ACT:48 過去の暗影



そろそろ潮時だと思った。

あの女の計画にのりガーセン軍を離れてイオク軍に下り
約束されていた金と地位を手に入れた。
約束が果たされるとは思っていなかったし
そんな物は、本当はどうでも良かったが
これから先、長い人生を生きてゆかなければならなくなったのなら
それらは有ったほうが良いのだろう。

国王の身辺警護。
国を裏切り寝返った者に与えられるには、重要すぎるその役目に
何か裏が有るのでは無いかと疑い警戒していたが
すぐにそうでは無い事はわかった。
この王は飾り物なのだ。
裏で国を実際に動かしているのは、得体の知れない金髪の男で
王は完全に、この男の言いなりだ。
王の周りは傭兵や、自分のような余所者ばかりで固められていた。
王を孤立させるためだろう。
金髪の男は当初、王を上手く裏から動かしていたが
今では何事も自分の思惑通りに動かせるよう、全ての実権を移行済みだ。
王など居ても居なくても良い存在に成り下がっている。

名ばかりの国王、ダイス・クロセルラ。
人の上に立つ者の威厳の欠片さえ持ち合わせていないような臆病で愚鈍な男。
それでも自分の立場を正しく理解し、あの男の望む通り
たとえ飾り物であろうと、王と言う役さえ過たず果たしていさえすれば
平穏な余生を遅れたであろうに
浅はかにも忍び寄る敵の影に怯え、安全に守られた自分の城から勝手に逃げだした。
状況を正しく読む事も出来ず、身を守る術も知らず
これで本当に敵の手を逃れ、隠れたつもりでいるのだとしたら、もう救いようが無い。

付き合わされるこちらが、いい迷惑だ。

案の定、ガーセンに情報が漏れている。
それにしてもガーセンのこの対応の早さは流石だ。

イオクの愚鈍さと比べ誇るような気持ちになっている
自分の馬鹿さ加減にロトは小さく声を出して自分自身を笑った。

突然のガーセンの襲撃に、愚かな王は逃げる事さえ放棄した。
覚悟を決めた訳ではない。
恐ろしさのあまり、動く事が出来ないのだ。

見つかるのはもう時間の問題。ここらで見切りをつけるべきだ。
ここに留まれば身の破滅。
裏切り者がもう一度、主君を見捨てた所でなんの痛痒も感じはしない。
イオクの王は唾棄すべき人物だし
イオクにもイオクのもたらす富にも未練は無い。


現実を直視しようとぜずに、愛妾を抱きしめ頑なに動こうとしない王を
必死に説得する護衛たちを冷めた目で眺め
ロトは誰にも気付かれぬよう1人離れると、そっと部屋を抜け出した。
人の気配に気を配り、混乱にまみれひっそりと移動する。
ガーセンに捕まりでもしたら、自分は王などより余程悲惨な目を見る。
戦と規律の国、ガーセンは裏切り者を許しはしない
自分に最後の止めを刺すのは、あの男だろうか・・・。

懐かしい親友の顔が脳裏を過ぎり、ロトは苦い笑みを顔に刻んだ。
彼はどれ程自分を恨んだ事だろう?
だが自分は全く後悔していない。
時を戻し選択をやり直せるとしても、自分はまた同じ道を選ぶだろう。
あの術師をこの手で始末し損ねたことだけ、心残りでは有るが。

人気の無い廊下を抜け、中庭に出る。
そこで響き渡る笛の音を遠くに聞いた。
ガーセンの合図の呼び笛だ。
王が捕らえられたのだろう。
身を潜めしばらく様子を伺い、素早く中庭を横切る。
厩によるのは危険だが、逃走にはどうしても馬が必要だ。
館の裏手に出入りの使用人が馬を繋ぐ小屋が有る。
この時間なら1,2頭、馬が居るはずだった。
そこに向かうため、屋敷の右翼を突っ切り裏へ抜けようと窓を潜り
ロトは思いもかけない人物を眼にして立ち尽くした。

