ACT:58 夢


誰かが泣いている。
暗闇の中、しゃくり上げ泣いている声が聞こえる。
「子供・・・?」
幼い子供と思われるその声にテレストラートは辺りに視線を走らせる。
戦で親を亡くした孤児だろうか
幼い子供が立ち尽くし、腕でしきりに顔を擦りながら声を殺して泣いている。
「兄さま・・・、ひっく・・・うぅ・・・。」
自然にそちらに向いたテレストラートの足が、止まる。

黒髪の小さな子供。
これは昔の自分。

真っ赤に染まった床の上に立ち
しゃくり上げる子供が、まるで恐ろしい魔物ででもあるかのように
テレストラートの足が凍りつく。

と、不意に顔を上げた子供と目が合う。
大きな栗色の瞳に涙を一杯にため
顔を真っ赤にして、しかめっ面でしゃくり上げるその顔には、良く知った面影が有る。
「耕太?」
声をかけると子供は顔をぐちゃぐちゃに歪め、声を上げて盛大に泣き始めた。
テレストラートはしゃがみ込むと、子供の体をそっと抱き寄せて
その背をあやす様に優しく撫でてやりながら、話しかける。
「どうしたの?泣かないで・・・。」
「うぇぇ・・・ヤダよ、1人はヤダぁ、さみしいよ、コワイよ・・・」
「耕太、ごめんね。泣かないで」
えぐえぐとしゃくり上げる子供を抱く腕に力を込め、優しい声で話しかける。
「大丈夫、大丈夫だよ。耕太は私が守るから、何も心配しないで。」
「ひ・・っく、ジーグは?ジーグどこ?ジーグがおいてったよ・・・。」
ぐちゃぐちゃの顔をテレストラートの胸に摺り寄せて訴える耕太に
テレストラートは小さく笑みをこぼす。
「ジーグは君をおいて行ったりはしないよ。ちゃんと君を守っている。」
「ティティーは?ティティーもいっしょ?」
「うん。」
「ホント?」
「うん。一緒に居るよ。ずっとね、大丈夫、心配しないで。」
涙にぬれた顔を、安心しきったような笑みで歪め
テレストラートの首にぎゅっと抱きついて来る体の温かさにホッとする。
凍てついていた体が、心も、一緒に溶かされて行くようだ。
「一緒にいるよ。耕太と私は同じだから・・・。」
抱きしめた耕太の体が、赤く・・・
黒く見えるほどに暗い赤色に染まっている事に気づき、驚く。
「耕太!?」
血にぬれているのは自分の手。
その手で耕太を赤く染めている。
血まみれの耕太が恐怖に顔を引きつらせて叫ぶ。
「ヤぁ!はなせ!!バケモノ!!」
「耕太!」
抱き留めようとした腕の中で耕太の体が力なく崩れ落ちる。
見下ろした耕太は血溜まりに沈んでいた。
青白い顔、虚ろに虚空を映す瞳。
「耕太!!」
慌てて抱き起こした体は女性に代わっていた。
白い面、何も映さない虚ろな瞳。
「あ・・・あ・・・っ」
「お前のせいだよティティー。」
地の底から響いて来るような暗く冷たい声にテレストラートは震える顔を上げ
前に立つ人物を見上げる。
視界が霞んでいて、それが誰なのか判別できない。
自分が涙を流している事にその時始めて気づいた。
「お前のせいで、みんな死んだ。」
「・・・ち、がう」
「お前の大切な人間は、皆死ぬ。」
声に出して否定する事が出来ず、テレストラートはただ緩く首を振る。
前に立つ人物の輪郭がぶれて、ひょろりと背の高い青年に取って代わる。
「分かっているんだろう?姫さん。」
「・・・ロト・・・。」
優しい口調と冷たい瞳で見下ろすのは、ジーグの親友。
「お前の存在はジーグを縛る。
お前さえいなければ、こんな事にはならなかった。」
繰り返される言葉と共に、ゆっくりとロトがさす指に導かれて
視線を落としたテレストラートが目にしたのは
自分の腕の中に血まみれで横たわるジーグの姿。

「・・・・・・・!!」
テレストラートは声にならない叫びを上げて飛び起きた。
そこは自分に与えられた部屋。
他には誰も居はしない。
その手も血に濡れてはいない。
心臓が胸を突き破りそうな勢いで脈打っている。
深く息を吸い込み、何とか荒い息を治めようとする。
体中が冷たい汗にじっとりと濡れて、気持ちが悪かった。
水霊に命じて水気を取り去るが、体の震えを止める事が出来ない。

