「・・・・・耕太、おい耕太、耕太。」
「ふぇ?」
乱暴に体を揺さぶられて、耕太は間抜けな声を上げる。
寝ぼけたはっきりしない頭を上げて、ぼんやりと辺りを見回す。
「何、間抜けな顔してんだ、吉田が来るぞ。」
「勇司・・・?」
「ん?」
自分を揺り起こした友人の名前を、呆然と呟いた耕太に
長谷川 勇司は何だ?と問いかけるように首を曲げる。
すぐ前の椅子に座る、良く見知った友人の顔を
耕太は信じられないような顔で見つめる。
「本当に・・・勇司?」
「はぁ?何?お前、まだ寝ぼけてんの?」
食い入るように自分を凝視して来る耕太に勇司は怪訝そうな声を上げる。
耕太は勇司の顔から視線を外すと、ゆっくりと辺りを見回す。

授業の始まる前の見慣れた教室は、生徒たちの賑やかなざわめきに満ちている。
何の変哲も無い、日常の風景。
視線を落せば、左隅に不細工なカエルの落書きが有る自分の机。
その前に座る自分は、学校の制服に身を包んでいた。

「・・・・・もどった・・・?」
視線を窓に向けると、外に広がるのは無人の校庭と
その向こうの町並み。
そして、日差しを受けるガラスには、驚いた顔の自分が映っていた。
「戻った・・・戻った!戻ってきた―――――、やった!帰って来た、ひゃっほ〜」
耕太は飛び上がると、懐かしい友人に飛びついた。
「帰って来た!勇司、オレ帰ってきたよ〜。」
「ぅわっ、耕太、何しやがる!?吉田が来るって、放しやがれ!」
力一杯抱きつかれた勇司が嫌そうに、耕太を引き離しにかかる。
「つれないなぁ〜勇司、オレが無事帰ってきたって言うのに〜」
「馬鹿、何寝ぼけてやがる。」
「・・・・・ねぼけ?」
ふと、我に帰って辺りを見回すと、級友たちが何事かと不思議そうな顔で耕太を見ている。
「勇司。今、いつ?何日?」
「へ?5月20日だけど・・・」
「5月20日?」
それは、確か自分があの世界に引き寄せられた日。
「お前、大丈夫か?」
勇司が心配そうに声をかけて来る。
「・・・・・夢?」
耕太は呆然と呟いた。





昼休みに中庭の芝生の上で、いつもの顔ぶれで弁当を食べながら
昨日の見たバラエティ番組の事と、放課後の予定を話し
当たり前の日常を楽しみながら、耕太はぼんやりと考えていた。

考えてみれば、マンガじゃ有るまいし、あんな事が実際に起きる訳がない。
それも平凡を絵に描いたような自分の身に。
この所、確かに夢見が悪くて
いつも見る夢の延長として、あんな夢を見たんだ。
リアルな夢だった・・・。
それに、長かった。
夢の中の時間をどうこう、言っても意味は無いが
教室でほんの数分、うたた寝をした間に
自分はあの世界で実に2年を過ごしたのだから。
まるで浦島太郎・・・いや、浦島太郎は竜宮城の3日が100年で俺とは逆か。
それにしても・・・夢なのだったら、もっと思いっきり楽しんでやれば良かった。
あんな、スペクタクル映画を地で行ってるような世界にいたのに
驚いて、戸惑って、ただわたわたしていただけだなんて・・・。

戦場で、こう颯爽と戦ったり
人々をこう、ヒーローの如く助けたり
かわいいお姫様と、恋愛したり・・・・・
自分の夢の中でさえ、平凡な高校生の平山 耕太だなんて
何だかズルい。
あの時は、とにかく元の自分に戻りたくて
自分を『平山 耕太』として見てもらいたかったけど・・・。

急にオレが居なくなったら、ジーグ、また探してくれるかな・・・。

ふと、そんな想いが頭をよぎる。
黙って居なくなったって、怒って・・・
きっとティティーも凄く心配してる。
そして、ふと我に返る。
何、考えてるんだろう、あれは全部夢だったんだ。
ジーグもティティーも心配なんかしない。
彼らは、どこにも存在しない。
オレの夢と一緒に消えてしまった。

そう、思ったとたん急に胸が締め付けられるように痛んだ。

あんなに近くに居て、喧嘩したり、笑ったり
一緒に死にそうな目にもあったりして、色々な経験をして
大好きで
彼の為に、死んだっていいかって思った事さえ有ったのに
存在しないなんて・・・そんなの・・・。

