ACT:24 テレストラート


『今・・・何て・・・?』

「テレストラート・・・?」
「はい。」
返された返事に、ジーグが息を飲むのが分った。
ジーグは耕太が受身も取れずに無様に落ちた3メートルの崖を
いとも身軽に飛び降り彼の前に立つ。

「・・・本当に、テレストラートか?」
答えを聞くのを恐れるよかのように擦れた声で再び問う。
対するテレストラートは何故そんな事を聞かれるのかと訝しむように小首をかしげた。
その仕草。その眼差し。
ジーグがそっと、まるで触れて壊してしまうのを恐れるかのようにそっと手を伸ばし
テレストラートの頬に触れる。
「ジーグ?」
戸惑う様に問う、その声の響き。

間違いようが無いほどに、慣れ親しみ
何よりも大切で
そして、2度と眼にする事の叶わぬ、永遠に失ってしまったはずの物。

胸が締め付けられるような思いに突き動かされて、ジーグは彼を引寄せると、強く抱きしめた。
『ぐわぁあ・・・く、苦しい!!離しやがれ!!!』
いきなり抱きしめられた耕太は離れようともがくが、びくともしない。
ジーグの力が強いのではなく、手足がピクリとも動かないのだ。
「ジーグ・・・どうしました?」
耕太の意思とは関係なく、唇が動き問いが発せられる。
『やっぱり乗っ取られてる、オレ・・・違う、これがテレストラートなら乗っ取ってたのはオレ??
ええ??でも、何で?何がどうなったんだ?』
テレストラートの不思議そうな問いにも答えず、ジーグはその腕に力を込める
まるで離せば消えてしまうと恐れてでも居るかのように。
戸惑った様子のテレストラートは、しかし、ゆっくりと両腕を上げると
おずおずとジーグの背に回した。

『何で、何で、何でオレ、ジーグと2人で抱しめ合ったりしてるんだ?』
混乱して状況について行けない耕太は、今にも卒倒しそうだったが
自分では倒れる事さえも出来ない。

どのくらい、そうしていたのか。
やっと、ジーグが腕の力を緩めわずかに体を離すと間近から見上げるテレストラートの青い瞳を覗き込む。
深く透明に澄みわったった湖のような、深い蒼。
困ったような笑みを浮かべる、その小さな顔を両の手でつつみこむ。
『近い、近い、近すぎる!!』
耕太の叫びはジーグに届くはずも無く、ジーグの顔がさらに近づいて来る。
ジーグの顔をこんなに、間近でまじまじと見た事はなかった。
『結構まつ毛が長い・・・鼻筋が通ってて、外国の映画俳優みたいだ・・・ジーグも顔立ち整ってたんだなぁ・・・って、
何?このままじゃ顔がぶつかる・・・って、キ・キ・キ・キス―――――!!!』
遅まきながら、状況に気付いた瞬間に
受け入れるかのように、瞼が伏せられ視界が狭くなり、唇が―――――触れる。
『ギャ―――――!!!何しやがる!変態―――――!!!』

思わず思いっきりジーグを突き飛ばす。
今度は手が動いた。

押しのけられ、驚いたジーグがテレストラートを見ると
テレストラートは驚いた様に自分の手を見下ろしていた。
それからゆっくりと視線を辺りに巡らせる。
「ここは・・・何処です?」
それから、微かに顔をしかめて問う。
「私の中に居るのは誰ですか?」



「敗走しただと?一体どう言うことだ!!大体何故、ガーセンの軍が出しゃばって来る
 オーガイで叩き潰した筈だろう!!」
玉座から周りの者に当り散らすように、ヒステリックに喚き散らしているのは
ガーセンの南に国境を接し、隣国ムロイとヌイを同盟の名の元に配下に収め
ガーセンと交戦中のイオクの王、ダイス・クロセルラ。
線が細く、おどおどと動く目ばかりが不自然に大きく感じる、神経質そうな50前の男は
決して名君ではなかったが、気が弱い程に穏やかな性質でそれなりに平穏に国を治めていた。
それが、突然大国ガーセンに宣戦を布告、一時はガーセンの王都フロスを占拠するに至った時には、
大陸中の諸国が我が耳を疑ったものである。
「サシャは何処だ!早くサシャを呼んで参れ!!」
大国の王の居城とは比べ物にならない、一領主の館と言った規模の城の王の居室には
ガーセンから持ち込んだ物か、手の込んだ毛織物や芸術的な細工の施された調度品、彫像などが悪趣味なほどに乱雑に置かれ
それらに埋もれる様にして、落ちつかなげに座り喚き散らすダイス王は
お仕着せを着せられ繋がれた、野生の猿のように滑稽で威厳の欠片も無い。

