Act:8 衝突


「人前で話すときはご自分の事は"私"と。
 それと、正式な席で名乗る時は名前は正確に名乗ってください。」
「"私"は"テレストラート・ロサウ・トゥール"です。」
「そうです。」
この町に留まって既に15日目、そろそろ王都に向けて出発を考えなければならない時期に来ている。
王都へ行けば、戦線へ加わる事になるので、今のように事情を知っている人間とばかり接すると言う訳には行かない。

ここ数日、耕太の"勉強"はこの世界の知識を離れ、
テレストラートの話し方、人となり、癖、振る舞いなど
彼を演じる為の細かな点を身につける為の訓練へと移っていた。
「テレストラート・ロサウ・トゥール。テレストラート、テレストラート
何か長いよね、名前。舌噛みそうだ。」
「私たち村の者は精霊たちにも理解できるように
古い言葉で名前を付ける習慣が有るので、発音すると少々長くなってしまうんですよ。」
「え?だって、ゼグスやカナトは?」
「私の名前はゼーロングス・ポトイ、ゼグスは呼称です。」
そう言えば、そう聞いた様な・・・耕太はカナトに視線を移す
「カナリート・イルヌです。名前の一部だけど。」
「一部?って」
「名前はその者の本質を表します。名前を全て明かす事は全てをさらす事。
命をさらけ出すのと同じ意味を持つので、隠し名を設け、普段はその名は明かしません。
真実の名を名乗るのは、命を掛けた契約や忠誠を誓う時だけです。
真実の名を知るのは本人と、隠し名で有る"真名(まな)"を授けた者だけ。実の親も知りません。テレストラート様の真実の名を知っていたのは彼本人と、名づけ親のオーク老。
もしかしたら、前王のハシャイ様もご存知だったかも知れませんが
皆、オーガイで亡くなりました。」
「ジーグ達もその真名ってのが有るの?」
「ジーグ殿は貴族の出なので、隠し名は持っていると思いますが・・・。
実はこれは古い習慣で、今の言葉にはそれ程力が無いのであまり意味はなく
一般では殆んど廃れてしまっています。
一部、貴族など古い血族では形だけは残っていますが
それ程重きが置かれている訳でないと思います。」
「ふ〜ん?・・・で?その真名を知られちゃうと、どうかなっちゃうの?」
「普通の人間に知られても、何も。
 ただ、術師や古き言葉や力を知るものが名を得れば、
 意に沿わぬ事をさせたり、死を強いる事も出来るとされています。
 まあ、互いの力の強さ等も作用するので真名が全てと言う訳では無いのですが。」
「・・・何だか良くわかんないな・・・」
「そんな物が有る、ぐらいに頭に入れておいて貰えればいいです。」
「実際に名乗る事が無いなら良いや。
これ以上名前が長くなったら、どうしようかと思った。
ねえ、テレストラートには愛称とかって無いの?」
「いえ・・・。村長をあまり呼称では呼びませんので・・・。」
「・・・そっか。」
「有るじゃないですか、テレストラート様の呼称。"ティティー"が」
「カナト・・・それは・・。」
そう言えば、始めてこの世界で目を覚ました時、ジーグにその名で呼ばれた事を思い出した
「ティティーて呼んじゃ、何かマズイの?」
「いえ、そう言う訳では・・・でもそれは、彼が村長になるよりも前の
幼い頃に呼ばれていた呼び名なんです。今更それで呼ぶのは・・・。」
「何か親しみやすくって、いいと思うけど。
 他の皆も、もっと短くてわかり易い名前だったら良いのに。
カタカナの名前って、本当に覚えにくいんだよね〜」
「カタカナ?」
「あ、カタカナ無いのか。字の種類なんだけど・・・紙無いかな?」
「紙は辺境では貴重品ですので・・必要なら探しますが・・。」
「あ、いや良いよ。そっか。ちょっと書いて見せようかと思っただけ。」
「あ、僕・・私、白石持ってますよ。」
そう言ってカナトが白い石を服のポケットから取り出し、耕太に手渡す。
それは棒状の柔らかそうな石で、印を付けるのに使うものだろうと見当をつけ
耕太は床にしゃがみ込むとカタカナでテレストラートと書いた。
「これがカタカナ。」
「見たこと無いなぁ・・・」
カナトが覗き込んで呟く。
今度は漢字で自分の名前を書き
「こっちが漢字。」
カナトは首をかしげ助けを求めるようにゼグスを見るが
ゼグスも首を横に振る。
「私も見たことがありません。」
「言葉が通じるのに、字は違うのか・・・。」
「言葉も、耕太の発音は変わっていますよね。」
「変わっている?」
カナトの言葉に、全く話していて違和感を覚えていなかった耕太は驚く。
「変わっていると言っても、微妙な違いです。
 術師は耳が良いので違いがわかりますが、普通の人々は気付かないでしょう。
でも確かに"平山耕太"と言う名前は不思議な発音です。
 この辺りでは使わない音が含まれているんです。」
ゼグスの説明にジーグが耕太を呼ぶときに、変な発音をしているのは、そのせいなのかと思い当たる。
「でも、ゼグスもカナトも普通にオレの事呼ぶよね。」
「私たちが精霊と対話する為に使用する古の言葉は、現在の言葉より発音も複雑なので
 そのせいでしょう。」
「・・・・・古の言葉って言うのも、もしかして、オレ、覚えなきゃ、なの?」
「完全に覚えるのは難しいと思いますが、出来れば、形だけでも・・・」
耕太は深いため息を付く。
"今、複雑な言葉だって言ったよね・・・確か。普通は発音出来ないとかって?"
「・・・やっぱり、紙って手に入るかな。虎の巻作らないと無理だと思う。書くと覚えやすいと思うし。」
「そうですね。この字を読めるものはいないと思いますので、紙に記しても問題ないでしょう。かえって良いかもしれませんね。私も覚えます。
カナト、リウさんの店に言って木炭かインクを頼んで来てもらえますか?
私は紙を都合立てて貰ってきます。
耕太は少し休んでいてください。道具を揃えてから再開しましょう。」

