ACT:32 変調


浅く窪んだむき出しの大地の中央に、それは巨大な身体を横たえている。
ガッシリとした足、背中から伸びる二枚の翼、長く伸びた首。
それは水を含んだ泥を集め形作った出来の悪い人形、しかしその形は伝承上の生物"竜"を思わせる。
その体は絶えずズルズルと水気を多く含んだ泥を滴らせていて、今にも崩れ落ちそうに見えるのに、その形が変る事は無かった。

沼地だったはずのそこは、干上がり、ひび割れた大地の所々に干からびた葦や水草が汚れのようにわだかまっている。
ガーセンの田舎町、トゥリ。
陶磁器が名産のこの町は、広大な湖沼地帯に点在し陸地の諸島ようだ。
その大小さまざまな沼から取れる上質な土で作り上げた陶器・磁器は他の地方の物には出せない色や風合い、繊細な仕上がりでガーセンの特産の1つに数えられる。
その沼の1つ、有名な窯元のオヌイの管理するオヌイ沼が、有る朝、突如乾上り
そこに"竜"が現れたと大騒ぎになった。
この大陸には各所に竜の伝説が残されており、太古の昔にはその霊獣が大陸の生物の頂点に有ったとされているが、実際の遺物が残っている訳ではなくその実在は確認されていない。
トゥリは地理的にイオクと同盟関係に有るヌイに近く、各地でイオク絡みの様々な異常現象が起きている中、それは恐らく伝承上の生き物ではなく、イオクに何らかの関わりが有る事が疑われ、すぐに住民に対して退去命令と派兵が行なわれた。

「これが、竜か・・・?。」
「水霊ですね。かなり高位のものが混ざり込んでいます。開放してあげないと・・・。」
そう言ってテレストラートが痛ましそうに顔をしかめる。
歪められた精霊の成れの果てだと言うこの泥水の竜が、精霊術師達には一体どんな風に見えているのだろう。
「これもイオクの?」
「おそらくは・・・いえ、間違いないでしょう。」
「まったく・・・何でも有りだな。よりによって竜なんて、馬鹿にしやがって。」
ガーセンでは王家の紋章にも描かれている事からも分かるように、竜は英知と力の象徴として神格化され、信仰の対象となっており、その出来の悪いパロディのような姿は、ガーセンの人間にとっては文字通り神に泥を塗られた気分なのだろう。

ポートルへの協力で、黄金街道のイオク軍を駆逐した後
イオクの軍勢は明らかにその内容を変えてきている。
正体の分からない大型の生物。何から形作られているのか分からない人型のもの、すっぽりと黒衣に身を包んだ術師
つまり、人間の兵士が殆んどいないのだ。
その異質な戦い方はには、剣や弓では対抗する事が出来ず
ガーセン側も軍の編成を術師中心のものに変えざるを得ない状況にあった。

精霊術師を中心に据え、特攻部隊に所属する精鋭たちが術師の盾としてその周りを大きく取り囲む。
術師の張る結界の外周ギリギリに配し、結界を越えることの出来る肉を持ったもの
つまり、化け物の中に混じった数少ない人間の攻撃から術師を守るのだ。
術への集中を妨げない為、術師の側には選任の護衛だけがおかれる。
術師を大きく取り囲んだ円形の人垣。
それが実戦闘部隊の全てであり、戦うのはほんの1部の精鋭と、術師のみ。

その体制がガーセン軍の士気を下げ始めている。
職業軍人であるものは、自らの力を示す場を与えられず
戦に駆り出された国民は、術師が戦えば良いと思い始めている。
自らの生活も、守るべき家族も有る人々のその思いは、無理の無い事では有ったが
術師だけに頼り、全てを負わせようとするその風潮にジーグは苛立ちを覚える。

元々、ロサウの村の精霊術師達はガーセンの一般的な人間よりも体が華奢で
体力的にも劣っている。
精霊を行使する力も、全員が強い訳でも無い。
精霊術を中心に据えたこの戦い方は、以前にも増して術師達を疲弊させテレストラートの負担を増してゆく。
数を増していく戦闘の中でその半分以上をテレストラートが戦っているのが現状だ。