あれは夢だ。ただの夢。
違う、あれは既に起こった出来事。過去の幻影に過ぎない。
違う、ジーグは生きている。
耕太もジーグも無事で居る。
2人を決して傷つけさせたりはしない。決して・・・。

自分を取り囲む精霊たちが、慰めるように幻の腕で抱きしめるように
自分を包んでくれるのを感じるが、その腕は温かさを与えてはくれない。
昔は精霊たちがいるだけで、孤独など感じたことはなかった。
でも、今は。
自分は人の肌の暖かさを知ってしまった。

自分の中で眠る耕太の存在をそっと確認する。
その存在を愛しむように、傷つかないように、幾重にも幾重にも包み込んで
「・・・・・耕太。」

扉を叩く音に、テレストラートは息を詰めた。
「テレストラート殿。お時間です。」
掛けられたローゼンの声に体から力を抜く。
扉を開け、出てきたテレストラートを見てローゼンが眉を寄せるのが分かった。
恐らく自分は、酷い顔をしているのだろう。
それでも今はそれを取り繕う気にもなれない。

ローゼンはセント将軍が直接に根回しをしている人物だ。
全ての事情を知っている訳では無いだろうが
必要以上の干渉はしないし、余計な口も挟んでは来ない。
本来、彼の前でまで体面を装う必要は無いのかもしれないが
それに甘えるのは嫌だった。
どこかで気を緩めれば、どこかで必ずボロが出る。
自分は常に平静でいなければならない。
ジーグに自分のしようとしている事を気づかれるわけにはいかなかった。
それで無くても、人に甘える事などしたくなかった
彼、以外の人間になど。

テレストラートはもの問いたげなローゼンに気づかぬ振りをして
会議の行なわれる講堂へと無言で足を進めた。

「・・・ではこの案で。本日提出されている議題はこれで全て修了。他に何か?」
会議の末席に座っていた男が意見を述べるために手を上げ、発言を許され立ち上がる。
「後方部隊とコルム地方の治水に精霊術師を数名お貸し頂きたい。
イオク国内の状況は酷く、我々の手だけでは補給物資の安全確保が困難です。」
大軍を敵国内奥深くまで進軍させるには、その軍隊を養うだけの補給が必要だ。
イオクと国境を接するガーセン辺境には、臨時の軍事要塞が築かれてはいるものの
周辺に大きな町のない要塞には軍を養うだけの備蓄は無く
物資は遠くフロスや流通の要ニルスから運び込む事になる。
ポートルの全面協力を受けているとはいえ、大量の物資を確実に軍本隊に届けるのは大仕事で
それに係わる人間は軍本隊より、多い。
さらにイオク国内深くにその物資を運び込むのだが
イオクの街道は荒れ、橋が落ちて架かっていない川もあり道はしばしば寸断される。
さらにイオク国内には餓えた人々が溢れかえり
盗賊の類も跋扈している。
担当の役人たちは常に頭を悩ませている状態だ。
水、風、火に大地までも操る事が出来る精霊術師がいれば
その仕事は確かにかなり楽にはなるだろう。
だが常に穏やかに事に当たる印象のある術師の長は、きっぱりとそれを拒否する。
「今現在の状況では無理です。今は戦が最優先。一人も割く人員はありません。」
「しかし・・・。」
「確かに補給が滞り気味だ。酒は何とか我慢するが、食い物と武器が不足しては
まともに戦う事もできん。」
情けない顔で言葉を呑んだ末席の男を
支持するように一人の武将が言葉を重ねる。
「術師を便利屋のように扱われては困ります。
 術師が1人で全ての事象に対応出来る訳ではありません。
1人2人派遣したところで、なんの助けにもなりません。
貴方は私や長老に前線を離れろと仰るのですか?」
人間は楽な方法を覚えれば、それに縋ろうとする。
術師の力を借りなくても対処できるレベルの問題でも
頼れる力がそこにあればそれを用いたいと思う。
だが彼等から取り除かれる負担は、テレストラートが責を負うべき術師たちに掛かってくるのだ。
それでなくても1日でも早くこの戦を終わらせなければならない時に
他に力をさきたくはない。
テレストラートのきつい拒否に、武将が色めき立ち言葉を返そうとする。
それを遮りセント将軍が断じる。
「術師は私の隊に属する。私もテレストラート同様彼等を戦場から外し我が軍の戦力をみすみす落とすのは良い事と思えない。
対イオク戦とは異なり術師が無くては立ち行かない仕事ではないのだから
補給の確保は人の手で何とかしろ。
元々はそれでやってきたのだから、出来ぬ事は有るまい。
術師に頼る悪い癖がついたな。
イオクは術師が居なければ何も出来ない無能者の集団と蔑まれぬよう奮闘してもらいたいものだ。
人員が不足なら、追加する。多少資金がかさむのも仕方が無い。他に議題がないようなら、これで閉会とする。」
セント将軍が断じて会議は終結した。