王の様子に手を焼いている側近達の後ろから、1人の男が静かに歩み出ると
臆する様子も無く王の前に真直ぐに進み出て、玉座の前に跪いた。
すらりとした体つき。年は30代にも50代にも見える。僧侶のような飾り気の無い長衣を身に着け
癖の無い真直ぐな髪を肩に触れるほどの長さで切りそろえている。
その風体は近隣諸国の物ではなく、音を立てず滑るように歩く独特の立ち居振る舞いや
常に薄く笑んでいる口元と、決して笑みを浮かべる事の無い瞳、感情の読み取れない表情が、得体の知れなさを醸し出している。
その男が何時からこの国に居るのかを知るものはいない。
気付いた時には王の側近くに仕え、王の気に入りの参謀として働いていた。
「ダイス王にはご機嫌麗しく。」
「おお、おお、サシャ、参ったか!待っておった、待っておったぞ!
 他のものは皆下がれ!余はサシャと話が有る、呼ぶまで下がっておれ!」
或る者は露骨にサシャに不審の目を向け、或る者はこれ幸いと側近達が去ってゆく中
王は待ちきれないようにサシャを側近くへと手招き、声も落とさず話し始める。
「コーサスでの戦いで我が軍は敗れたそうではないか、一体どうなっておるのだ?
 ガーセンはオーガイでの戦いで完全に息の根を止めたのではなかったのか?
 ガーセンの黒い髪の術師は死んだと聞いたのに・・・。」
「ダイス王、何も心配なさる事はございません。
 全て、計画通りに進んでおります。ハシャイは死に、ガーセンの内部はすでに空洞化し、
張子の虎にございます。現にガーセンは我がイオクに恐れをなし、攻めては来ないではありませんか。
テレストラートの事は情報に混乱があったようですが、それも小さな事。
こちらの対抗策もほぼ完成し、ガーセン側に何人術師が居ようとも、すでに関係の無い事。
王が心配なさる事は何もございません。」
「しかし・・・しかし、ガーセンは害虫のようにしつこい。
 何度叩き潰しても這い上がってくる・・・。コーサスでも沢山、兵が死んだのだろう?
 我が軍は元々人数では分が悪い・・・。」
「兵など、全て死に絶えてしまっても構いません。王さえ生き残られれば問題無いではないですか。
ダイスさま、あなたこそがイオクそのものなのですよ。そして、イオクは大陸の覇者となるべき運命の元に有る。
私はその為に遣わされているのです。何も心配なさることはございません。全て、順調でございますれば。」
「うん・・・そうか、そうだな。お前はいつだって正しい。頼んだぞ。」
「畏まってございます。」


王の御前を辞し、人気の無い廊下を歩くサシャの耳に楽しげな笑い声が届く。
足を止め、声の聞こえてきた闇の方へ視線を向ける。
闇の中から、軽やかな足取りで光の中に歩み出てきたのはタウだ。
田舎の素朴な町娘の格好ではなく、豪奢な刺繍の施された真紅のドレスに身を包み
化粧を施したタウは別人のように妖艶だ。
「相変らず、口が上手くていらっしゃること。」
「タウルロアか、首尾は?」
「あまり良くはありませんわ、また失敗。どろどろに溶けてしまいましたの。
確かに精霊は使えているのですけれどね。」
「術が使えるのであれば形など関係有るまい。」
「あれでは戦場での移動が遅くってかないませんわ、美しくも有りませんし。」
「仕留める事は出来たのか?」
「邪魔が入って、最後まで見届けられませんでしたの。殺す事は出来なかったと思いますわ。忠犬が現れてしまって・・・。」
「ラセス将軍の息子か。」
「でも、術師長さまも噂ほど大した男ではありませんわ。ただの坊や。
 誘惑してこちらに引き入れるのも良いかと思ったのですけれど、犬がうるさくって。
 それに、確かに力は大きいようですが・・・使いこなせて無いのではないかしら。
実験台にして暴走させても厄介ですし、殺してしまった方が安全ですわね。
まあ、子犬みたいに可愛らしくて、惜しい気はしますけれど。
殺る気になれば、いつでもできますわ。厄介なのはむしろお爺さまがた。」
「十三長老か。何人降りて来ている?」
「5人。1人死んで、今は4人。
 お爺さまじゃ、誘惑する訳にもいかないですし。」
「まあ、いい。もともと長老方は保守的だ。ガーセンなんぞの為死に物狂いで戦うとは思えん。」
「随分と詳しいんですのね。お知り合い?」
「気になるか?」
「いいえ。私は今と未来にしか興味がありませんわ。それから、あなた様の為に働いていただけるご褒美と。」
「何が欲しい?」
「世界。」
タウの答えに、サシャが楽しそうに笑いを洩らす。
「いいだろう。」
サシャの答えにタウは艶然と微笑んで、腕をサシャの長い首に絡めると
紅で赤く染めた唇でサシャの薄いそれを塞いだ。



