ACT:54 バロック


それは美しい町だった。
湿地帯を挟んで向こう側に広がる、建物の群れ。
大きさこそ中規模だが、手入れの行き届いた石造りの家々を見れば
その町の豊かさがうかがい知れる。
今まで占拠してきたイオクの貧しい町と比べて、それは不自然な程の豊かさに見えた。

この町へ侵入を企てリーゲン国軍1中隊が指揮官の王子と共に消えた。
功を焦っての事だろうが、得体の知れない術が其処かしこに張り巡らされた
イオク国内でのこの行動は、軽率としか言えない愚行だった。
しかし、同盟国の王子が巻き込まれているとなると
自業自得とそのまま切り捨てて行く訳にも行かない。
リーゲン軍と共に左翼を守るタリスの術師が急ぎ救出を試みたが
果たせず本陣のテレストラートに押し付けられる形になり、ジーグは怒り狂った。

「欲に目が眩んで足並みを乱す阿呆王子の為に、なぜ人員を裂かなければならない。」
と言うジーグの率直な意見には、良く言えば奔放、言い換えれば我侭で知られるリーゲンの王子の
人柄も影響して、大いに共感を買ったのだがそれを表に出す者は殆どいない。
それが耕太も嫌う『政治』というものだった。

現場に広がるのは、のどかな風景だった。
薄い朝靄の中。朝の清廉な日の光を反射して、湿地帯はキラキラと輝き
その向こうの町から一日の始まりの静かな活気が伝わって来る。
豊かな田舎町の平和は風景。
常人にはそう見える町を目にするなり、テレストラートは大きく息をついて眼を伏せた。

「・・・駄目です。生きているものは何一つ居ません。」
目の前には湿地帯を楽に渡れるようにと、板を渡した道が町へと真っ直ぐに続いている。
この道を半ばまで進んだ所で、リーゲンの兵達はまるで蝋燭の火が風に吹き消されるように
ゆらりと揺れ、虚空に掻き消えたと言う。
「リーゲンの奴らは全滅って事か?」
「リーゲンの兵だけでは有りません。あの町も・・・既に生きている者は誰一人。」
テレストラートの言葉に、ジーグは湿地の向こうに広がる町を見る。
町からは煮炊きの為だろう、白い煙が其処かしこから上がり
朝の喧騒が、確かに空気を伝って聞こえていた。
「人が・・・居ない?だが・・・。」
訝しむジーグに「ここに居てください」と言い置いて
テレストラートが板敷きの道に踏み出す。
「おい。」
「大丈夫です。そこに居て。」
慌てて止めようとしたジーグに振り返り、笑顔でもう一度繰り返すと
テレストラートはそのまま道をゆっくりとした足取りで進み
半ば程に達した所で立ち止まる。
呪文を唱える声は此方まで聞こえてはこなかったが、空を切るように数回指を動かしたのが見えた。
と・・・右前方から何かが砕けるような小さな音がした。
続いて左前方から一つ
継いで上空から一つ・・・
次ぎの瞬間辺りに何か・・・硬質のものが砕け散り崩れ落ちるような音が響き渡り
そして唐突に途切れた。
再び朝の静寂に包まれた湿地の中の町は、以前と全く変わらずにそこに有った。
いや・・・何かが変わっていた。
湿地にそそぐ陽光も、美しい町並みも変わらないのに何故か
空気に満ちていた平和な雰囲気が掻き消えている気がして辺りを探り
ジーグは気がついた。

町から伝わって来ていた、朝の喧騒が止んでいる。
風にたなびく煙はそのままに
しかし、人が立てる生活の音が途絶え耳を刺すような静寂が辺りを支配していた。
「ジーグ、町へ行きます。」
テレストラートに呼ばれ、板張りの通路を進む。
湿地から何かが突き出しているのを目に留め、視線を凝らし息を飲む。
薄い靄が風に流れて露になった湿地帯には、数え切れないほどの体が沈んでいた。
馬・鳥・狼・・・そして人。
「これは・・・?」
「町に入ろうとした人々です。行きましょう。」
旅人らしき装束の者や、町人風の服を纏う者
兵の鎧を身につけている者も見受けられた。
リーゲンの兵士かもしれない。