「これは、これは・・・。」
自分の後悔が、幻を生み出したかと思った
だが、そんな筈はない。
幻でもその姿を見たいなどとは思いもしないだろうから。
「お久しぶりですね、お姫様。今日は貴方の戦士は居ないのですか?」
その存在を心から消し去りたいと望んだ人物は
部屋の隅にぐったりと力なく座り込んでいた。
その傍らに常に居るはずの、戦士の姿は今は無い。
ロトは自分が無意識のうちに笑みを浮かべているのに気付いた。
再びこの手でこの男を、屠る好機がめぐって来ようとは。

「俺にも運が向いてきた様だ。」

次の瞬間、ロトは滑らかな動きで耕太に飛び掛った。
驚きの為か身動き1つ出来ない耕太を床の上に押さえつけ、その口を左手で塞ぐ。
術を警戒し呪文を紡ぐ事を防いでいるのだ。
そんな事をされなくても、耕太には術を使う事は出来ないが
強く塞ぐ手が、呼吸を妨げる。
「わざわざ、術師長御自らお出ましとは思いませんでしたよ。テレストラートさま。」
苦しさに仰け反る喉に、冷たい刃が当てられ
「再び会う事が出来て嬉しいですよ・・・」
感情が抜け落ちたみたいに冷たい声で、確認するように告げられる。
「首を落とせば、流石に死ぬだろう?」

殺される。
耕太は、それを確定した事実のように感じた。
この男は次の瞬間には、何の躊躇いもなく剣を引く。

突然身の内に、激しい怒りが湧き上がった。
耕太は体が熱くなるのを感じる。
『テレストラート・・・?!』
彼の怒りに感応した精霊たちが、激しい突風を吹き荒らす。
その怒りを抑える事無く、テレストラートは周り全てのものを吹き飛ばした。

部屋中のガラス窓が表に向けて弾け飛ぶ。
突風に煽られたロトの体も転がり、しかし受身を取るとすぐに立ち上がり剣を構えた。
テレストラートも体を起こし、立ち上がろうとするが
突如体を襲った鋭い痛みに顔をしかめ、膝をつく。
「何だ姫さん、へろへろだね。
あの女、仕留め損ねたがそれなりにダメージは与えたと見える。」
テレストラートは肩で大きく息をしながらも
再びゆっくりと近づいてくるロトを鋭い目で睨みつけ、搾り出すような声で叫ぶ。
「何故、何故王を・・・何故、彼をジーグを裏切った!!」
その言葉にロトの顔から笑みが掻き消える。
「何故?お前がそれを問う?
お前のせいだよ、テレストラート様。
お前は俺とジーグから未来を奪った。」
静かな、不気味なほどに感情の篭らない平坦な声でロトは告げる。
その言葉に打たれでもしたようにテレストラートの体が震えた。
「分かっているのだろう?お前の存在はジーグを縛る。
お前さえいなければ、こんな事にはならなかった。」
「黙れ!貴方だけは許さない!!」
「お前はここで消えうせろ!」
テレストラートは悲鳴を上げる体を無視して立ち上がり、言葉を紡ぎ精霊を呼ぶ。
ロトは怯むことなく剣を構えると、真っ直ぐに突っ込んで来る。
術が発動するまでに僅かな時間がある事を知り尽くしている
その間に懐に入るつもりなのだ。

術が発動するより早く、ロトの鋭い突きが空気を貫く
だがロトの剣がテレストラートを傷つける事は無かった。
術が発動する事も。

切先がテレストラートに届く前に、再び体を襲った鋭い痛みに
術を手放しテレストラートの体は床に崩れ落ちた。
そのお陰で剣を身に受けるのを免れたが
体がバラバラになりそうな痛みに、もう起き上がることは出来なかった。
空を切り、勢い余って壁を傷つけた剣を引き抜くとロトは床の上で蹲るテレストラートを見下ろした。
「つらそうだね、姫さん。もう、あきらめたら?
 抵抗しなければ昔のよしみで楽に殺してあげるよ。」
零れおちる声は、昔、自分に掛けられたものと同じ優しい響。
ゆっくりと振り上げられる剣を、テレストラートは目を逸らさずに睨み続けた。

