ACT:57 距離


自らに課せられた務めを果さずに
この世から消えてしまう事より
何より大切で愛しい貴方に忘れ去られてしまう事より

貴方が、私のした事の為に
自分を責め苛む事が、何よりも つらい。

だから・・・。



空を重く覆っていた、雲のようなもの
―――その血のような色を除けば―――が消え、頭上に青空が戻るのを確認して
テレストラートは術を収め、大きく息をつく。

突然、先兵隊の上空に現れた赤い雲から伸びたグロテスクな触手のようなものに
功を競い敵軍に自ら先陣を切って斬り込みをかけていた、先兵隊を率いる隊長が一瞬で首を落とされ
共に馬を駆っていた副官は、恐怖にパニックを起した馬から振り落とされた。
指揮官を失った隊は混乱し、攻め入る者と撤退する者が互いにぶつかり合い
本陣からの指揮さえ伝達が滞るという失態をおこし、かなりの被害が出た。

仕掛けられた術の痕跡に、赤い雲が現れるまで全く気づけなかった事と
術で縛られている精霊の種類を特定するのに、時間が掛かった事が被害をより大きくした。
軍の惨状に視線を走らせ、テレストラートは苛立たしげに唇を噛む。
集中力が足りない。
自分のミス一つで無為に命が消えて行く。

「我が隊の被害を報告しろ。」
テレストラートの直ぐ後ろに控える武将が、落ち着いた良く通る声で指示を出す。
それに答えテレストラートを囲むように展開する兵たちから、順に報告の応えが返る。
その数は15人。
隊を率いる位を持たない、身分の低い者や若い者が多いが
いずれもガーセンきっての精鋭で、戦場に名を轟かせる勇者たちだ。
その一角にはジーグも連なっている。
今回の戦闘でも当然のように皆、無傷でむしろ暴れ足りないといった態で返される声にテレストラートは頷く。
「セント将軍の元へ報告に行きます。ローゼン准尉、一緒に来てください。
 ジーグ軍兵長は隊をまとめて撤兵の指示を。」
テレストラートは自分の後ろに控える、落ち着いた雰囲気の
しかし他を圧する静かな威圧感の有る、がっしりとした体躯の
壮年の武将・ローゼンに視線を向け言い
ジーグには視線を向けずに指示をすると、そのまま振り返らずに馬を駆る。
ジーグは苛立たしげな表情を隠そうともせずに、そんなテレストラートの後姿に眼を向け忌々しげに拳に力を込めた。

テレストラートの専任の護衛兵が増え、隊として行動するようになり
今までの護衛体勢とは大きく行動が変わった。
この隊で年齢・階級共に一番高いのがローゼンで
彼は下級貴族の分家の分家、殆ど貴族とも言えないような身分の出だが
叩き上げで准尉まで上ってきた、生粋の軍人だ。
もともとセント将軍直属の隊に籍をおいており、寡黙で実直だが
実は人情に厚い事で知られる髭の准尉は、軍の若い兵たちからは父親のように慕われている。
第8子とはいえ、将軍を輩出するような大貴族の出で有るジーグと比べ身分的にはかなり下になるが
軍内では階級が上下関係の全てで、年齢も身分も関係ない。
それで無ければ、軍の命令系統が正しく機能しないからだ。
影で身分を卑下される事はあっても、表立って逆らうような事があれば
どんなに立派な家の出であろうとも、厳しく罰せられる。

テレストレートはガーセン国内で正式には何の身分も持たないが
軍内では将軍と同等の指揮権を与えられおり、全ての兵をその指示で動かす事が可能だ。
テレストラートに戦場で直接指示を出せるのは、王と将軍だけで
その意を無視して動く事が許されるのは、専任の護衛兵が彼の身の安全を守るために必要と判断した時だけだ。
その護衛も隊として動く以上、上下関係が生じる。

隊内最上位のローゼンがテレストラートと共に行動するのは当然で
ジーグにもそれに異を唱える気は無い。
ローゼンは立派な武将で、ジーグも彼のことは尊敬している。
身分を気にするような思考自体、ジーグには元々無い。

