ACT:30 午後の庭園


祭りの夜が明けて
朝方まで賑やかだった町は、一転気だるげな空気に包まれている。
常にないほど静かな佇まいを見せていた自由都市ポートルは、しかし昼を過ぎるころに息を吹き返し、いつもの賑やかさが戻り始める。

しかし、そんな騒がしい空気も大きな屋敷が立ち並ぶ、この一帯には届かない。
爽やかな晩夏の風が吹く、穏やかな午後の日だ。

ジーグは一通りの運動と剣の手入れを終え、テレストラートの部屋へと向かった。
一流の職人の手により芸術の域にまで達している調度品で、趣味よく整えられた室内に
しかしテレストラートはいなかった。
大きく開け放たれた窓から入る風に、カーテンがゆっくりと揺れている。
窓の外には美しく整えられた庭園が広がり、その片隅に植えられている大きな木の作り出す木陰に、テレストラートが座っているのが目に入った。
地面に敷き布を広げ、その上に幾つもの書物を積み上げ
その中の一冊を真剣な表情でめくりながら、手にしたパンを機械的に口に運んでいる。

ジーグは窓から表に出ると、そのままテレストラートに近付いていった。
草を踏む微かな足音に、テレストラートが顔を上げジーグを見止めると笑顔を見せる。
「役に立ちそうか?」
「さすがにポートルには幅広い書物が揃っていますね。ホクトの物まで有るのですよ。
 ・・・でも、大概が歪められた写本で、面白おかしく書きなおされてしまっています。
 現本を探し出せれば・・・良いのですが・・・。」
視線を下に戻すと語尾が小さくなり、また本の中へ意識が戻ってしまったようだ。
時々、思い出したようにパンを口に運んでは、機械的に噛んでは無理矢理飲み込んでいる。

「うまいか?それ。」
何の事を言われたのか解らない様子で、テレストラートは問いかけるように視線を上げる。
「小麦ではなくトウモロコシを挽いた粉で作ったパンだそうだ。甘いが、少し堅いな。」
ジーグの説明に手にしたパンの事だと思い当たり、半分ほども食べた手の中のそれをしげしげと見つめる。
一口、小さくかじるとゆっくり噛みしめ飲み込む。
「本当だ・・・。」
まるで、今始めて口にしたかのように言った。
今まで、何を食べていたかさえ気にしていなかったらしいテレストラートの様子に、ジーグは小さく溜息をつく。
その口の端についたパンの屑に手を伸ばそうとして躊躇い、訪ねる。
「コータは?」
「眠っているようです。昨日は色々有ったようですし疲れたのでしょう。」
「そうか。」
柔らかく微笑んで答えるテレストラートに短く答えると、ジーグは身を乗り出しテレストラートの口の端についたパン屑を手で取らず、直接口で舐め取った。
驚くテレストラートに「食い物がついてる。」と教えると
「あ、すみません・・・。」動揺した様子で、子供のようにゴシゴシと袖口で口元をこする。
その動きで、膝の上に開いていた本が滑り落ちた。
慌てて拾おうとする手を、ジーグが掴んで止める。
「食ってる間ぐらい、気を休めろ。そんなじゃ、味も碌にわからないだろう?」
「ええ、でも、これだけ目を・・・。」
押さえられた手を抜こうとするのを許さず、ジーグはそのまま体重をかけるとテレストラートを押し倒した。
「ジーグ?」
咎めるように名を呼びはしたが、押しのけようとはして来ない。
そのまま華奢な体を封じるように押さえ込んで、下から見上げる蒼い瞳を覗き込む。
「ちゃんと休んでないだろう?」
「休んでいますよ。耕太が出ている間は私は眠っていますから。」
「体の調子は?どこも悪くないのか?」
ジーグの問いにテレストラートは大丈夫だと言うように笑みを返す。
だが、ジーグは表情を曇らせ、まるで恐れているかのようにそっとテレストラートの頬に触れる。
「俺が・・・どんな気持ちでいるか、解るか?」
静かな蒼い瞳が間近から、問いかけるように見つめ返している。
「今にも・・・お前が消えてしまうのではないかと、そればかり・・・。ここに、確かに居る、それも夢ではないかと・・・恐ろしくて。」
言葉の最後は掠れ、ほとんど口の中だけでつぶやかれる。
テレストラートの手がゆっくりと上がり、愛しげにそっとジーグの顔の輪郭をなぞる。
「お前が自分を犠牲にし、自分を追い詰める。それが分かっているのに、俺は・・・。
なのに俺は何一つ、お前の為にする事が出来ない。」
「ジーグ、そばに居て下さい。
それだけで・・・
 あなたがいなければ、今までだって私は乗り越えては来られませんでした。」
「ティティー、何処にも行かないと俺に誓ってくれ。」
囁くように言うと、ジーグはテレストラートの肩に顔を伏せる。
テレストラートはそっとジーグを抱きしめ、睦言のように優しく囁く。
「私は、大丈夫ですよ。」
ジーグがテレストラートの存在を確かめようとするかのように、体に回した腕に力を込める。
「私は大丈夫です。」
「お前の"大丈夫"は当てにならん。」
もう一度繰り返すテレストラートにジーグは顔をあげないまま、拗ねたように不平を言った。
抱き込んだテレストラートの体が笑いに小さく揺れている気配が伝わってくる。

