ACT:59 別離の言葉


「気分はどうだ?」
寝台の上のテレストラートが目を開けている事に気付いたケイル医師が覗き込み尋ねる。
「だいぶ、楽になりました。」
応えるテレストラートの顔色は暗い室内でも分かるほどに悪く
体を起そうとした彼をケイルはそっと寝台に押し戻した。
「もう、今日は大した予定はないのだろう?
ゆっくり休んで行きなさい。周りには上手く誤魔化しておくから。」
まだかなり辛いのだろう、テレストラートは素直にそのまま毛布に潜り込む。
ここの所テレストラートが戦場で倒れる事はなくなっていた。
傍から見れば、術師の長は以前よりも元気そうに見えたかもしれない。
だが、ここ数週間で彼がケイルの元に来る回数は、飛躍的に多くなっていた。

人前では決して倒れない。
テレストラートがそう決めたのは、周りに
ジーグに自分の状態を知られない為だ。
そして、精神力だけでそれを成し遂げている。
しかし、以前にも増す激務に彼の体は限界を越えてしまっているのだろう
ケイルの元に辿り着いた途端に、意識を失う事もしばしばだった。

「いつもの薬、用意しておいたから。」
「ありがとうございます、助かります。」
「少し、量が増えてるね。」
痛みを誤魔化すための薬の量も、増えているのは"少し"などでは無かった。
「あまり、効かなくなって来ていて・・・。大丈夫、体に影響が残るような量は取っていませんから。」
「君の知識は確かだからね。その辺は信用しているよ。君はコータに害をなしたりはしないからね。」
だが自分自身に関しては、まるで罰してでも居るかのように無理を強いている。
「君自身も、もう少し労わってあげたら?時間はあと、どのくらい有るの?」
「まだ、あります。」

"まだ、ある"
その答えは残り時間の短さを伺わせた。
だがケイルは今まで出さなかった言葉を、口に載せる
今だからこそ。
「ジーグを避けているんだってね。」
彼が何故そんな事をしているのかは、簡単に想像がつく。
そして、それが彼にとってどんなに辛い事かも。
テレストラートの決めたことを、覆させるのは無理だろうとは思う。
それについて話題に乗せる事さえ、彼を傷つける事になりかねない事も。
それでも、ケイルは口に出さずには居られなかった。
辿り着く結果は変えられなくても、そこへ辿る道筋まで険しい道を選ぶ必要は無いではないか。

テレストラートは直接その問いには答えなかった。
「先生、ごめんなさい。」
以前にもそうしたように、テレストラートはケイルに詫びた。
「私は・・・自分で思っていたよりも弱い人間のようです。
 恐いんです。とても。」
「君みたいな人間を、弱いとは言わない。」
テレストラートは微かに笑みをうかべた。
「ケイル先生。先生が居てくれて、良かった。一人ではとても耐えられたとは思いません。」
「そんな風に頼られるのは、辛いな。
 私は、もっと現実的に君の助けになれたらと思っているのにね。」
「ごめんなさい。ありがとうございます。
・・・ごめんなさい、先生。ハシャイ様を守れなくて。
 先生に・・・言おうと、ずっと・・・思って・・・。」
言葉の最後は切れ切れになって、そのままテレストラートは眠りに入ったようだった。
ケイルは術師の稀有な色の髪を手で梳きながら
誰に言うとも無く、呟いた。
「ああ。あいつが生きていたら、君にこんな思いはさせなかったろうにな・・・。」




「テレストラート、話がある。」
ジーグに声をかけられて、テレストラートはしまったと思った。
油断していたのだ。
ジーグと2人きりにはならないように、気をつけていたはずなのに。
咄嗟に誤魔化し、逃げる事を考えて、テレストラートは思いとどまった。

ジーグとの関係を完全に断ち切る為、セント将軍に頼んで
彼を今の役割から遠ざけてもらう事も、もちろん考えた。
だが、ジーグがそれで簡単に納得する事は有りえないだろう
理由を求め、躍起になり、真実を探り当ててしまうかもしれない。
彼を完全に遠ざけるには、テレストラート自身が自分の口で完全な引導を渡さなければ。
それが分かっていてもテレストラートにはそれが出来ないでいた。
彼を遠ざけなければならないのに、それが出来ない矛盾は自分の弱さ。