出来損ないの"竜"が泥水を滴らせながらゆっくりと長い首をめぐらせる。
その目鼻さえ定かではない泥の塊のような頭が、まるで口を開くかのように横に裂け
まるで牙のように泥を長く滴らせながら甲高い吼え声を上げる。
それと同時に体から大きな雫が滴り落ちたかと思うと、それがそのまま蜥蜴とも魚とも判別の尽かない生き物の形を取り、信じられないような速さで術師を守る兵へとせまる。
勢いを落とさずそのまま突進したそれは、テレストラートの張る結界によって弾き飛ばされたが、すぐに体勢を建て直すと取って返し、結界の表面に張り付く。
兵達がその体に剣を突き刺すが、それは水で出来ているかのように手ごたえが無く
刺し貫いても、切り払っても、剣が抜ければすぐに元へと戻ってしまう。
結界による浄化の炎にも、燃え上がる事は無く少しずつ蒸発して小さくなりはするが
消え去る前に結界からはなれ、他の獣に溶け込むように消える。
「限が無い・・・。」
兵達が虚しく剣を振るいながら、ぼやく。
切りつけても手ごたえも、成果も無い相手に次第に苛立ちがつのってゆく。
呪を唱えるテレストラートの声の調子が、突如変った。
両の手を前に捧げるように上げると、鋭く言葉を発して両の手を打ち鳴らす。
その音と共にテレストラートから放射状に光が走り、兵達の脇を抜け結界の外に走り出ると広がり、大地を裂いた。
その一帯にいた水の獣が大地の亀裂に飲み込まれるように消える。
亀裂は獣を飲み込むと、口を閉じるかのように塞がる。
だが、獣がその上を渡ろうとすると、再び開いて地の底へと引きずり込む。
獣達は恐れるように後ずさり、竜が威嚇するように高く吼え声を上げる。
テレストラートは竜を目指して、干乾びた沼へと足を踏み入れる。
もう一度同じように手を打ち鳴らすと、光が走り、大地の亀裂がさらに沼の奥
横たわる竜の近くまで伸びて行く。
竜が再び吼え、その口から溢れた泥水が大地の亀裂を埋めようとするかのように広がって行く。

何・・・?
術に集中していたテレストラートの精神が突然乱される。

それは微かな"違和感"。
小さな痛みにも似たそれに、気を取られ集中が揺らぐ。
気まぐれな精霊たちが、テレストラートの統制下から離れ勝手気ままに動き出そうとする。
大地から亀裂が一瞬にして消え去り、次ぎの瞬間巨大な亀裂が現れ、また消える。
テレストラートは恐怖に駆られた。
もし、今これだけの精霊を行使している状況で、術を手放したら暴走した精霊たちにより
守護の為に自分を取り巻いている兵たちは勿論、後ろに控える軍勢、数千をも巻き込む大惨事になる。

いけない、落ち着け!
だが、焦りと押し寄せる恐怖に蝕まれ、意識を集中する事が出来ない。
兵達の外周を取り囲むように張り巡らされている結界が軋み、空気が不穏な音をたてる。
テレストラートは右手を上げ、親指を噛み切るとその血で左の手のひらに文字を描き空に掲げ
滴り落ちる血を口に含み、つぶやく呪文にその力を乗せる。
ロサウの村に脈々と伝えられる力
精霊を魅了し従わせるその源
それが、彼らに中に流れる、"血"だった。

自らの血を餌に精霊を惹きつけ、無理やり押さえ込み従わせる。
軋む結界が強度を増し、精霊たちの歓喜の声が、聞くことの出来ないはずの人間たちの鼓膜まで振るわせる。
そして、その血の力に惹かれる様に、窪地の中心にわだかまる"竜"が鎌首をもたげゆっくりと身体を起こす。
「でかい・・・」
接近してくる敵の姿に、兵たちが息を呑む。
それは、巨体で自らの眷属を踏み潰し吸収しながらゆっくりとこちらに移動してくる。
その長い首をのばし、結界にふれそれを突き破ろうとする。
接触部分から火が上がりそれを焼くが、怯む事無く首を推し進める。
結界内の兵たちが息を飲む。
突然、兵を取り囲む結界がその規模を狭め、彼等を結界のそとに放り出した。
竜の首が結界をやぶり中に侵入する。
テレストラートの掲げる左の掌に導かれるようにゆっくりと・・・
「ティティー・・・」
ただ1人、テレストラートのそばに残されたジーグの呼びかけに
竜から視線を外さないまま、大丈夫だと言うように深く頷き
テレストラートは手を掲げたまま、誘うかのようにゆっくりと下がり竜を結界内に導き入れる。
少しづつ・・・少しづつ・・・