1人になり一息つくと耕太は椅子から立ち上がり、凝り固まってしまった体を動かす
今まで肩が凝るなんて感覚は、感じたことが無かったのに
ここに来てすっかりお馴染みな感覚になってしまった。

覚えなければならないらしい、謎の言葉に思いをはせ胃が沈む思いがした。
それでなくても、問題は山積みなのだ。
聞けば聞くほどテレストラートは
信じがたい量の仕事をこなし、年齢に見合わぬ落ち着いた人格者で
もう、本当にスーパーマンのような人物なのだ。

それを平凡を絵に描いたような自分に演じろと言うのだから
思わず逃げ出したくもなるってもんだが
この所の耕太は、驚くほど前向きなのだ。
と、言うのも

「失礼いたします。」
涼やかな声と共に、軽やかな足取りで1人の少女が部屋に入ってくる
「テレストラートさま、まあ、今日はおひとりですの?」
輝くような笑顔を見せ、手に提げた籠をテーブルの上に置く。
「今日は胡桃の入った焼き菓子をお持ちしましたの。
  ミルクのたっぷり入ったお茶もお持ちしましたわ
 毎日根を詰めてのお仕事では、お体に触ります。少しお休みになってくださいませ。」

ほっそりと小柄で、大きなハシバミ色の瞳が印象的な少女・タウは
食事を届けてくれたあの日以来、午後のこのぐらいの時間になると
菓子や果物など様々な差し入れを持って度々この部屋を訪れていた。

この時間、ジーグは町に残った兵士たちの訓練に立ち会う為
出ている事が殆んどで
この少女が、ここに缶詰状態になっている耕太の気晴らしになっているのが判っているゼグスは
タウが来るのを黙認していた。

彼女が居るだけで、部屋の空気が華やいだように感じる
彼女が話す、日常の他愛も無い話がとても楽しい
何よりタウは本物のテレストラートに会った事が無い
テレストラーと否が応にも比較され、彼を演じる事を強要されている耕太にとって
テレストラートを知らない人物と気軽に話せることは
何よりも救いだった。

