ACT:23 疑似


闇の中から松明の光の中へ、男はゆっくりと足を踏み出した。

背は耕太よりもやや高いが、痩せているせいか頼りなげな印象を与える。
身に着けている服も、よく目にするような町人風のもので
武器も身に帯びていないようだ。
顔は特に整ってもいなければ、醜くも無く
人ごみに入ればすぐに紛れてしまいそうな
これと言って外見的特徴の無い中年の男。

だが無害そうな外見とはそぐわない、どこか不自然な雰囲気に
耕太は意識せずに1歩後退る。
どこかぎこちない足取りで距離を詰める男の不自然さの要因が
松明の明かりに照らし出される。

男の平凡な顔には人間に本来有るべき表情が一切無く
真直ぐにこちらを向いている目も、まるで死んだ魚のように虚ろだ。
だらしなく開かれた口の端から、涎が一筋アゴを伝って垂れてゆくのが見えた。
どう見ても普通ではない。

「なに・・・誰?」
恐怖に駆られて思わず擦れた声で問いかけた耕太に、
答えは男からではなく楽しげに眺めるタウから返る。

「私達の研究の成果。人為的に作り出した術師ですわ。
 ステキでしょう?今までの死なないだけのおもちゃと違って、
術を使って攻撃が出来ますの。」
男はゆっくりと足を進めながら、まるで捕えようとでもするかのように
耕太に向かって手を伸ばす。
「ここまでにするのにとても苦労しましたのよ。ずいぶん沢山無駄にしましたわ。
バラバラになってしまったり・・・気が狂って、言うことを聞いてくれなかったり。」
男の口から低い呻き声が漏れ出し、それがだんだんと大きくなる
それに呼応するかのように、男の腕に、顔に
体全体を覆うように、複雑な赤黒い模様が浮き出して来る。
「その男も、元はただの人間でしたのよ。
 そう、その男ガーセンの人間ですわ・・・名前は、何と言ったかしら。
 貴方の力の信奉者で、私達の研究に随分と協力してくれました。
 自分の国から沢山の実験材料をつれて来てくださって
寝食を惜しんで研究に没頭していましたわ。
最後には自らの体を実験にささげて
まあ、話が違うと随分見苦しく、泣き叫んではいたみたいでしたけれど
自分の肉体で実験の成功を体現できて、きっと本望だったことでしょう。」

耕太はタウの言葉を聞きながらも、その意味が全く理解できないでいた。
脳がこの状況を理解する事を、拒否してしまっているようだ。
頭だけではなく体も、まるで凍りついたようにすくんでしまって動けない。
「ティティーさま。記念すべきその男の門出に、お相手をしてあげては下さらない?
 本気で戦って下さってかまいませんのよ。でないと、実験の成果が見られませんもの。
 どこまでその擬似者の力が通用するか、ガーセン最強の術師で試させてくださいな。
 邪魔の入らない舞台も用意して差し上げた事ですし、心置きなくやってくださいませ。」

男の体に浮かぶ模様が、不気味に発光し始める。
洞窟の中では有り得ない強さで、風が吹き始めた。
「わたしの仕事に協力してはくださらないの?
 ティティーさまったら、出し惜しみをして滅多に力を使っては下さらないのですもの。
 この洞窟内にはわたし達だけ。術を使っている最中に手を出したりはいたしませんわ
 さあ、心置きなくわたしに貴方様の勇姿を見せてくださいませ。」
甘えるようにタウが急きたてるが
もちろん、耕太は出し惜しみをしている訳では無い。
使えないのだ。
 
男はゆっくりと、しかし確実に近づいてくる。
その距離はすでに2メートルほど。
1歩、また1歩・・・

と、何かにつまずいたかのように不意に膝が崩れバランスを崩し手をついた。
いや、つまずいたのでは無い
男の膝から下はまるで熱にさらされた蝋のように溶け崩れていた。
足だけでは無い、体を支えようと付いた手が、顔が
まるで3流スプラッタ映画のようにドロドロと解け崩れてゆく。
「あら、駄目ね。
 また失敗してしまったようですわね、溶けてしまうなんて。
今度は大丈夫だと思ったのに、残念ね。」
あまりの事に声も無く凝視している耕太の耳に、
言葉とは裏腹に少しも残念そうには聞こえない、むしろ楽しげなタウの言葉が流れ込んでくる。
この状況でのその言葉に信じられなくて、思わず上を見上げた耕太に
タウはまるで恋人にでもするかのように、微笑みかける。
「ああ、でも出された命令は覚えているみたい。」
タウの言葉に慌てて男(だった物)に目を向けると
それは、解け崩れた体を引きずるようにしながら、依然として少しずつこちらへ進んで来ていた。