新たな体制で動き始めて20日余り。
イオクの王都ローザに近づき、戦闘に継ぐ戦闘で息をつく暇も無い状況で
確かにテレストラートと2人きりになる時間は全く無くなったが、ここは戦場だ。
テレストラートの安全を図る為の体勢に不満がある訳もなく
大切な相手との時間を持てないと言って、拗ねるほど
ジーグは子供でも、甘くも無いつもりだ。
だが、腹に据えかねるのはテレストラートの態度だ。

初めは新体制になり新しく加わった回りの者達に示しをつける為にも
以前からこの任に当たっているジーグを特別扱いはしないという意思表示のために
距離を置いているのだと思っていた。
しかし今では明らかに、そしてあからさまにジーグを避け
遠ざけようとしているのは何故だ。
ジーグに対する接し方は、他と同じではなく
他より薄く、逆の意味で特別扱いだった。
事務的な会話さえ、最近ではまともに成り立っていない。
何故こんな事になったのか、ジーグにはさっぱり分からない。
何か自分がミスを犯したのだろうか?
しかし、テレストラートは気に入らない事があったからと
無言で人を遠ざけるような性格だったろうか?
始めは色々と気を揉んでいたジーグだったが、元々気の長い性格ではない。
心配やモヤモヤは既に怒りや苛立ちに変わり始めていた。
何か有るなら、はっきりと言えばいい。
こんな状態にはウンザリだ。

「ジーグ、ジーグ軍兵長・・・撤退の指示を。ジーグ?」
視線をテレストラートに向けたまま一向に動かないジーグに、隊の人間が指示を促す。
その声にジーグは視線を外すと、不機嫌な声で乱暴に言う。
「煩い!一回呼べば聞こえる。全隊撤退!グズグズするな。
帰って馬を休ませる、さっさとしろ!」
理不尽なジーグの苛立ちの矛先を向けられた兵たちは
肩をすくめて苦笑を洩らし馬首を翻す。
「まあまあ、ジーグそう荒れるなって。
テレストラートさまの側を離れると不安になるんだろうけど
俺たちが変わりにかまってやるから。」
「煩せぇ!くだらねぇことぬかすと馬から蹴り落とすぞ!
とっととそのデカイ図体をどけろ、邪魔だ。」
彼らもジーグの苛立ちには既に慣れっこになっていて
テレストラートにご執心の様子の自分達の上官を、気軽にからかった。

背中に感じ続けていたジーグの視線が途切れて始めて、テレストラートはチラリと振り返る。
視線の先ではジーグが不機嫌そうに兵に指示を飛ばしていた。
すぐに視線を戻したテレストラートにローゼンが控えめに声をかける。
「よろしいのですか?」
ローゼンはもちろんジーグが今までたった1人の術師長の護衛だった事を知っている。
2人の間に完璧な信頼関係が築かれていただろう事も、想像に難くない。
確かにジーグは若く、自分よりも階級は下だが
ジーグがテレストラートの補佐としての役割を今までどおりに担う事に関しては
ローゼン自身に何のわだかまりも無い。
むしろ、その方がこの歳若い術師の長にとっては良いように思えるのだが。
隊が結成された当初にローゼンは、その旨をテレストラート本人に直接告げていたが
テレストラートの応えは否だった。
彼は一体何を考えて、自分自身に過酷な状況を作ろうとしているのか。
ジーグの人柄もあり大きなトラブルは起きてはいないが
彼の抱える苛立ちも周りに良い影響を与えるとは思えず、隊の有り方としても不安がある。

「何がです?」
しかし、テレストラートは改める気持ちはないようだ。
セント将軍から直接この任務を言い渡された時、ローゼンが指示された事柄は2つ
何が有っても敵の手から術師の長を守り通す事
そして、テレストラートのする事には、それがどんなに無茶に見えようと
口をはさまない事。
「いいえ、何でもありません。」
だから、ローゼンは口を噤む。
たとえ無意識に上がったテレストラートの左手が、苦しげに胸元のローブを握り締めているのに気づいても。
彼の視線が求めるように、時にジーグを追っている事を知っていても。
理由を問いはしない。