しかしこんな風に、逃げ回って距離をとっているだけでは
いつまでたっても平行線のままだ。
もうそろそろ、覚悟を決め決着をつけなければならない。
この関係にも
自分の心にも。
テレストラートは足を止め、ジーグが近づいてくるのを視線を外さずに待った。

「何ですか?」
いかにも迷惑そうに大きく溜息をついて応えたテレストラートの態度に
ジーグは此処のところ心を占めているイライラが燃え上がるのを
深呼吸で無理矢理押さえつけた。
やっと、テレストラートを捕まえた。
この前も頭に血が上って失敗したのだ、冷静に事を運ばなければならない。
「一体どうしたって言うんだ?」
「何がです?」
「とぼけるな。何故、俺を避けている?何か有るならハッキリ言ってくれ。」
「何も有りません。」
「では、何故俺を避ける。護衛の件だってそうだ。」
「避けてなど・・・ただ、忙しいだけです。」

間近から覗き込む強い視線に、テレストラートは思わず目をそらしてしまう。
これでは駄目だ、今までと何も変わらない。
何故、彼はこんなにも忍耐強いのだろう?
こんなに酷い扱いを繰り返しているというのに。

俯いたテレストラートの顎に手を伸ばし、ジーグがそっと上向かせる。
「ティティー・・・また痩せただろう。ちゃんと、食べてるか?」

何で、この人はこんなに・・・。

頬に触れようとしたジーグの手を、テレストラートは邪険に払いのけた。
「食べています。放っておいて下さい!私はもう山から降りたばかりの世間知らずの子供ではありません!
何から何まで、干渉するのは止めてください!」
「テレストラート・・・。」
戸惑う様子のジーグをテレストラートは正面から真っ直ぐに見据えた。
「分からないようなら、ハッキリ言います。
 貴方に付きまとわれるのは、鬱陶しいのです!
 私を何時も子ども扱いで、貴方は私の保護者ですか?ウンザリなんですよ!」
「な・・・俺は、お前を心配して・・・」
「必要有りません。貴方の役目は、戦場で私を守る事でしょう?
 それ以上の口出しは無用です。私は、貴方の所有物では有りません、迷惑です!」
「本気で、言っているのか?」
ジーグの受けた衝撃が、戸惑いが手に取るように分かる。
それでも目を逸らさない。
「私が何故、貴方にこんな事で嘘を言わなければならないのです?
 それに今では、他に私を守って下さる方もいます。」
「・・・ローゼンか。」

ローゼン。
自分とは違い、落ち着いた大人の男。
剣の腕では決して負けはしないが、人間の器としては自分が劣っている自覚が有る。
テレストラートは強い。
自らの力で、数千の敵を倒すことも可能だろう
テレストラートが求める、彼を守るために必要な力とは
剣の腕などではなく
彼を支える為の人間としての強さなのだとしたら。

頭では、この状況を理解している。
だが、感情は納得できない。
だが、テレストラートは既に断じている。
押さえようのない、身を焼くような怒りは
テレストラートに対するものか、ローゼンに対するものか
それとも未練がましい自分に向けられたものか。

ジーグの戸惑いが、理解と怒りに変わるのが分かる。
「お前の気持ちは分かった。」
ジーグの低い声。そこに含まれる怒気に背筋が凍る。
「お前の気持ちを理解せず、すまなかった。」
吐き出された言葉は軋みを上げているようだった。
「ジーグ。」

思わず彼の名を口に載せていた。
どうする事も出来ないと言うのに、
「今まで、ありがとうございました。」
だから、止めの言葉を放つ。
口にしたのは最後通告。終わりの言葉。
感情の全くこもらない、ぞんざいで、形だけの言葉の
なんて冷たく虚ろに響く事だろう。

心が軋む。
こんな思いをするぐらいなら、今すぐ消えてしまえればいいのに。

「ああ。」
放り出されるように発せられた礼に
ジーグは短くそれだけ応えると踵をかえす。

これでいい。
自分はやり遂せた。

その背がさらされた瞬間に、テレストラートはその表情を今にも泣き出しそうに歪めたが
振り返ることも無く足早に立ち去るジーグは
その事に気付く事はなかった。

(2007.11.09)
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