ACT:47 崩壊


テレストラートの声が部屋に流れ、空気を満たしてゆく。
決して大きい訳ではないそれは、しかしはっきりと部屋の隅々まで響き
紡がれる言葉は世界の真実を描き出し、操り、空気そのものを変えてゆく。
差し伸べられた手が、優雅な動きで宙に文字を描くように奔り
その軌跡が輝きながら虚空に光を描き出す

と、突如突風がテレストラートの言葉を吹き消そうとするかのように吹き
部屋の隅で彫像がキシキシと不気味な音を立て始める
内側から加わる複数の大きな力に、部屋自体がたわみ軋みを上げる。
それら総てに全く気付いてもいないかの様に
テレストラートの動きは何の停滞も見せずに続いている。
光りの奇跡が複雑に絡み、宙に幻想的な文様が浮かび上がり
室内の青い光に照らされ虚空に炎を身にまとった巨大な狼が宙を舞う。
それは恐ろしく、そして美しい光景だった。
狼はテレストラートの差し伸べられた手の辺りから生まれ
宙を駆け床の上で蠢く不浄の者たちに襲い掛かる。
しかし、その鋭い爪が赤い文様の浮かんだ体に触れる寸前
狼はまるで強い力に吸い寄せられでもしたかのように体勢を崩し
部屋の一点へと押し流され空に巻き込まれる様に姿をかき消す。
その先に有るのは、竜の彫像。
精霊を喰らい尽くす呪具。
しかし狼たちはいくら押し流されようとも
後から後から踊り出て化け物たちに襲い掛かる。
空を駆り、牙を剥き、その眼に全てを焼き尽くす炎を湛えて。

とうとう、一匹の前足が化け物を捕らえた。
直後、狼は押し流されたが床の上の化け物はのたうち燃え上がる。
対抗するかのように、化け物達の体が赤く発光し吹き荒れる風が狼を引き裂く。
ぶつかりあう絶大な力同士が、空に雷にも似た火花を飛ばす。
押し寄せる狼の群れが巻き起こす風
迎え撃つ化け物たちが起す攻撃の風
ぶつかり合う力が起す突風
流れ去り消え行く力が起す風
人ならぬ者の戦いの起す現象に
部屋の中はまるで嵐の只中に有るかのように荒れ狂い
ジーグは吹き付ける突風に吹き飛ばされ、転がった。
「―――――・・・・!!」
何か硬い物―――おそらく壁だろう―――に当たって止まったが
押し寄せる圧力に全身を押さえつけられ、身を起す事も出来ない。
耳を聾する轟音が響きわたり、どちらが上か下かさえも分からなかった。

荒れ狂う風の只中で飛竜の彫像だけが、台風の目ででも有るかのように
静寂の中に佇んでいる。
その背の翼は、まるで手を差し伸べるように伸び
部屋全体を覆うかのように醜く捻じれながら広がって行く。

ジーグは部屋の片隅で、空気の圧力に身動き一つ出来ないでいた。
自分には決して見えも感じもしないはずの精霊たちが
空気の濃度さえ変えてしまうほどに部屋中に満ちみちて居るのが分かる。
余りの濃密さに、水に溺れる者の様に息苦しさを覚え
苦しさに喘いだ。
圧倒的な力の渦の只中で、状況を確認する事さえ適わない
その時、轟音の中に何かが砕け散る硬い音を確かに聞いた。

その直後、世界が白一色に染まる。
溢れ出す光は眼を閉じ、顔を腕で覆っても防ぐ事が出来ず
強烈に瞳を焼く。
「ぅあぁ・・・・・!!」
痛みさえ感じさせるほどの強烈な光に、ジーグは思わず叫び声を上げた。


一体どのぐらいの時間がたっただろう。
一瞬のようにも永遠のようにも感じられた。
初めに感覚が戻ったのは嗅覚だった。
鉄さびた血の匂いが意識を揺さぶる。
激しい耳鳴りがしており、辺りがうるさいのか静かなのか全く分からない。
何度も瞬きを繰り返すと、チカチカと明滅する白い世界に
目がゆっくりと自分の腕の輪郭を結び初め、急速に色味が増してゆく。
正常になりつつある眼を凝らし、ゆっくりと首を上げ視線を巡らせてゆく。