「何を覚えている?」
ジーグの問いに、テレストラートは記憶を探るように視線を落とした。

洞窟を出て、野営地に戻った2人は術師達に状況を説明し
混乱している様子のテレストラートを隠すように一つの天幕を確保し、兵を払った。
今天幕の中に居るのはジーグ、テレストラート、ゼグス、
王と共に先にフロスへと赴いたセトロ老を除いたグイ、セイル、クレトアの長老そしてクナス、ルイ、ミニス、ムイ、ロティの5人の術師。
小さな天幕はこれでいっぱいで、他の術師達は外で様子を伺っている。

「オーガイでの戦い・・・で・・・」
テレストラートが自ら確認するかのようにゆっくりと話し出す。
オーガイの荒地に展開するイオクの軍は5万。
対するガーセンと同盟国の軍は30万。
戦況はガーセン側に圧倒的有利。
イオクの別働隊の動きも完全に把握しており、勝ちは決定していた。
後はいかに自軍の被害を少なく、敵を完膚なきまでに叩き潰すか。
いずれにしろ、このオーガイで戦は終局を見る―――――筈だった。

突然の爆発、次々と上がる火の手、人々の怒号、混乱、そして
押し寄せた記憶にテレストラートは顔を上げ、弾かれたように立ち上がる
「王は!ハシャイ様はご無事で・・・。」
叫ぶような問いにジーグが悲痛な顔で首を振る。
「・・・何てこと・・・。」
テレストラートは呟くと、両手で顔を覆いその場に座り込む。
守れなかった、忠誠の誓いを立てた相手。ほんの数十メートルの場所にいたのに・・・
自分だけ、おめおめと生き残って・・・・・?
テレストラートの手がゆっくり下へと降りて行き、彼の右脇腹に触れる
そこにはテレストラートを死に追いやった傷が有る。

「私が・・・生きている筈は、ない・・・。」
低く、静かな声で呟くと視線を上げ並んで座る人々の顔をゆっくりと見回す。
「反魂をかけたのですか・・・私に・・?」
喘ぐように言うと次ぎの瞬間、激して声を上げる。
「何故、王を甦らせなかった!何故!!」
テレストラートの怒りに空気が軋むのが分る。長老以外の術師達は、まるで打たれでもしたかのように頭を抱えて蹲る。
「ジーグ・フォン・ラセス軍兵長、答えなさい!」
答えを得られず焦れたテレストラートは、蒼い瞳を怒りに燃やしジーグに詰め寄る
フルネームで名を呼ばれたジーグは、その言葉に縛られるような感覚を覚えたが
テレストラートを真直ぐに見詰めたまま、苦悩のにじむ静かな声で言い聞かせるようにゆっくりと答える。
「ハシャイさまの御遺体は、損なわれていて反魂をかける事が適わない状態だった。」
テレストラートが音がするほどに歯を食いしばる、その顔は蒼白で手は白くなるほど強く握り締められている。
「その上、お前まで失えばガーセン軍は総崩れだ。失う訳にはいかなかった。
 だからオーク老が命を課して反魂をかけた・・・・・だが
 目覚めたお前は別人だった・・・。」
テレストラートは自分を落ち着かせる為に、大きく息を吐き出す。
張り詰めた空気が少しずつ平穏さを取り戻し始めるが、人々の心に重く沈みこむような悲しみが入り込んでくる。
テレストラートの感情が周りの人間にも影響を及ぼしているのだ。
「それが・・・彼・・・コータ?」
ジーグが静かに頷く。
「いるのかコータは、お前の中に?」
「先程、あなたを突き飛ばしたのは彼です。」
テレストラートの言葉にジーグは苦い顔をし、話の読めない術師達は顔を見合わせる。
「でも、テレストラートさまが戻られて、本当に良かった。これで何もかも上手く運びますね。」
ミニスが沈んだ空気を振り払うように、明るい声で言い放つ。
それを合図に術師達の顔に安堵の笑顔が上り、口々に喜びや、これからの予定を口にし始める。
がやがやと一気に騒がしくなった天蓋の中で、耕太は1人焦っていた。

ちょ、ちょっと待ってよ!オレはどうなっちゃうの?
 勝手に呼び出しておいて、テレストラートが戻ったらお払い箱か?そんなの無いよ!!
ジーグ!何とかしてよ、親友がもどったからって・・・親友・・・?
じゃないんだ・・・恋人なんだ・・・
その考えに耕太は愕然とする。今までのジーグの言動や行動が思い出される。
テレストラートを語る口調、表情。
随分と過保護で怒りっぽい奴だと思っていたけれども
恋人が別人になったんだもん当然だ。
って、言うか、気付かなかった自分の鈍感さに呆れる。
きっと地雷踏みまくりだった。
その恋人が戻ったんだ、ジーグはオレなんか要る訳が無い・・・。
オレ、このままなの?・・・そんな、酷すぎる!!誰か!!