今まで感じた事のないような、寂しさと不安に襲われる。

そんなはず・・・ない。だって、ジーグもティティーも確かにいたし
だってオレずっとティティーと一緒だった。
誰よりも近くに、強くて、弱い、彼を感じてて。
また、無理をしてるんじゃないかな・・・
しっかりしてるように見えて
近くでちゃんと見てないと、何をするか分からないから・・・。
ジーグだってあれで意外と間が抜けた所が有るし・・・

でも・・・。
あれが夢でも現実でも
彼らが存在していても、していなくても
もう、自分は2度と彼らに会う事は出来ないんだ。
帰って来てしまったから。目を覚ましてしまったから。


どうしよう・・・。
突然、焦燥に胸を焼かれるような、居たたまれない気持ちになる。
「耕太、どうした?ぼ〜っとして。」
「え?あ、何でもない。」
「また寝ぼけてるのか?」
「それでさ、DVDがメチャカッコよくってさ〜」
夢中だったハズの芸能人の話。
もどりたかった日常。
それが、色あせて見える。
こんな・・・こんな、平凡な世界。
落ち着かない耕太を置き去りに
話題は、郊外に新しく出来たテーマーパークへと移ってゆく。
着工当時から話題になっていたそこは、つい2週間前に開園して
ニュースでもよく取り上げられていた。
混雑の激しい週末を避けて、来週の学校の創立記念日に出かけようと
随分前から決めていた。
楽しみにしていたはずの、その計画も
今では全く気が乗らない。


こんな事、考える方がどうかしてる。
夢の中の世界に、逃げ込みたいと思うほど、この世界に絶望なんてしていないし
実際あの世界に居た時は、元の世界に戻りたいと
ずっと思っていた。
日常の中に化け物も、殺し合いも無い世界。
コンビニもテレビも車も有って、夜も明るく安全で安心な
これが、自分の属する世界。

そのハズなのに。
大切な何かを失くしてしまったかのような
ぽっかりと胸に大きな穴が開いてしまったような気分だった。


「だぁ〜〜モヤモヤする!!」
憂さを晴らすように叫んで、柔らかな芝生の上に体を投げ出し寝転ぶ。
「ビックリした、いきなり喚くなよ耕太。」
「お前、また寝るのかよ〜よく寝るなぁ・・・。」
呆れたような友人達の声。
僅かにチクチクする草の感触と、緑の匂い。
視界に広がる空は、あの世界と同じ青で耕太は何だか泣きたいような
切ない気分になって、涙がこぼれ出さないよう
ギュッと硬く目を瞑った。

緑の匂い。
頬に触れる風の感触
風に揺れる木々のざわめき。
それらはジーグと2人で行った、テセ山の泉の側の草原と変わらない。
今度はティティーも連れて、3人であそこへ行こうと言ってたのに。

「・・・太、耕太。」
名前を呼ぶ声と共に、優しく体を揺り動かされて耕太はぼんやりとした声で呻く。
「ん・・・?」
いつの間にか寝てしまったみたいだ
もうそろそろ昼休みも終わる頃だろう、午後一の授業は何だったっけ・・・?
ゆっくりと目を開けて、眩しさに顔を顰め
飛び込んできた映像に、驚いて飛び起きる。
「耕太、大丈夫ですか?すみません、起してしまって。酷くうなされていたので・・・。」
心配そうに覗き込んでいるのは、空よりも深い透明な蒼。
咄嗟に消えてしまわない様に、手を伸ばし
その細い肩をがっしりと掴み、擦れた声で確かめるようにその名を呼ぶ。
「ティティー・・・?」
「はい。」

とまどったような声で答えるのは、確かにテレストラートで
掴んだ手には確かにしっかりとした存在感が有る。
そっと辺りを見回すと、そこは既に見慣れた王城の中庭の1つで
見下ろした自分は、学校の制服ではなく
テレストラートと同じような、ストンと丈の長い麻の服を着ている。
「夢・・・。」
良かった・・・・・。音にならない言葉と共に
耕太はホッと、大きな息をつく。

手に感じるテレストラートの確かな存在。
テレストラートはここに居た、ジーグも、この世界も本当に有った。
それでも恐くて、中々掴んだ手を離す事が出来なかった。
良かった、戻って来れて、本当に・・・。

「耕太?」
肩を掴んだまま離さない耕太に、テレストラートが心配そうに声をかける。
「大丈夫、ですか?」
「夢を・・・見たんだ。」
「夢?」
「うん。オレの世界の夢。」
夢の内容を思い起こして、感じた切なさが蘇り
知らず目じりに滲んでいた涙を、苦い笑みを浮べて乱暴に拭った。
「耕太・・・。」
とたんにテレストラートの表情が曇る。
「耕太、すみません。色々方法を探っています。
 必ず、耕太の事は元の世界に無事戻しますから。もう少し・・・。」
悲痛な様子で押し出された、テレストラートの言葉の意外な内容に
耕太は「へ?」っと首を傾げ
そうだった・・・と、思い当たる。