「それ、貴方の信奉者だったから、貴方が欲しいんだわ。
 抱かれて差し上げたら?」
タウが楽しげにクスクスと笑いをこぼす。

こんなの本当の訳無い!タウが、こんな酷い事するなんて・・・
いや、オレがこんな所にいる事自体が有り得ない。
だって、ついこの間まで普通に学校へ行って、テレビを見て
普通の生活を送っていたのに!!

いくら現実を否定してみても
不気味に蠢く物体は、消え去る事無くこちらへ近づいて来る

骨が残るでもなく溶け崩れ、出来上がった粘着質の赤黒い水溜りのなか
何故かそれだけ人の形を残してかすかに動く片手と顔の半分が
卒倒しそうなほど嫌悪感を刺激する。
片方だけ残る虚ろだった目は、今は耕太の姿を追っており、ハッキリとした意志を伺わせる
半ば消えかかっている口の端が微かに上がり、歪んだ笑みを形作る。
悪夢のような光景に、耕太は耐えられずに叫び声を上げた。
それから少しでも遠ざかろうと、転びそうになりながら後退るが
いくらも離れないうちに背中が岩壁に当たる。
行き止まりだ。
慌てて辺りを見回すが、3メートルの岩壁、底の見えない幅10メート以上の亀裂
逃げ道は何処にも無い。
「うわぁあああああ―――――!!嫌だ、来るな!! 助けて!助けて。
ジーグ、ジーグ!!」

「コータ!!」
名前を呼ぶ声に、耕太は弾かれた様に視線を向け声の主を探す。
「ジーグ!」
思わず助けを求めた相手。しかしその姿が立つのは対岸
10メートルの亀裂の向こう側。
いくらジーグが無敵の戦士だとしても、飛び越えられる距離ではない。
「犬が!!」
頭上でタウが毒づき、踵を返すと闇の中に消える。
その間にも溶け崩れた男は耕太へと這い寄って行く。
「コータ、逃げろ!」
対岸から叫びながら剣を抜き放つと、ジーグは振りかぶって剣を投げた。
それは狙い違わず地に這う男の体を貫いた
しかし、半ば液体と化している男を地面に縫い止める事は出来ず
男は何事も無かったかのように距離を縮める。
「コータ、上れ!上に登るんだ!」
ジーグの言葉に耕太は岩壁に取り付くが、上まで手が届かない切り立った壁面はとても登れそうに無い。
何とか足掛かりを見つけようと必死になるが
焦りも有り、50センチも上がらず、すぐに滑り落ちてしまう・・・
「無理だよ!絶対に無理、登れない!!」
「待ってろ!」
対岸でジーグが踵を返すのが見える。
「ジーグ!!」
「すぐに行く!」
叫んで走り去るジーグの姿はすぐに視界から消えた。
「ジーグ!嫌だ、行かないで!!」
対岸からではどうにも出来ない事は分かっていても、1人になりたくなかった。
分かれ道まで戻り、ここに来るまでどのくらい掛かる?
この化け物が自分を捕える前に、たどり着けるとはとても思えない。

「来るな、来るな、来るな!」
何か武器になる物は無いかと探す
腰に短剣は有る。
しかし、それが役に立たないのは実証されてしまった。
地面の上の松明を目にし、化け物のすぐそばに転がるそれを決死の覚悟で拾い上げた
耕太を捕えようとするかのように体の一部を伸ばした化け物を
払いのける様に炎を振ると、怯んだように身を引く。

やった、火が怖いんだ!!
しかし、身を引いたのもつかの間。すぐにまたこちらへと進みだす
炎をかざしても、突きつけてもそれを避けるように脇から距離を詰めてくる
次第に耕太は追い詰められてゆく。

もっと大きな炎が有れば・・・
しかし、かろうじて身を守っている手の中の小さな炎も
何時燃え尽きてもおかしくない様子で弱々しく揺れている
ジーグはまだ来ない。
花潜りを撃退した時の炎・・・
確かに自分は精霊を呼んだ
どうやるんだ?落ち着け、思い出せ
ゼグスは何と言っていた?意識を手に集中して、炎をイメージし、望み、精霊を呼ぶ
「・・・・・アースラ」