「ゼグス!いったいどうなっている?」
「ジーグ・・・」
「あいつは、何だってあんな態度をとっている?何が有った!」
ジーグに怒気を孕んだ言葉をぶつけられて、ゼグスが萎縮する。
戦士とは違い、繊細な術師はむき出の怒気をぶつけられる事になど慣れていない。
「すまん。」
身をすくめるゼグスにジーグは我に帰り小さく詫びる。
余裕の無い自分が恥かしくなる。
「いいえ。」
ゼグスはゆるく首を振り、なんとか笑顔をうかべた。
「私たちにも分からないのです。私も、避けられているように思うのです。
他の術師達も。今、テレストラートさまが話しに来るのは長老達だけです。
何をお考えなのか・・・。」
「コータは?コータにはあったか?」
「いいえ。耕太にも、もうずっと・・・。
何か耕太にあったのでしょうか?それで・・・テレストラートさまが変わられたのでは?」
「コータに?・・・いや・・・。」

耕太に何か有ったとは考えにくい。
可能性として有るのは2人の融合だろうが、それなら人格に違いが出るはずだ。
今日会ったのは間違いなくテレストラートだった。
テレストラートが健在なら彼は何が有っても耕太を守り通す
もし耕太が損なわれていたりしたら、テレストラートの変化はこんなものでは済まないだろう。
考えられるのは、この戦を終わらせる事に集中する為
無理を差し止める人間を遠ざけている。
しかし、それもこんな方法を取るとは考えにくい。
いったい何が起こっているのだろう・・・。
いくら考えても分かるはずも無い事は、直接本人に当たるしかない。



「テレストラート、少しいいか?」
「後にして下さい。」
声をかけたジーグにテレストラートは静かな視線を一瞬向けただけで
そのまま行こうとする。
その腕をジーグが掴んだ。
「今でなければいけませんか?私は今、忙しいのですが。」
非難するような目で見上げたテレストラートは、冷たい声で言うが
ジーグも引かない。
「忙しいのは何時もだろう、すぐ済む。少しだ。」
テレストラートの視線を正面から捕えるように、顔を覗きこむ。
「ティティー、何か俺に言いたい事は?」
「別に。」
「何故こんな態度をとっている?何か問題が有るのなら、はっきり言え。」
「何も有りません。他に用がないのでしたら手を離して下さい。」
「コータは?」
ジーグの言葉に、避けるように外していたテレストラートの視線がジーグへと戻る。
「コータはどうしている?」
「元気です。」
重ねて尋ねるジーグを見上げて応える瞳には何の感情も窺えない。
「最近、コータに会っていない、どうしてだ?」
「タイミングが合わないだけでしょう。戦闘が多く時間が減ってはいますので。」
「コータと話す。代わってくれ。」
「今は眠っています。何か有るのなら伝えますから・・・」
「直接コータと話したい。」
「今は急ぎますので。」
「テレストラート」
「手を、離して下さい。」
腕を掴むジーグの手を振り解こうとするテレストラートの動きに
思わずジーグの手に押さえ込むように力が入り、テレストラートの顔が苦痛に歪んだ。

「テレストラート様、どうかされましたか。」
「ローゼン。」
背後から掛けられた声に、テレストラートが声の主の名を呼ぶ。
その声に含まれる、明らかにホッとしたような響にジーグはムッとする。
「ジーグか?何か問題でも?」
「何でもありません。」
ゆっくりとした足取だが、警戒した様子で歩み寄って来たローゼンの問いかけに
まるで取り繕うように、咄嗟に応えたテレストラートにジーグは苛立つ。

これではまるで、自分がいちゃもんを付けている暴漢の様ではないか。
「勝手にしろ!」
大人気ないと思いながらも、苛立ちを押さえきれず
感情のまま捨て台詞をのこして、ジーグは背を向け足音も荒く立ち去った。
その後姿に視線を向ける白い横顔は
ホッとしているようにも
悲しげにも見えた。
「テレストラート殿。彼と話をしなくてよろしいのですか?」
「何を、です?」
「・・・・・いえ。」
自分の務めはこの青年の身の安全を守る事
彼が何を考え、何を思い、何をするのかは自分の与り知らぬ事だ
と、ローゼンは自分に言い聞かせる。
しかし、彼は
今、自分がどんな顔をしているのか気付いているのだろうか。

彼の身を守る。
しかし
彼の無茶は止めてはならない。

ガーセン最強の兵力である、華奢な後姿につき従いながら
ローゼンは自分に与えられた2つに任務の真意を考えていた。

(2007.10.27)
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