ACT:31 禁呪

「一体あれは何だ?」

荒涼とした大地に展開するイオク軍。
その軍勢は、規模としては対するガーセン軍の1/3にも満たないが
人々を怯ませるのはその異様。
どこか不自然なバランスの、人にしては大きすぎる影、牙を剥き低い大勢でこちらを伺う四足の獣。すっぽりと頭から黒い布をかぶりその目さえも表に出すことの無い黒衣の集団
地の底より這い出して来たかのような異様な軍団の様子は、距離の離れたこちらの戦列からも窺い知ることが出来る。
さらにうめき声にも似た低く不気味な雄叫びが、まともな人間の精神を震撼させ
その戦意を奪ってゆく。
人間の兵士など、1人も見当たらない。
風に重々しくはためくイオクの軍旗がなければ、誰も国軍だとは思うまい。

勇猛果敢にして豪胆、大陸に並ぶもの無しと謳われたガーセンの戦士達だが
それも相手が人間であればの話だ。
斬り捨てても動きを止めない狂戦士や、際限なく地から湧き出してくる異形の怪物に対しては、普通の人々と同じく無力な存在でしかない。

「あれは・・・既に軍隊などではないではないか。一体、イオクはどうなっているのだ?
 魔界の扉でも開けたというのか?」
ガーセン軍に対抗策を練る暇も与えず、イオク軍から猛々しい雄叫びを上げ、四足の獣が風のように地を駆け一気に距離を詰めるとガーセン軍に突入した。
首を噛み切られた兵が、声もなく馬から落下する。
獣は地に付く前に、高く飛翔し次の得物めがけて飛びかかる。
不意を突かれた形のガーセン兵も、すぐに体制を立てなおし、荒れ狂う獣を仕留めるべく剣を振るう。
その間にも、不気味な軍勢はゆっくりとした足取りで進軍し距離を詰めてくる。

「私が出ます。」
テレストラートが王に向け言う。
「魔物などでは有りません、術による変異。人や獣です。
 ただ、剣によって倒すのは難しい、兵を出しても無駄に犠牲を増やすだけです。
 術によって場を浄化します。」
王の許可を取り付けると急いで術師たちの元に戻り指示を飛ばす。
「グイ老を中心に結界を張り、ガーセン軍を守って下さい。
 私への助力は不要です。ルイとクナスは王をお守りして。
ジーグ行きます。」
言うとジーグを伴って兵の間を縫い、混乱する前線へと馬を走らせる。
最前まで抜けると、テレストラートはそこで馬から降り、放した。
術に集中すると馬を操るのさえ、難しくなる為だ。
そのまま、ゆっくりと前へと歩みだす。
その唇からは低く歌うような言葉が流れ出している。
テレストラートを中心にドーム型に広がる光が現れ、速度を増したイオクの軍勢にその端が触れ、飲み込まれる・・・。

火柱が上がった。

胸の悪くなるような断末魔を上げて、光に触れたイオクの軍勢が燃え上がる。
のた打ち回る仲間を踏み越え、テレストラートの結界内に入りこもうと踏み込むが、果たせず燃え尽きる。
まるで得物にたかる蟻の群れのように、結界に群がりそして燃え尽きる。
その間も、テレストラートの歩みは止まらない。
ただジーグだけを伴い、ゆっくりとイオクの軍勢の只中へと、異形の者たちを焼きつくしながら進んで行く。

「凄い・・・。」
ガーセン軍の兵士たちが息を呑む。
敵を焼く火柱は、既にテレストラートを取り囲み、その姿を確認する事は出来ない。
異形の者達はまるで光に群がる虫のように、自らを焼き尽くす結界に向かって行く。
立ち上がる炎に恐れをなしたように、戦線から離れた獣達が思い出したようにガーセン軍に標的を変える。
しかし、ガーセン軍を取り囲む結界に阻まれ、到達する事が出来ない。

結界に守られた兵達も、ただ手をこまねいて見てはおらず、人を傷つける事の無い結界かから剣を繰り出し、襲いかかる獣を屠る。
結界から出た腕に獣が喰らいつき、引きずり出された兵の喉元に別の獣が喰らいつく。
獰猛な四足の獣は、容易には息の根を止める事は出来なかったが、それでも次第にその数を減らしていった。

テレストラートの歩みは止まらない。
歌うように言葉を口ずさみ、ただ前を真っ直ぐ見据えて、ゆっくりと。
異形の者達は、惹かれるように、まるで魅入られるように結界へと触れ燃え尽きる。
その結界を踏み越えるものが有る。
目以外を全て覆う兜を被り、周りを威圧する禍々しい意匠の鎧を身に付けた2メートルにも届こうかと言う長身のしかし、紛れも無いそれは人間の戦士。
燃え上がる自軍の者を振り払い、人には何の影響をも与えない結界を易々と踏み越えイオク軍の兵は抜き身の剣を振り上げ、一気にテレストラートへと距離を詰める。
目の前に迫る白刃に、しかしテレストラートはまるで目にも入って居ないかのように反応しない。
剣がそのまま遮るものも無くテレストラートの頭を割るかに見えた寸前、横合いから繰り出された大剣がそれを阻む。
全体重をかけ繰り出された、渾身の一撃を腕の一振りで弾き返し、返す剣で兜と鎧に守られた首のわずかな隙を貫き首を断つ。
足をかけ剣を引き抜くと、続いて結界内に入り込んだ別の兵を剣の平で殴り倒し馬の蹄にかけた。
次から次へと潜んでいた人間の兵が襲い掛かって来る。
行く手を阻むのはたった一騎の戦士、だが体の一部であるかのように馬と剣を繰り、空気さえ切り裂くような力強さで敵をねじ伏せ地に沈め、術を繰る精霊術師に全く近づく事を許さない。