振り下ろされるそれが、不意にロトの体ごと大きく後に跳び退った。
ロトに向け放たれた殺気に、体が反応して避けたのだ。
一瞬前までロトがいた場所に床が砕ける程の勢いで剣を突き立てているジーグが居た。
「ジーグ・・・」
テレストラートの声には、助けが来た事に対する安堵の響は欠片もなく
この場にジーグが立ち会ってしまった事の悲惨さに切なく軋んでいた。
「テレストラート、大丈夫か?」
そんなテレストラートにジーグは一瞬視線を向け
すぐに自分の目の前に立つ、よく知る顔の男に鋭い視線を向けた。
「ジーグ・・・」
「ロト・・・貴様!!」
「やれやれ、騎士様のお出ましか、泣けるねぇ。せっかく良い所だったのに。」
「ロト。これは俺とお前の問題だろう?今、ここで決着を付けよう。」
「仕方ないなぁ・・・あんまり気は乗らないけど。見逃してくれる気はなさそうだしね。」
「ジーグ、駄目!」
ジーグにロトを手にかけさせてはならない。
その思いに突き動かされて、言う事を聞かない体を引き起こしテレストラートは必死に叫ぶ。
「大丈夫だ。」
そんなテレストラートにジーグは笑みを向けると、剣を構えロトと向き会う。
「こんな形でお前と剣を交える事になるとはな。」
「感情に流されるのは悪い癖だよジーグ。君は成長しないね。」
会話を交わしながら、2人の殺気が急速に張り詰めて行く
遂に臨界点に達し、2本の剣が火花を散らした。


テレストラートの目を通して、耕太は2人が剣を交える様子を驚いて見つめていた。
男はジーグと互角に戦っているように見えた。
ジーグは強い。
耕太はその驚異的な強さを何度も目の当たりにしてきた。
今までジーグと互角に渡り合う人間なんて、見たことが無かった。
それをこの戦士としては華奢な体つきの男が、ジーグの斬撃をことごとく防ぎ
剣を繰り出している。
『こいつ・・・強い。』

しかし体格差はいかんともしがたいのか、ジーグの剣を自らの剣で受けたロトが体勢を崩した。
そこへ攻め込んだジーグを避けて、ロトの体はテレストラートが吹き飛ばし硝子の無くなった窓から外へと転がり出た。
ジーグがすぐにその後を追う。
テレストラートの視界から2人は消え、激しく争う気配と剣の打ち合わされる音だけが生々しく響いてくる。
テレストラートは後を追おうとして、立ち上がれずその場に蹲る。
『ティティー、大丈夫?』
耕太は困惑する。

あんなに強い相手・・・もし万が一にもジーグが負けてしまったりしたら・・・
その可能性に心臓が凍りつく気がした。
まさか、そんな事・・・有るわけない。
でも・・・
それにティティーの様子も変だ。
感覚を遮断されている筈の自分ですら感じるほどに、体が痛む。
いくら無理したって言っても、これはおかしい。
絶対ヤバイ。
ジーグもティティーも、どうにかなってしまったら・・・
自分はどうすればいいんだろう・・・。

窓の外からは、変わらず剣戟の音が響いて来る。
「ジーグ・・・」
『ティティー、大丈夫だよ。ジーグが負けたりするもんか。』
「駄目・・・」
テレストラートが再び体を起こそうとして失敗する。
「駄目・・・駄目だ、ジーグ。ロトを殺さないで。
あなたの手で彼を殺しては駄目・・・」
弱々しい呟きが、彼の唇からこぼれ落ちる。
『ティティー・・・?』
テレストラートの乱れた心から過去の記憶の断片が耕太へと流れ込んでくる。

ジーグのとなりで笑うあの男、ロト。
記憶の中で彼はジーグの隣にいる。
何時も、いつも。
ジーグが親しげに話しかける。
信頼しきった顔で。
楽しげに笑い。
当たり前のように。

『何で・・・』
「何で・・・こんな事に。」
今の状況との余りのギャップに呆然と呟く耕太の声に
血を吐くようなテレストラートの呟きが虚しく重なった。

(2007.09.09)
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