溢れ出す生命力に輝いているようだった。
「元気そうで安心した。カナトこそどうしたの?オレ、村に帰ったんだとばっかり。」
「いいえ、僕はもう術師ではありませんから。あの村には。」
そう言うカナトの言葉に、不思議と暗い陰りは微塵も無い。
「今はカホクの所にお世話になっているんです。彼の家は大きな農場を持っていて、僕もまだ、大した事は出来ませんが少しづつ仕事を教えてもらっているんですよ。
この間、子馬が2頭生まれて・・・その内の1頭を僕もらったんです。
すごく、可愛いんですよ。耕太にも見せたいな。」
精霊喰いの事件の後、特攻部隊に所属していたカホクが戦場で怪我をし
軍を退役した事は、耕太も知っていた。
彼は帰郷する時に、カナトを連れ帰ったらしい。今では傷もすっかり癒えて彼も元気だという。
「カホクは力を無くした僕に、以前と変らず接してくれて
 一緒に行こうと言ってくれたんです。」

カホクが傷つきフロスに帰った時、カナトは周りの出来事を認識するようにはなっていたが
精霊を失い、打ちのめされ、不安で、全ての事に怯えていた。
心配して何かと気を配ってくれる術師達と、顔を合わせるのも苦痛で
精霊術師しかいない生まれ故郷にも、自分の居場所はすでに無く
ひとりぼっちで、途方にくれていた。
その時カホクがやってきて、カナトの前に跪き真っ直ぐな眼差しで告げた。
「俺は故郷に帰るよ。もう、戦場に俺の護るべきものは無いから。
 カナリート、一緒に行こう。
 精霊の代わりにはなれないが、俺がずっとお前を護り、お前と共にいるから。」


「凄い・・・愛の告白みたいだ・・・。」
思わずもれた耕太の素直な感想に、カナトが顔を真っ赤にしてうろたえる。
耕太は自分の言葉を口にし終えた瞬間に、気付く。
"みたい"じゃない。愛の告白なんだ。
気付いたとたんに恥ずかしくなって、こちらもうろたえる。
この世界では同姓同士の恋愛が、結構普通の事だという事には耕太も既に気付いている。
相手が男でも何でも、カナトが今とても幸せそうなのを見て
耕太は心から良かったと思った。
「テレストラート様が戻られたって、本当ですか?」
カナトが話題を変えるように言う。
「うん。そうか、カナトは会ってないんだよね。」
「それで・・・耕太もいて・・・どうなっているんです?」
「この中に2人入ってる。」
「2人とも、同時に?凄いですね。今も?テレストラート様は?」
「会いたい?」
嬉しそうに頷くカナトの為に、テレストラートに呼びかける
テレストラートもカナトの事は、随分気にしていたからきっと喜ぶ。
けれど身の内に感じるテレストラートは、完全に眠ってしまっているようだ。
「今・・・寝ちゃってるみたいだ。」
「そうですか・・・。」
カナトはとても残念そうな顔をする。
最近、戦で術を使った後のテレストラートはとても深く眠る事が多い。
それが何かとっても気にかかって仕方がないのは何故なんだろう。
不安が頭を擡げ始めたのを、耕太は無理矢理脇へと押しやる。
カナトに余計な心配をかける必要は無い。
耕太は明るい調子で話を続けた。
「ごめん。でも、また会えるよ。カナトが元気だった事はちゃんと伝わる。」
「そうですね。」
「今住んでる所は遠いの?フロスにはよく来るの?城に来る事は無いの?」
「ここからは馬で半日ぐらいです。フロスには月に1度ぐらいは来ますが、城には・・・
 カホクは下級貴族なので王城に上がる事は出来ませんから。」
「そうかぁ・・・」

「カナト」
「はい。ここです。」
人ごみから呼ぶ声に、カナトが振り返り応える。
気付いたカホクが耕太の姿を見とめ、頭を下げる。
「それでは耕太、また。」
「うん。」
踵を返し、軽い足取りで真っ直ぐにカホクの元へ駆けて行く。
幸せそうな笑顔のまま二言三言カホクと会話を交わし、もう一度振り返って
深く頭を下げるカホクの横で、手を振り人ごみの中へと消えていった。

テレストラートが精霊喰いの解呪方も探していると言う事は、カナトには伝えないでいた。
実際にそれが、可能な事なのか確証は無いし
下手な期待を与える意味は、無いように思えたから。
精霊を使えなくても、カナトは幸せになれる。
村の外の世界が見たい
そう言って村を出たカナトが村の外で居場所を見つけられて、本当に良かったと思う。
失った物はとても大きかったとしても。

「カナト、とっても幸せそうだったよ・・・テレストラートに会いたがってたのに。
 テレストラートも会いたかったのにね。」
今は聞いていないだろう相手に、小さく語りかけてみる。
テレストラートもあんな風に幸せになれたら良いのに、と本気で思う。
カナトより年下で、大切な人がすぐ側にいるのにがんじがらめの、可哀想なテレストラート。
本気でテレストラートの幸福を望んでいるのに、自身が一番の障害であろう、結構可哀想な自分。
そしてジーグとテレストラートの幸福を思うたびに襲われる、ムカムカと胸焼けのようなこの感覚は、一体何でだろう。

「コータ!何処だ!?」
慌てた様なジーグの声に苦笑をもらし、耕太は苦手な思考を放り出して
耕太をさがすジーグの元へ軽い足取りで走って行った。

(2007.07.07)
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