「テレストラートさまとこんな風に親しくお話させて頂くなんて
 本当に今でも信じられません。」
夢見るような瞳で耕太を見つめながら、歌うようにタウは言葉を紡ぐ
甘い声の響きが耳にくすぐったい。
「私、言葉を交わさせていただいて、実はとっても驚きましたの。
テレストラートさまが私の抱いていたイメージと全然違っていらしゃったから・・・」
その言葉に、日向ぼっこの最中に背中に氷を入れられたような気分になる。
また、テレストラートのイメージ。
思わず顔を強張らせた耕太に、しかしタウは気付かずに楽しげに続ける
「失礼かも知れませんが・・・テレストラートさまって、
 もっと、怖い方かと思ってましたの。」
「怖い?」
「ごめんなさい。勝手な思い込みですのよ、でも
 遠くから拝見した事が有って、冷たそうな感じの方に見えて・・・
 ですから、始めて、ここに伺う時、本当はとっても怖かったんです。」
耕太はポカンとした顔で、まじまじとタウを見つめた
タウは恥ずかしそうに視線を落とし、しかし話し続ける。
「でもテレストラートさまが、本当はこんなに暖かくて、とてもお優しい方で
 私とても・・・」
そこまで言うとチラリと視線を耕太に向け、頬を赤らめるとまた俯いた。
「あ・・・ありがとう。」
思わず口をついて出ていた。
ここに来て本物のテレストラートよりも実際の自分の方が良いと言われるなんて
始めてだった。それが、こんなにも嬉しいなんて思ってもみなかった。
たとえそれが、本当のテレストラートを良くは知らないからだとしても
自分を肯定してくれたのは、紛れも無い事実だったから。
「そんな風に言われるのは初めだよ。」
「そんな・・・ごめんなさい。私ったら調子に乗ってズケズケと・・・。」
「ううん、本当に嬉しいんだ。タウ、君が居てくれて良かった。」
「テレストラートさま・・・。」
思わず見つめあう形になり、急に照れくさくなって耕太は話をそらす。
「何かその呼び方、堅苦しいよね。"さま"付けで呼ばなくていいよ。」
「そんな、とんでもございません!」
「だって、オレ、タウと友達になりたいし。何か壁を感じるだろ?」
「でも・・・」
「いや、いっそ"テレストラート"を止めよう。
暑苦しい名前だしさ、オレその名前嫌いなんだよね、実は。
 タウにはその名前で呼んで欲しくないんだ。」
「でも、何とお呼びしたら良いでしょう?」
思わず"耕太"と言おうとした。
彼女にその名で呼んで欲しいと思った。
だが、さすがにそれはヤバイだろう、と思いとどまるだけの判断力は有った
他に何か、不自然では無い名前、名前・・・そうだ
「じゃあ、ティティーで。オレの幼名なんだ。」
「ティティーさま。」
「"さま"は・・・まあ、良いか。」
何だか2人で秘密を共有しているみたいで、くすぐったい気持ちになる
耕太とタウは見つめ合い、くすくすと無邪気に笑いあった。


「ゼグス、こんな所で何を?」
部屋を出て、紙を用立ててもらおうと、小さな町では文化の中心を担う神殿に足を向けていたゼグスは、途中でジーグに呼び止められた。

ジーグが先日、耕太と言い争った後
朝、食事を取るのを確認するとゼグスとカナトに耕太の指導を任せ
自分は必要最低限の接触しかしていない事に、ゼグスは気付いている。
それが怒りからなのか、耕太に余計なプレッシャーをかけない為なのかは図れないが
耕太に、いかなる危害も加わらないよう、護衛の任には怠りが無い。
ただ、耕太の目には入らない形になっているため、耕太はジーグが最近はあまり干渉して来なくなったぐらいには思っているかもしれない。

「ああ、ジーグ殿。耕太の為に紙を探しに。」
「紙?」
「ええ、覚書に使いたいと。彼、変わった文字を使うのですよ。私たちも覚えられたら
秘密のやり取りに便利かもしれませんね。ジーグ殿は耕太の所に?」
「ああ・・・。あいつ、馬に乗れると思うか?」
「・・・さあ、解りませんが、たぶん。乗れないのではないかと思います。」
「だな。移動も近いし、しばらくは俺が同乗しても不自然は無いだろうが
 訓練はさせないと・・・。」
「そうですね。」
「気晴らしにもなるだろう。・・・ゼグス、何を笑っている?」
「いえ、別に。では、私もすぐに戻りますので先にいらしていてください。」

ゼグスと分かれたジーグは真直ぐに耕太のいる建物へと向かった。
町の外れに近い小さな平屋の一軒家で、耕太は入り口を入った部屋のさらに奥の部屋にいる。
ジーグガ入り口を入ると、奥の部屋から耕太の楽しげに笑う声が聞こえた
カナトと話しているのかと思い、扉に近づくと聞きなれない声が部屋の中から聞こえる。
ジーグはそのまま、ノックをせずに扉を開け部屋に踏み込んだ。
部屋の中、寄り添うように座っていた2人が驚いた様に扉に眼を向ける
瞬間、耕太の顔を"しまった"と言う表情がかすめジーグの神経を逆撫でする。
その耕太から意識的に視線を外し、ジーグはタウに問う。
「娘。ここで何をしている?」
静かな、しかし威圧的な声。
突然入ってきた、服装から高位と解る偉丈夫に見据えられ
タウは急いで立ち上がったが、その場ですくみ上がる。
「も・・・申しわけございません・・。」
震える声で、やっとそれだけ答えた。
「やめろよ、ジーグ」
「お前は口を挟むな。」
「タウは何も悪い事してないだろ!」
抗議する耕太を一瞥しただけで、ジーグはタウに向かって続ける
「ここは、お前の出入りして良い場所ではない、ここには二度と・・」
「止めろよ!」
「ジーグ殿・・・」
戻ったゼグスが状況を見て取り、戸口で立ちすくむ