本当は、夢じゃ無いほうが良かったはずだった。
ずっと帰りたかったから。
それが望んでいた事だったから。
自分の世界の夢を見たと言って、ベソをかいてたら・・・別にベソって訳じゃないけど。
当然、今の状況を悲しんで泣いてるって思われる。
全然違うんだけど。
いや、全然違って言っちゃマズイんだけど。でも・・・

でも、今心を満たすのは「良かった」って思いだけ。
もちろん今でも、帰りたい。自分の世界に。
そこは自分の生まれ故郷だし、大切な家族や友人が
自分の事を心配してくれているだろうから。
でも、この世界が夢や幻だなんてそんな事はやっぱり嫌だった。
たとえ2度とここに戻ってこられなくても
この世界が、ここの人々が存在しているのと、そうでないのとは全然違うから。
この世界も既に、自分にとって大切なものになっているんだ。
ここには、自分の世界と同じように、大切な人が沢山いるから。

そして、自分の世界がどこかで確かに存在しているのも事実。
たとえ、2度と帰り着く事ができなかったとしても。
ちゃんと存在してる。

2つとも大切な世界。たぶん自分はそのどちらででも生きてゆける。

自分よりも何倍も辛そうな顔をしているテレストラートに
耕太は大丈夫だよと思い切り笑って見せる。
泣き出すのではないかと思えるような、その様子が酷く幼く見えて
耕太は、掴んだままだったテレストラートの肩から、ようやく手を離すと
そっと、その白く滑らかな頬に指を伸ばした。
途端。

「コータ動くな!」
鋭いジーグの声に、耕太は思わず身を竦める。
別に、何も、オレは、やましい事は、まだ、いや、してない、ただ・・・
凍りついた体とは裏腹に、頭はフル回転で
何故か苦しい言い訳で一杯になる。
耕太の視界の中で、ジーグが短剣を引き抜くのが映り
次の瞬間、耕太のすぐ側の地面に鋭く突き刺さった。
「ひぃっ!!」

無実なのに〜!!殺される!!

短く息を飲み込み、視線を落とした側で
突き刺さった短剣によって地面に縫い止められている生物を目にして
耕太は悲鳴を上げて跳び退った。
「うわぁあああ!!」
それはだんご虫を大きくしたような生き物で、大きさは30センチは有る。
体の両脇から生えている足は、蜘蛛のように長く、蜘蛛の足よりも遥かに数が多かった。
頭の上からは長い2本の触角が天に向かって突き出している。
色は目にも鮮やかな緑色で、背中に花のようなピンク色の突起が2列に並んでいるのが
嫌悪感を増幅させる。
短剣を体に突き刺したまま、それはまだうぞうぞと動いており
その伸ばした足先は、今にも耕太に触れそうな距離まで迫って来ていた。

ゆっくりと歩いてきたジーグが、それが刺さった短剣をそのまま地面から引き抜く。
「ひぇ・・・。」
耕太は地面にへたったまま、2歩分ほど後ろに後退った。
「何?なに、それ!?気持ち悪!!」
「ああ、ムクムクだ。何だ、生きてるのを見るのは初めてか?」
がくがくと無言で頷く耕太に、ジーグはそれを掲げてみせる。
「別に害は無いが、噛まれると結構痛い。
 これぐらいの大きさが喰うには、1番美味いな。」
「・・・・・い、今、何て!?」
「これぐらいの大きさが美味い。」
食べる?それを!!?
聞き違いだと信じたかった言葉を、あっさり、はっきり繰り返されて
耕太は救いを求めるようにテレストラートに目をやった。

しかし。
「塩水で下湯でしてから、皮を剥いて、内臓ごとすり潰してスープにするんです。
 確か耕太、好きでしたよね?」
笑顔で言われて、心が凍りついた。

見惚れるような笑顔から視線を引き剥がし、串刺し状態でいまだ蠢くそれに目をやる。

好き?オレが?あれの?スープを?食べた?何時・・・

「そうか。さっそく料理人にわたして来よう。」
「良かったですね、耕太。」
笑顔での交わされる会話が遠くに聞こえる。
彼らとの間に計り知れない距離を感じた瞬間だった。

無理、無理、無理・・・・
オレ、この世界、絶対無理〜〜〜
早く、オレを元の世界に戻して〜〜〜!!!

目の前でゆれる「ムクムク」に
数分前にした、この世界で生きる決意など綺麗にどこかに吹き飛ばして
耕太は孤独を噛み締めながら、心の中で叫んでいた。


(2008.05.20)
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