「酷い・・・」
町は死に絶えていた。
今の今まで、生活をしていたような形跡の残る街の中で
人々だけが無残に朽ち果てていた。

「何なんだ?これは・・・」
「街を取り囲むように封じの結界が張り巡らされていました。
外から街を目指す者は命を落とし、町の者も外には出られない。
人々は封じられた町に閉じ込められたのです。町には人々を養うほどの糧食も水もなかった。」
「何故そんな事を?」
「恐らく罠です。豊かな町は夜盗や敵の目を引き付けるでしょう。
この町は人をひきつける為の、餌のようなもの。」
「それにしたってここはイオクの町だろう?罠を仕掛けるにしても何故住人を避難させずに空間を閉じた?」
「この術は精霊術では有りません。人の命を術に変換している。
 閉じ込められた人々の恐怖と絶望が、術の力を強くする・・・。」
町中は酷く荒れていた。
そこ彼処に殺されたと明らかに分かる遺体が転がっている。
町人達は恐怖に駆られ、残り少ない食料を争そい、互いに殺し合い
町は出口の無い地獄と化したのだろう。
壊れた荷台に埋もれるように横たわる、朽ちた女性の遺体の腕には
鮮やかな空色の服を着た幼子がその腕にしっかりと抱き抱えられていた。
「こんな・・・こんな酷い。他にいくらでも方法は有るのに。」
テレストラートの言葉と共に、横たわる親子の体が蒼い炎に包まれる。
継いで一つ、また一つと朽ちた町人の遺体が浄化の炎に燃え上がる。
術によってこの町に縛られた肉体を焼き払い、人々の魂を解きはなつ。
理不尽な死に追いやられた人々の魂は、迷う事無く常世の国へと行けるだろうか・・・。
「イオクを倒す。何としてでもサシャを止めなければ。」
町中から弔いの煙が上がるなか2人は無人の町を後にした。



戦場を後に宿営地へ戻る兵士達の足取りは重い。
「全く・・・嫌な戦だ。」
勝ち戦だった。
イオクに入ってからガーセンと連合軍は順調に勝ち進んでいる。
既にイオク国土の1/3を占拠し、その速いスピードに膨れ上がる難民と
占領地の統治が間に合わない程だ。
だがガーセン軍の士気は著しく低下している。
「全くだ。肉屋にでもなった気分だよ。」
笑えない冗談に、男達の口元が苦く歪む。

職業軍人を中心に統率の取れたガーセン軍が日々剣を振るうイオクの兵達は恐ろしく弱い。
戦闘の事など全く知らない明らかに非戦闘員・民間人だ。
彼らの攻撃など、子供の打ち込み程の威力さえ有りはしない。
それなのに打ち倒さなければ、何度でも切りかかって来る。
情けをかけたために、命を落としたガーセン兵も数多いのだ。
戦場で手加減が出来る状況でもない。
それでも自分達がまるで弱い者を狩る、惨殺者にでもなった気分で
「一体、何時まで続くんだろうな・・・。」
「イオク王の首を取るまでか?」
その王はほんの4歳の幼子だと言う。
一体何が正義なのかと自分に問いたくなる。
もっとも、戦場に正義など無いのかもしれないが。

共に足を運んでいたジーグが苛立ったように言い放つ。
「イオクを仕切ってる大莫迦野郎どもを、全部纏めて叩き斬ってイオクを大陸から消し去るまでに決まってるだろう?
それも、もう直ぐだ。
民なんて者は王が代わろうが、国が変わろうが生活が安定して平和なら良いんだ。
さっさとこのふざけた国をぶっ潰して、この国の人間もまともな飯が喰えるようにしてやろうぜ。
愚痴を零してる暇なんか、有るか!」
兵達が感じている不満はジーグ自身も身に染みて感じている事だ。
だが、嘆いて何になる。
この手は既に血に染まっている。
正義を謳い嘆いた所で事態が変る訳ではない。
血塗られた手で勝利をもぎ取り、民を解放するしか無いではないか。