白い石のタイルが整然と敷き詰められた美しい床の上には
解け崩れた忌まわしい者達の残骸も、焼き尽くした炎の痕跡も無く
ただ天窓から差し込む光を柔らかく反射しているだけだ。
どこか不自然で歪んだ雰囲気を湛えていた空気は
今は清廉で自然な朝の空気が満ちている。
部屋の奥。飛竜の設置されていた台の周辺には大量の石の残骸が
まるで内側から弾け飛んだかのように、粉々に砕けた状態で散乱している。

更に首を動かして、ジーグの眼は床の上に横たわる精霊術師の姿を捉えた。
「テレストラート・・・っ」
体を起し、ジーグは全身を襲った激痛に歯を食いしばる。
右肩に負った傷は深く、右手の感覚は既に無かった。
苦痛を声高に訴える体を無視して、しかし立ち上がる事はできずに
ジーグは左腕で這うようにして横たわるテレストラートに近づいて行く。
ほんの数歩の距離。
それを詰めるのに気の遠くなるほどの時間と苦痛を要した。
伸ばした指先が彼の頬に触れる、ジーグの手の血が頬を汚し
強調された肌の白さにゾッとした。
そのまま手を伸ばして口元に翳すと祈るような気持ちで呼吸を確かめる。

生きている。

一先ず安堵の息を吐き、やっとの思いで何とか体を起し床の上に座ると上からテレストラートを覗き込む。
眠っているようなその顔の透けるような白さが不安で、そっと手で触れる。
「テレストラート・・・起きろ、ティティー・・・。眼を開けろ・・・。」
囁くように声を掛けると、応えるように睫が震えゆっくりと青い眼差しが姿を現す。
「・・・・・ジーグ?」
頼りない声に、それでも安堵の笑みを浮べたジーグとは裏腹に
テレストラートは切なげに顔を歪め、ゆっくりとした動きで右の手を上げる。
「馬鹿!止めろ!!」
ジーグの右肩に向けて差し伸ばされた手の意図に気付いたジーグの上げた
鋭い静止の声にかき消されてテレストラートの声は聞こえなかったが
その術は術者の望みどおりに発動する。

ヒール
肉体を補完する、癒しの術。

肩に負った深い傷がみるみる塞がり、右手の感覚が戻る。
眩暈も、耳鳴りも拭い去られ、ジーグの体から痛みが洗い流されるように消えて行く。
その痛みを引き受けたかのように、テレストラートの白い顔が苦痛に歪む。

癒し以外の総ての力を放棄した、専任のヒーラー以外がその術を使えば
摂理を曲げる負担は術者自信に跳ね返る。
それは諸刃の剣。

テレストラートの無茶な行いを止めさせようと、ジーグが離れようとする前に
テレストラートの手が力尽きたように重力に引かれ落ちる。
「馬鹿野郎!何て無茶をする!こんな状態でヒールを使うなんて・・・。」
怒鳴るつけるジーグにテレストラートは床の上に力なく横たわったまま
しかし、強い眼差しでジーグを見返し、しっかりとした声で言い放つ。
「仕方の、無い事です。あなたが、動けなくては、此処から、出ることが、出来ません。」
敵地の只中で、互いに満足に動けない状況では
脱出する事も確かにおぼつかない。
敵に出合いでもしたら、どんなに弱い相手だろうと簡単にやられてしまうだろう。
しかし、そんな事は事実を装った立て前だ。
その証拠にテレストラートの口からは押さえきれなかった本音が、揺らぐ瞳と共に零れ落ちる。
「あなたが、傷つくのは、嫌、です・・・」
「馬鹿野郎。」
「ごめん、なさい。」
「馬鹿野郎。」
「・・・はい。」
ジーグは繰り返し罵りながら、テレストラートの体を引き上げ、その体を強く抱きしめた。
この腕の中の、細く頼りない恋人は
本当に馬鹿で、不器用で、無謀で、無茶ばかり
彼の楯になる為に傍にいる自分の前に飛び出し、守る事さえさせてはくれない。
切なくて、愛しくて、腹立たしくて、遣る瀬無くて、辛い。
彼を守る事が出来るには、一体どれ程強くなったら良いと言うのだろう?
彼のために負う傷の痛みなど、この辛さに比べれば何でも無いのに。