「ゼグス、これはどう言う事だ?」
「ゼグス!ジーグを止めてよ!」
2人が同時に言うが、ゼグスはどう対処したら良いのか戸惑い
視線を走らせるだけで、声が出ない。

「私・・・」
緊張感に耐えられなくなったのか、タウが蒼白な顔で震えている
「タウ、ごめん。良いんだ。」
「・・・でも。」
「君は何も悪くない。」
「ティティーさま・・・」
急に部屋の空気が冷えた気がした。耕太は前にもこれを経験していた。
殺気だ。
「出て行け。」
今までと変わらない静かな声で、ジーグがタウに告げる。
すくんでしまって動けないタウの腕を掴み
まるで放り出すように、戸口から外へ押し出す
「二度とテレストラートに近づくな」
タウは転びそうになりながら、必死で建物から逃げ出して行った。
「タウ!」
追おうとする耕太の前で扉を勢いよく閉めると、ジーグは耕太に向き合う。
「お前、自分の立場が解っているのか?もう少し慎重に動け。
 正体の知れない人間を近づけるなんて、迂闊にも程が有る!」
「オレは・・」
「お前は命を狙われる立場に有る、そして正体がバレればそれも命にかかわるんだ
 心しろ、いいな!」
耕太に一言も発せさせず、一方的に言うと
ジーグは足取りも荒く部屋を出て行った。
「耕太、大丈夫ですから。」
それだけ言うと、ゼグスは慌ててジーグの後を追った。

「な・・・何なんだよ。何なんだよ、何なんだよ!何だって言うんだよ!!」
しばらく無言で立ち尽くしていた耕太は唐突に叫びだす。
「もう、嫌だ!もう沢山だ!覚えさせられるのも、ジーグも、テレストラートも!
 もう耐えられない!!嫌だ!!!」


「ジーグ殿、ジーグ、待ってください。」
小走りで追いかけるゼグスをジーグは無視し足早に進む
タウを追うのではと危惧したのだが、どうやらそうではないらしい。
タウの事をジーグに話していなかったのは自分の失敗だ
ジーグは無言で歩き続け、人気の無い一角に入ると
おもむろにゼグスに向き直り、まくし立て始めた。
「あの女は一体なんだ!いつからあいつに接触している!」
「タウは町長が世話をしている娘で・・・」
「不用意に身元の知れない者をテレストラートに近づけるな!
 もし、あの女からティティーが本物じゃない事がバレでもしたら!」
「聞いてください、ジーグ殿。耕太には息抜きが必要なんです!彼女は彼を・・・」
「解ってる!クソッ」
ジーグはそばに有った木の柵を蹴りつけ、それでも収まらずにさらに殴りつけた。
柵が嫌な音を立て傾き、ゼグスは身を竦ませる。
「ジーグ・・・」
「解ってるんだ!・・・俺の八つ当たりだ・・。」
ギリッと歯を噛み締める音がし、もう一度傾いた柵を殴りつける
「あいつは、違うって解っているのに。俺のせいで、もう・・なのに
あいつが・・・あの顔で、あの声で!俺を否定し、遠ざけようとする!違う!
 クソッ!一体何の仕打ちなんだ、俺の忍耐を試したいのか?ティティーだと?あの女・・・」
もう一度、力任せに柵を殴りつけると、とうとう柵の一部が砕け地面に落ちる。
ジーグは拳を握り締めたまま、無言で立ち尽くした。
1分・・・2分・・・ゼグスは痛ましげにただ見ていたが、思い切ったように声をかける
「ジーグ・・・」
ジーグは長く息をつくと、顔を上げた
「すまない」
声は平静さをとりもどしている。
ゆるく首を振るゼグスに向かい
「謝ってくる。ヒラヤマ・コータに。」
言うとおもむろに引き返した。

扉を今度はきちんとノックし、中に声をかけてから扉を開く
「ヒラヤマ・コータ、さっきは、すまなかった・・・」
開口一番、謝罪の言葉を口にするが、言葉が途切れる
ジーグの後で訝しむゼグスにジーグは虚ろな声で状況を説明する
「・・・居ない。」


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