何も起こらない。

「アースラ、アースラ・アースラ!!!火だよ!火!!クソッ!何で!何で!!」
何度試してみても炎どころか火花1つ出て来ない。
不気味に蠢く物体は、今にも靴先に触れそうなぐらいに近づいてきている
自分はどうなるんだろう?
まさか・・・これに喰われるとか?
想像するのも嫌で、耕太は恐怖に耐えかねて、それから目を離した
「もう嫌だ。もう嫌だ、もう嫌だ。これは現実じゃない、現実のハズが無い・・・」
目の前の現実を何とか無視しようと、ただ虚空を見つめて繰り返す。
足先に何かが触れた気がした。

「―――――ッ!!」
恐怖に言葉も出なくなる、下を見ることが出来ずただ荒く呼吸を繰り返し
心の中で"現実じゃない!"と繰り返し続けた。
松明の炎が消え―――――闇が訪れた。

暗闇のせいか、過呼吸のせいか
感覚が麻痺したように、現実感が急速に薄れてゆく。
闇の中、ぼんやりと赤く光る化け物の体の模様が見て取れるが
まるでテレビの画面を見ているような、現実感の無さだ。
荒い自分の呼吸の音も、遠くから聞こえるようで、まるで自分の殻の中にでも入ったような感覚。
荒い呼吸が耳障りだと思った瞬間、無意識に深呼吸をしていた。
大きく息を吸い込むと、口から言葉が溢れ出る。
「アースラ エル フォルト・・・」
無意識に上げた右手の上に、青い小さな炎が現れたかと思うと急激に膨らみ、分裂し
闇の中に円と線が複雑に絡み合った神秘的な文様を描き出す。
その間も耕太は自分の口から、歌のように緩やかに紡がれる言葉が流れ出すのを聞いていた。

青く輝く炎に、恐れを感じたのか化け物が、形の定まらない体を引き逃げようとする。
その瞬間、虚空に浮かんでいた模様がそれに覆いかぶさるように包み込み
途端に激しい炎を上げ始めた。

耳を覆いたくなうような絶叫が、洞窟の中に響き渡る。
青い炎に焼かれ、のた打ち回る化け物が縋りつくように人の形を残した手をこちらに伸ばすが
何かに阻まれるように虚空で弾き飛ばされる。
炎が無数の狼を形作ると、その牙で、爪で化け物を引き裂き、焼き尽くす。
断末魔の絶叫に、耕太は耳を塞ごうとするが、指はピクリとも動かなかった。
引き裂かれた化け物は灰も残さずに燃え尽きて、狼たちが空に溶け込むように消える。
地面には焦げ後1つ残っていない。
虚空に浮かんでいた模様が、打ち上げ花火の残り火のように
キラキラと輝きながら消えてゆくのを、耕太はぼんやりと眺めていた。
一体、何がどうなったんだ?

「コータ!!無事か?」
辺りが松明の明かりに照らし出され、崖の上から掛けられた声に
「ジーグ」
耕太は弾かれたように振り返り、その名を呼んだ。
ハズだった。
だが、耕太の意思に反して体はゆっくりと振り返り
見上げて呼ぶ声は、問いかけるように不思議そうな響きを帯びている。
「コータ、怪我は?あの化け物はどうした?」
ジーグの言葉に、ゆっくりともの問いたげに小首をかしげるその仕草は耕太がしようと思ったものではない。

"オレ、操られてる!?体を乗っ取られた!!"

崖の上から耕太の無事を確認すると、ジーグは辺りを警戒するように視線をはしらせる。
「だからあれ程勝手な行動はとるなと・・・コータ?どうした、大丈夫か?」
耕太を引き上げようと手を伸ばしたジーグは常とは違う耕太の様子に心配そうに声をかける。
"ジーグ、違う!これはニセモノだ、オレじゃない!気付いて"
どんなに叫んでいるつもりでも、自分の意思では指一本動かす事が出来ない。
焦るコータの前で、ジーグが訝しげに眉をひそめる。

その顔にゆっくりと、驚きが広がって行く。
「お前・・・」
"気がついてくれた!?"

「お前、テレストラートか?」


(2007.02.27)
一言でもご感想頂けると嬉しいです!! →     WEB拍手 or メールフォーム 
前へ。  作品目次へ。  次へ。