「ごめんなさい。」
「俺に対して謝るな。」
小さく詫びると、不機嫌な声で返しジーグはそのまま黙り込んだ。

「ジーグ?」
そのまま、思いの外長く沈黙が続くのでテレストラートは不安になる。
まさか、眠ってしまったのでは?
肩に伏せられた頭に甘えるように頬をよせ、見た目よりも柔らかなその髪に指を滑らせる。
ジーグがおもむろその手を捉えると、その掌に口づけた。
そのまま手に軽く歯を立て、甘噛みをするジーグにテレストラートは戸惑ったように声をかける。
「・・・何を、してるんですか?」
「コータが・・・。」
「?」
テレストラートの手をしげしげと見つめて、眉間に皺をよせる。
ポートルへの誘いを受けた時、ルイス・ロイスが舐めまわさんばかりの目でテレストラートを見ながら、この手を握り締めていた事を思い出し、改めてムカついて来た。
もし、あの時手を握られていたのが耕太ではなくテレストラート本人だったら、確実にあの蛙野朗の息の根を止めていた所だ。
昨日にしたって・・・
「あいつは迂闊すぎる!兵達に混ざって安易に肩を組んだり、あのイボ蛙に手まで握らせたんだぞ!!」
「 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 」
「全く、気安く触れさせるんじゃねぇ!これは俺のものだ。」
ジーグの真剣な様子と、話の内容のギャップに耐えきれずテレストラートが声を上げて笑い出す。
「クソッ、見っともねぇな。全く。」
ジーグは自嘲に口元を歪め、テレストラートを開放すると体を起こした。
自分でも笑ってしまうぐらいに情け無い。
自分自身がテレストラートに思い通りに触れる事が出来ないのに、他人が彼に不用意に触れるのが許せない。
単に妬いているだけなのだ、それも恐ろしく低レベルな理由で。
決まり悪げに視線をそらしているジーグに向かって、笑いを収めたテレストラートが小さく告げる。
「うれしいです。」
その言葉に振り返ると、まったく揶揄する様子のない真摯な瞳に、ジーグは低く唸る。
ふたたび押し倒したいという、強い衝動
こいつは・・・俺の鉄の自制心に簡単にひびを入れやがる。
1人苦悩している様子のジーグを不思議そうに眺めているテレストラートの
かすかに傾けた細い首に、ジーグが抗えずに口付けた。
テレストラートが身を竦ませその体がピクリと小さく震える。
そのまま舌を這わせ、軽く歯をたて、その白い肌に所有印を付ける。
「ふ ・ ・ ・ ん、や、ジーグ・だめ・・です・・」
甘い吐息に混じる否定を無視して、唇を離さぬまま長衣のボタンを外しにかかる。
「ジーグ、耕太が・起きたら困ります!」
切羽詰ったようなテレストラートの言葉に、ジーグが固まる。
もし、ことの最中に耕太が目覚めでもしたら、大騒ぎになる。
何かの拍子に入れ代りでもしようものなら、大騒ぎではすまされない。

しかし・・・焼け付くような渇望は、簡単には収める事が出来そうにはなくて
「ティティー、その・・・コータを強制的に眠らせるってのは、無理か?その・・・少しの間だけ。目覚めないように。」
その言葉を聞いてジーグが何を考えていたか察したテレストラートは困ったように眉を下げる。
「出来るとは、思います・・・。でも・・・」
「でも?」
「たぶん私も一緒に眠ってしまうと思います。」
ジーグがガクリと肩をおとし、大きく溜息をつく。
「ジーグ?」
気遣わしげなテレストラートの声に、顔を上げたジーグは恨めしげにテレストラートの顔を見ると乱暴に深く口付け、怒ったように立ち上がった。
「ジーグ・・・。」
乱れた着衣を神経質に直しながら、恐る恐ると言った様子で声をかけたテレストラートに
ジーグは大きく溜息をつくと、何かを振り切ったように子供っぽい笑顔で振り返り
手を差し出すとテレストラートを引き上げ、起き上がらせる。

「飯、食えよ。」
そう言って食事の入った籠を手渡すと、まるで見張るようにテレストラートの脇に腰かけた。
「美味しい。」
驚いた様に呟くテレストラートに苦笑しつつ、絹のように艶やかな髪を1房、指に絡めると唇をよせる。
思い出したように。
「コータが何と言っても、髪を切らせるなよ。」
「髪、ですか?」
「お前は俺のものだから、誰の好きにもさせない。」
あからさまな独占欲と不器用な愛情表現は、彼が甘えている証拠だ。
テレストラートが笑みを浮かべて見ているのに気付き、ジーグは照れくさそうに言う。
「コータは俺の事を嫌っているからな。俺が嫌がりそうだと思うとやりたがる。」
「嫌ってなんていませんよ。むしろ好きなんです。
 憧れているし、頼りにもしています。」
「別に、なぐさめてくれなくてもいい。嫌われていたって、別に・・・。」
「違いますよ、ただ・・・始の印象が有るので、ちょっと怖いんだと思います。あなたに怒られるのが怖いんです。」
「俺は・・・そんなに怒ってばかり居るか?」
「ええ。私も初対面の時、怒られましたから。」
「初対面の時・・・?」
テレストラートとジーグが認識している"初対面"にはズレが有るため、ジーグにはピンと来なかったが、すぐに思い当たる。
「あれは・・・」
「怒られましたよ。ものすごく。とても怖かったです。」
笑顔で告げるテレストラートに、ジーグは憮然として言う。
「あれは・・・でも、お前が悪いんだ。」
「ええ。あなたはいつも私の間違いを正してくれます。そして耕太の事も。
 耕太もそれを知っていますよ。嫌ってなんかいません。
だって、彼は私と同じ魂を持っているんですから。」
「それは、告白か?」
「今更、そんなものが要りますか?だったらそれでもいいです。」
笑顔で言い切るテレストラートに、ジーグは降参のしるしに両手を挙げた。

(2007.05.24)
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