術師達の張った結界の向こう側、ガーセンの兵達が固唾を飲んで見つめる先では
黒く異様なイオク軍が、まるで吸い込まれて行くかのように一点へ向かい
その数を次第に減らしてゆく。
その中心に居るはずの術師の長とその戦士の姿は、群がる異形たちの向こうに見ることが出来ない、ただ絶えず眩しいほどの火柱が上がっているのみだ。
そして、ついにイオク軍が全て・・・消えた。

広大な平野に残るのは、転々と転がるイオク軍の兵らしき遺体と全身を血で朱に染め上げた凄まじい姿で立つ騎馬と、対照的にその身に血の一滴も浴びることなく立っているほっそりとした姿。
数千はいたはずのイオク軍の殆んどは、跡形も無く消えうせてしまっていた。

テレストラートは術を収め精霊たちを開放すると、小さく息をつき側の戦士を見上げる。
「ジーグ、怪我は?」
「無い。」
顔にかかった返り血をぞんざいに腕で拭いながら短く答えたジーグは
全身を敵の血で染め上げた凄まじい姿で、顔には不敵な笑いが浮かんでいる。
その目には血に酔う戦士の狂気にも似た興奮が見て取れた。
そこには子供っぽい笑いを浮かべる青年の面影は無く、鬼神のごとく壮絶なまでに美しい男の顔だった。
遠く、ガーセン軍から勝利の歓声が、打ち寄せる波のように上がった。



「イオクのあの術は、一体何なのでしょう?」
昼間の戦いで、術師には一人の怪我人も無く
軍自体の被害も殆んど無いと言っても良いほどの大勝利で、ガーセン軍は勝利に沸いていたが
与えられた天幕の中で術師達はイオクの行なった"術"に関し
難しい顔をつき合わせていた。
「今までは特殊では有ったが、あくまで術師の使う精霊術であったり、呪をかけられた人間にすぎなかった。しかし、今日のあれは・・・。」
「先日の戦でもそうでした、あれは精霊自体に呪をかけ、変質させています。
 その上、それを操ってさえいる。」
「あんな術は見たことも、聞いたことも無い。」
「ガーセンの記録にも、ポートルの書物にもそんな話は伝承の上にさえ出てこない。」
「一体・・・何がどうなっているのやら・・・。」
「まさか霊獣が力を貸しているのでは?」
「有り得ない、竜などと。大陸のどこにも竜なんてものはもう存在の形跡すら残ってはおらん。」
「大陸の外からもたらされた術なのか?」
「そんな物が有るのか?」
「しかし・・・・」
どんなに議論を尽くそうと、推論と言うのにもお粗末な発言しか出ない。
「ただその場で浄化をするだけでは、キリが無い。」
「これ以上数が増えれば、その浄化さえ追いつかなくなる。」
「元を断たない事には何とも・・・。」
「その元が何かわからないのに、一体どうするというのですか?」
当然対応策など出るはずも無い。
「"禁書"が現れたのやもしれん。」
グイ老が重々しい声で継げると、長老達が恐ろしげに首を竦め祈りの言葉を呟く。
「禁書とは何です?」
聞いた事の無い言葉にテレストラートがグイ老に訪ねる。
「まだ竜がこの大陸に住んでいた時代に、人の手により描かれた呪術の書じゃ。
原本の他に写しが1冊。写しの写しが9冊記されたと言う。
力ない人間が竜をも支配下に納めんと編纂した忌まわしき魔道の書。
それ自体が強大な力を持ち、手にした人間を狂わせる。
幾度も争いを引き起こし、とうとう人間の手によって処分された。
写し8冊は焼き払われ、原本の写しは封印された。
しかし原本と写本1冊は行方が知れずじまい。」
「そんな記録は何処にも・・・。」
「記録を記す事すら禁じられて来たのが禁書じゃ。語る事も禁じられておる。歴史の中で埋もれ忘れ去られるように。」
「なぜその話を長老達はご存知なのですか?」
「ロサウの村に写しが封じられておるからじゃ。その記憶は長老だけで守られて来た。」
「禁書が、村に?」
「だがそれも話が伝わっているだけに過ぎない。何処に封じられておるのか、どんなものなのかはわしらの先々代の頃にもう分からなくなっておったし、それで良いのじゃ。」
「しかし、その禁書を読み解けばイオクに対する対応策が分かるのではないですか?」
「ならん!あれは・・・どんな事があっても手にしてはならないものなのじゃ。」
「しかし、もしイオクが禁書を手にしてしまっているのなら、すでに世に出てしまっているのですよ。対抗策をさぐり、禁書自体を消し去る事を考えなくてはならないのでは?」
「・・・・・・・・」
重い沈黙が下りる。
グイ老が何度も躊躇ったあと、とうとう口を開く。
「じゃが、禁書がどこに封じられているのかは、本当に分からんのじゃ。」
「でも村にあるのでしょう?少なくとも山の中には。探しましょう
村に風を送って、残っている長老達に頼んでください。」
「じゃが・・・。」
「説得してください。禁書はイオクを抑えた後で私がこの世から消し去りますから。」

(2007.05.27)
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