バラバラと人々が退席するなか、テレストラートは会議の為書庫から借り出した書物を手早く纏めた。
この後、町の神殿に出向き司教と面談する事になっている。
大陸中に勢力を広げるアニス神教は、庶民に広く信仰されており
国の支配とは関係なく独立して存在する。
ガーセンは国教を定めてはいないが、国内にもその信者は多く
神殿を無視して進軍を行う事も出来ず、協力を仰ぐと言う形のご機嫌伺いだ。
前線にいようとも、戦以外の雑務は山積みだ。
それが実の有るものならまだ良いが、形式を踏む為だけと言うものも多く
思わず溜息が漏れる。
それでもセント将軍が、極力テレストラートの仕事を省いてはくれているのだ。
それに、術を使わない仕事であれば、テレストラート自身は忙しくしている方が良かった。
忙しさを理由に、ジーグから逃れる事ができるから。
そうは思っても、体力がついてゆかない。

会議中は講堂の外で控えていたローゼンがテレストラートに歩み寄る。
「テレストラート殿、オヌイとレツの代わりの者の候補を選出いたしました。
 誰を採用するか決定を。」
戦は回を重ねるごとに苛烈さを増し、術師の護衛にもしばしば欠員が出る
テレストラートの護衛隊も既に6人が入れ代っていた。
「ローゼン准尉にお任せします。」
「了解いたしました。後ほど目通りをお願いしたいのですが。」
「分りました。司教様との謁見の後に。その前に書庫にこの本を戻しに行きます。」
「テレストラート殿。」
「はい。」
「お顔の色がすぐれない。お疲れなのでは?」
「大丈夫です。」
笑顔を見せ、立ち上がったテレストラートの手から、ローゼン准尉が本を取り上げる。
「大丈夫と言う顔色ではない。神殿に行くのは止めましょう。
面談は、あちらに出向いてもらいます。
神殿に使いを出し部屋を用意しますので、ご自分の部屋に居てください。」
「しかし・・・」
「短時間で済ませるよう、神殿側には私が直接根回しをしておきます。
面談が済んだら、休んで下さい。
今にも倒れそうに見えます。
あなたがそんな様子では、周りに悪影響が出る。御自愛下さい。」
「すみません・・・。」
まるで叱るように諭されて、テレストラートは思わず謝ってしまう。
そんな彼の様子をローゼンはまるで我が子を見る父親のようなに優しく、そして心配そうな笑みで見る。
「これは私が返しておきます。後ほど。」
そう言うと、テレストラートの返事も待たず部屋を出て行く。
ガランとした講堂に1人きりになると
テレストラートは溜息をつき、今立ち上がったばかりの椅子に力なく座り込むと
卓の上に突っ伏した。
酷く疲れている。
肉体的によりも、精神的に。
笑みを作るのさえ、苦痛だった。

ジーグと話すことが出来ない。

それだけでこんなにこたえるなんて・・・
でも耐えなければ。
これは自分で決めた事だ。
ジーグは今、どんな思いでいるだろう・・・自分と同じ様に辛く思っているのだろうか・・・
そう思うと胸が締め付けられるような気がした。
それでも・・・自分がこれから行なおうとしている事を考えれば
もっと彼と距離をおかなけれならない。
出来れば、嫌われるぐらいに・・・。

自分か耕太。どちらかが犠牲にならなければならないのなら
答えは考えるまでもなく決まっている。
自分が今、此処にいるのは自然の摂理を曲げての事。

でも、ジーグにそれを告げる事はどうしても出来ない。
彼を悲しませたくないと言うだけではない。
彼が悩み、苦しみながら何とかしようともがき、打つ手もなく傷つき
絶望の中で、まるで幻にでも触れるかのように自分に接して来る事に
自分はとても耐えられないだろう
だからこれは、自分の我が侭だ。

だから、どんなに辛くても
自分の行いによって、彼が酷く傷つく事のないように。
隠し通して、遠ざけて・・・。彼を、騙し通す。
それでもきっと、彼は怒るだろう。
そして彼自身を責めるのだ。

酷い気分だった。

重い気持ちを振り切るように、大きく息をつくと気合を入れて立ち上がる。
人気の無くなった講堂を出て、午後の日の差し込む渡り廊下へと足を踏み出した。
この建物はこの辺一帯を治める領主であるイオクの貴族の屋敷だった。