結界が竜の身体を包み込むように伸び、いつしか完全にその身体を結界の中に収める。
今やそれを閉じ込める檻となった結界が、急激に収縮すると網のように竜を拘束しさらに小さく縮んで行く。
突如まるで、水を詰めた袋が破れたかの様に大量の水がはじけるように溢れ出し、干上がった窪地に広がってゆく。
再び現れた湖沼の浅瀬には、ずぶ濡れになったテレストラートとジーグ、そして兵士たちが呆気にとられたように立ち尽くすだけだった。
ガーセン軍から湧き上がるように歓声が上がる。
テレストラートは視線を走らせジーグの無事を確認し、重く濡れた衣服の水分を手の一振りで完全に取り除き終わりを告げるように大きく息をついた。

テレストラートは両の手を堅く握り締める。
衣服は乾き、暖かな日差しの中に居るというのに、手の震えを止める事が出来ない。
術を暴走させる所だった。
その理由が分からない。
もし、こんな事がまた起こったら?
押さえる事が出来ず、暴走させてしまったら?
こんな状態で、自分は精霊を使えるだろうか・・・でも、術が使えなければ
自分の存在理由は無い。

「どうした?」
「何でも有りません。」
様子がおかしい事に気付いたジーグが近づいて尋ねるが
テレストラートは断ち切るようにキッパリと答え、止められない震えに気付かれないよう距離を置く。

大丈夫だ。大丈夫。うまく収められた、何も問題は無い。
これからだって上手くやれる。
私には出来る、私には出来る、私には出来る・・・
自分に言い聞かせるように、何度も何度も心の中で繰り返しながら軍本隊へとゆっくり歩き出す。
岸に上がると負傷した兵たちが、応急処置を受けている近くを通った。
1人の兵が地面に横たわり、苦しげに低く呻いている
水の獣にやられたものか、或いは竜から溢れた水流にやられたものか
その足は有り得ない方向に曲がってしまっていた。

私には出来る・・・、それが私の存在理由。

テレストラートはその兵に近づいてゆくと、側に座り手を痛々しく曲がった足に差し伸べた。
「馬鹿、止めろ。」
ジーグが後からテレストラートの腕を掴むと、負傷兵から引き離し立たせる。
「止めろ。死ぬような怪我じゃない。」
テレストラートは不安げな瞳でジーグを見上げ、すぐに目を伏せ、溜息のように小さく呟く。
「少し・・・疲れました。耕太とかわります。」
そう言って目を閉じると、釈然としない顔の耕太がそこに立っていた。
「何を、止めたの?」
「何がだ?」
「いま、テレストラートはあの人に、何しようとしたの?」
「ヒールだ。」 
「ヒール?」
「怪我を治そうとした。」
「そんな事も出来るんだ?」
驚いた様に耕太が目を丸くする。本当に完全無欠のスーパーヒーローではないか。
だが、ジーグは苦い顔で説明を続ける。
「ああ、だが負担が大きすぎる。専任のヒーラーでもない限り、人の傷を治せばそのダメージの何分の1かを自分で負う事になる。相手を助ける術が他に無いのなら別だろうが、一々怪我人を助けていたら身が持たない。」
「それで、止めたんだ・・・じゃあ、何であんなに動揺してたの?」
「動揺している?テレストラートがか?」
「うん・・・。"出来る"って何度も繰り返し・・・。」
「出来るって何を?ヒールをか?それを試そうとした?」
「わかんないよ。あの人、親しい人?」
「いや・・・顔は知っているだろうが、親しくは・・・。」
何故テレストラートが負担を押してまで術を使おうとするのか、ジーグには理由がわからなかった。

ただ釈然としないものが、心に不安を植えつけた。

(2007.05.29)
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