共に歩きながらジーグの言葉をテレストラートは胸の中で反芻する。
ジーグは強い。
そして真っ直ぐだ。
愚痴を零している暇なんか・無い。イオクの王都までもう少し。
そこにあの男が・・・。
ふと、テレストラートの足が止まる。
それは突然訪れた。
体を貫いた凄まじい痛みに、テレストラートの体が硬直する。
目の前が真っ赤に染まり、息が止まる。
世界が傷みだけに支配され、自分が今立っているのかさえ分からない。


不意に足を止め兵の一群から遅れたテレストラートに気付き、ジーグが振り返り訝しむ。
「どうした?」
声をかけるが反応は無く、まるで凍りついたかのように動かないテレストラートに
ジーグは引き返して軽くその腕に触れた。
「ティティー?」


何かが腕に触れた感触に、急激に世界が形を取り戻す。
自分の足の存在を意識した途端、立っていられなくなり
その場にくずおれた。
「テレストラート!?」
倒れた拍子にやっと息を吐き出し、空気を求めて喘いだ。
ジーグが何か叫んでいるが、応える余裕も無い。
焼け付くような痛みの中で、テレストラートはとうとう意識を手放した。


「ドクター!!ドクター・ケイル!!」
騒々しく駆け込んできたジーグに顔を上げたハーラン・ケイルが
グッタリと抱えられたテレストラートを目にして立ち上がる。
「どうした?」
「分からない。様子がおかしいと思ったら、急に倒れて・・・。」
「そっちに寝かせて。」
指示通りに寝台に横たえた所に、ケイル医師が幾つかの薬瓶を手に戻る。
脈を確認する為にケイル医師が首筋に触れると、ぴくりと体が震えテレストラートが目を開く。
痛みを恐れているかのように一瞬体を硬くしたが、既にそれが去っている事が分かると
体の力を抜き、大きく息をつく。
ジーグが急くように声をかけた。
「テレストラート?」
「・・・すみません。大丈夫です。・・・耕太は?現れました?」
「いや。」
「良かった・・・。彼が、驚くと困ります。」
「どうしたんだ?」
「少し・・・疲れただけです。もう、大丈夫。」
「本当か?」
「はい。」
応えて微笑みを浮かべるが、その顔色は紙の様に白い。
脈を確認する為、再びテレストラートに触れたケイル医師はその体が微かに震えている事に気付いていた。
薬瓶の栓を口で抜き、小さな器にその中身を注ぐと湯で薄め
テレストラートの上体を支え飲ませる。
「少し眠った方がいい。」
ケイル医師の言葉に、テレストラートは素直に瞳を閉じる。
薬に導かれるように眠りに入る瞬間に、テレストラートがうわごとの様に洩らす
声にならないほど微かな呟きをケイル医師は聞いていた。

まだ、大丈夫。まだ、大丈夫・・・。


寝台のすぐ脇に陣取り、ジーグは眠るテレストラートを見ていた。
顔色は悪く、呼吸は浅い。
イオクへの侵攻が開始されてから明らかにテレストラートに負担をかけ過ぎている。
一度は失ってしまったテレストラートを取り戻す事が出来たと言うのに
倒れるほどに無理をさせ、自分は彼の為に何一つ出来ない。
もし、また彼を失うような事になったら、自分は・・・。

テレストラートをこのまま此処から連れ去り
戦とは無関係な場所へと隠してしまいたい。
自分の身を削るようにして戦わせるような事が無いように
もし、そのせいで世界が狂ってしまっても
テレストラートが自分を恨んでも
彼を失う事よりは良いのでは無いか?
テレストラートとコータと3人で・・・

本当に自分にそれが出来るのか?
祖国を、王を、仲間を捨てて?
自分の一番大切なものは、一体なんだ?

ジーグは思いを振り切るように首を振る。
何を考えている?弱気になるな、らしくない。
逃げる事を考えてどうする!
テレストラートはそんな事を望んではいない。
この戦を終わらせる。
それが進むべき道だ
俺がティティーを支えないでどうする!

迷いを振り切るようにもう一度首を振り、眠るテレストラートの前髪をそっと掻きあげる。
確かにそこに存在するのに、今にも消えてしまいそうに思えて
胸を締め付けられるようで
ジーグは身を屈めると、微かに開いた唇にそっと口付けを落とした。


"まだ、大丈夫。まだ。自分は戦える。でも・・・"

(2007.10.14)
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