大挙して押し寄せる連合軍に自国軍からの救助もなく
わずかな自警軍しか持たなかった領主は、無条件降伏をし無血開城となった。
イオク王都ローザまでは後僅か。
ローザ侵攻の拠点として、本陣がここに置かれた。
イオク中心に進むに連れて、複雑な術によるトラップや小規模な軍勢による攻撃はあるものの
イオク軍本隊が出てくる事は未だになかった。
決戦の地を王都に構えるなど、考えにくい事では有ったが
イオク国内の荒廃を見ると、既にイオクに余力が殆んど残っていないとも考えられた。

ふと、視線を上げたテレストラートは遠くに1人の人影を見止めた。
此処からでは距離が有りすぎて、その顔までは確認出来ないにも関わらず
テレストラートにはそれがジーグで有る事がハッキリと分かる。
彼が自分に気づいていることも。
自分が彼に気づいている事を、彼が知っていることも。

ここで踵を返し、逃げ出したほうがいいだろうか?
あからさまに、避けているのだと知らせるほうが?
それとも・・・
思いが決められぬまま、テレストラートはその場に凍りついたように立ち尽くしていた。
動揺している自分に慌てる。
今、ジーグに直接会って、自分を装えるだろうか?
平静を装い、彼を退ける事が出来るだろうか?
ジーグが真っ直ぐに此方に向かって来るのに、テレストラートはまるで其処に縫い付けられたかのように動く事が出来ない。

「テレストラート殿。」
突然、背後から声をかけられ、ジーグの事しか目に入っていなかったテレストラートは
ビクリと体を揺らす。
振り返るとそこにはローゼンが立っていた。
「神殿の者が参りました。どうかされましたか?・・・大丈夫ですか?」
呆然と立ち尽くすテレストラートの様子に、ローゼンが心配そうに声をかける。
ジーグとの距離は、まだかなり有りローゼンは彼の存在には気づいていないようだった。
「いえ・・・はい。」
応えてテレストラートはジーグに背を向け、ローゼンの元へ歩み寄る。
足元が妙にフワフワとしておぼつかない。
まるで、真綿の上を歩いているような現実感の無さだ。
いたわる様にローゼンが肩に手を回して、その体を支える。
肩に触れられてテレストラートの体が一瞬強張った。

ジーグの視線を背中にハッキリと感じる。
いつでも、彼が自分を見ている時はそれがどんなに遠くからでも感じる。
だけど、決して振り返らない。
気付かないふりをして。
テレストラートはジーグの視線を意識しながら、ローゼンに寄りかかるように体を預けた。
傍から見れば、寄り添い甘えているように見えるだろう。
ローゼンはテレストラートの意図には気づかず、彼を支える腕に力を込める。

ジーグが誤解してくれれば良い。
腹を立てて、自分を厭い、離れてくれたら・・・
自分は、最低だ。
それでも、彼の中の自分の存在を、消す事が出来るのならば・・・。
自分は彼を置いてゆくことを、1人で決めてしまったのだから。

時間は、あと、どのくらい有るだろう?
そう、長くは無い事だけは漠然と感じていた。




「テレストラート殿、セント将軍から先日の・・・。」
開きっぱなしの扉を軽くノックして、ローゼンは用件を告げながら部屋に踏み込む
窓際で部屋の主が、ぐったりと力なく窓枠にもたれ目を閉じているのを目にして驚きの声を上げた。
「テレストラート殿!」
慌てて駆け寄りるが、彼の体は深くゆっくりとした呼吸に合わせてゆったりと揺れている。
どうやら眠っているようだ。
ホッと息をつき、歳若い術師の長に声をかける。
「テレストラート殿、そんな所で休まれては風邪をひきます。」
「ん・・・?・・・・グ。」
肩に手をかけ軽く揺するが、口の中で小さく何か呟くも、起きる気配は無い。
「失礼。」
聞こえてはいないだろう相手に、ローゼンは律儀に断りを入れ術師の体を抱き上げる。
その予想以上の軽さに、軽く眉をしかめた。
体のラインを窺わせない服で覆われた体
細身だとは思っていたが、少し力を入れれば折れてしまいそうだ
ここまで華奢だとは。
彼は自分の1番上の息子よりも1つ2つ年下だった筈だ。
この細い体に国の命運を担い、それでも一人で立とうとする。
その姿は時に余りにも痛々しい。
自分に与えられた任務。
彼を守りながら救う事は許されない矛盾した任務に苦い思いを噛み締めながら
ローゼンは壊れ物を運ぶように、そっとテレストラートの体を寝室に運んだ。
せめて、今この眠りが安らかな物で有ってくれれば良いと
祈りにも似た気持ちで思いながら。


力強い腕に支えられ、人の歩くゆっくりとしたリズムに揺られながら
テレストラートはジーグの腕に抱かれる
幸せな夢を見ていた。

(2007.11.03)
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