「耕太。耕太、大丈夫です。私は死んだ人間です。
 この体はあなたの物です。」
自分の考えている事が、テレストラートに届いているなどとは思ってもいなかった耕太は
返された言葉と、その内容に驚く。
騒がしい天幕の中で、しかしジーグは独り言のように呟かれたその言葉を聞きとがめた。
「な・・・に、を言ってる、テレストラート・・・」
「ジーグ、これは許されない事です。まして人を犠牲にするなんて、私には出来ない。」
ジーグは焦ったようにテレストラートの手を取ると、必死の様子で訴えかける。
「待て、話を聞けテレストラート、俺たちには・・お前が必要なんだ。」
テレストラートは悲しげに微笑む。
「ごめんなさい。」
「ティティー、待て、駄目だ!こんなの耐えられない。」
訴えかけるジーグから逃れるように目を逸らすと、テレストラートは"後退"した。

前に押し出されるような感覚が有り、世界が急に現実味を帯びる。
感覚が全て戻り、その瞬間、耕太は体を自由に動かせるようになっていた。
途端にジーグが何かを察したのか、パッと手を離す。
『うゎ・ムカツク、その態度!!何で分るんだ?コイツ』
「コータ!?テレストラートは?テレストラートはどうなった?」
「ジーグが虐めるから逃げた。」
ジーグの露骨な態度にムッとしていた耕太は、意地悪く答える。
「な・・・。」
絶句するジーグや驚く術師達を他所に、耕太は自分の中に確かに感じるテレストラートに語りかける。
「テレストラート、オレ別にこの体を独占したいなんて思ってないよ。
 ほら、戦とかに出ても役立たずっていうか・・・なのにジーグは連れて行くし
ハッキリ言って怖いし行きたくない。
テレストラートが行ってくれれば、助かるしさ・・・戦が無い時かわってくれれば。
他の時も半分ずつ、交代で使えばいいじゃん。
夜と昼で変わるとか・・・1日おきでも良いや。それで、何とかする方法をゆっくり見つけようよ。」
「ティティー、聞いてくれ、必ず何とかする。2人にとって良い方法を探すから
 消えないでくれ、頼む・・・。
 コータ、テレストラートを出してくれ!」
「出せって言われたって・・・何がどうなってるのか、さっぱり。」
「ティティー、頼む。頼むから・・・。」
『耕太・・・。』
「本当にオレはそれで良いよ。」
急にまた体が動かなくなる。
と、とたんにジーグが手を取った。
"何で、コイツこんなに分るんだよ"
「テレストラート・・・。」
長い沈黙の後、テレストラートは本当にかすかに頷いた。
ジーグはホッとしたように小さく息を吐くと、テレストラートを抱き寄せようと手を伸ばす。
その手を耕太が跳ね除けた。
「コータ!!」
「また、変な事する気だろ!」
「するか!人前で!!」
「2人っきりならするんだ、へ〜え。」
「違う!!」
「とっとと良い方法考えろよ、ジーグ。それまでテレストラートは人質だからな。」
「貴様!!」
呆気に取られる術師達を他所に、ジーグと耕太は派手な口げんかを繰り広げた。


テレストラートって思っていたのとだいぶ違う。
夢に見た彼は、力に溢れ自信にみなぎり超人のようだった。
その後に人々から聞かされた話も、冷静な人物、有能な若き指導者、希代の術師。
なのに、こんなに危うげで・・・儚い。
思わず、守ってやらなきゃって思っちまう。
その上、美人だしなぁ・・・って、それってオレ、ナルシストって事になるのか?
それは、ちょっと・・・。

それにジーグ。
頼りがいが有って、大人って感じだったのに
テレストラートが絡むと、まるでガキだ。
思わずからかってやりたくなるよな・・・

これから、どうなるのか
どうしたら良いのかなんて、まるで分らないけど
今はこれで良かったんだよな。
だって、オレは消えるのは嫌だし、テレストラートを殺すのも嫌だ。
何だか訳のわからない状況になっちゃったけど、良かったんだよな、これで、きっと・・・。
たぶん。

(2007.03.04)
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