その思いを少しでも、テレストラートに伝えたくて
ジーグは相手を罵りながら、抱きしめる腕に力を込めた。
遠く、任務完了を告げる呼笛の音が長く尾を引いて吹かれるのが聞こえた。


「・・・・・・・ジーグ、苦しい・・・。」
ぼそりと呟かれた耕太の声に、ジーグは虚を衝かれ驚き
思わず体に廻していた手を、勢いよく離した。
「ぅわぁ!」
突然支えを無くした耕太は、自力で体を支える事が出来ずに体勢を崩す
顔面が床に激突する寸前、再び伸ばされたジーグの腕に受け止められ
寸での所で悲劇を免れた。
「・・・・・ヒデぇ。」
「・・・すまん。」
自分に代わったとたんに放り出された扱いの酷さに、耕太が小さく不平を述べる。
あまりの大人気ない対応に気まずそうに視線をそらし
ジーグは心から申し訳なさそうに小さく詫びた。

「立てるか?」
小さく一つ咳払いをして気まずい空気を誤魔化し、ジーグは耕太に尋ねる。
窮地を何とか無事脱した気の緩みも有り
テレストラートと自分に対する扱いの余りの違いに対する腹いせに
もう少し虐めてやろうか、という悪戯心が微かに疼きはしたが
この呪いの館から一刻も早く出たかったし
ジーグも文字通り死ぬような思いをした後だし
さすがに可愛そうかと考え直す。
しかし嫌がらせでも何でもなく、体はへとへとに疲れ切っていて全く力が入らない。
「・・・ちょっと、無理っぽい。」
耕太の応えにジーグは頷くと、ひょいと耕太の体を抱え上げそのまま肩に担いだ。
「もう少し、辛抱しろ。」
荷物のようなその扱いに耕太はジーグから見えない事を承知で不貞腐れた顔をする。
もし、今表に出ているのがテレストラートなら絶対こんな風に運んだりはしないだろうに。

そりゃあ、横抱き・・・所謂お姫様抱っこなんてされた日には、
恥ずかしくて止めてくれ!と叫びはするだろうけど・・・
それに征圧が完了しているとは言え、ここは敵地
まだ何処に残党が隠れているかも知れないこの状況で
ジーグの手を両方とも塞ぐのは得策ではないとは分かっているけれど
それでもテレストラートだったら絶対両手を塞いででも大事に抱えて行くのだろう。
決してされたい訳じゃないけど、何か面白く無い。

そんな事を思いながら、それでも大人しくジーグの肩の上でゆられていた。
そうやってどれ位進んだろう
身体に上手く力が入らず、頭が下にさがり上下逆の視界で揺られて居たためか
耕太は気分が悪くなって来た。

「ジーグ・・・ちょっと・・・タンマ。下ろして・・・」
「コータ?」
「気持ち・・・悪い。吐きそう・・・」
抱え直し見下ろした耕太の顔は蒼白で、口元を手で覆い
汗に濡れた額には苦しげな皺が寄せられている。
「大丈夫か?」
耕太の身体をそっと床の上に下ろし、壁を背に座らせる
「・・・・・ちょ・・・と、酔った、みたい。少し・・・休ませて。」
吹き出す額の汗を拭いてやりながら、労わる様に声をかける。
「吐きたかったら、吐いちまえ。その方が楽になる。」
「・・・・・水、ほしい。」
部屋の中に視線を走らすが、水差し一つ見当たらない。
ジーグは迷う、ここを出て数部屋覗けば水は見つかるだろう
だが、先ほどの事も有る。耕太を1人で残して離れるのは躊躇われた。
「コータ、少しだけ動けそうか?客室なら水が有るはずだ。」
「・・・無理っぽい・・・」
辺りに人の気配は無い。
館の中は静まり返っている。
神経を研ぎ澄まし、しばらく辺りを伺った後でジーグは決心を決める。
「コータ、少しここにいろ。水を探して来る。」
耕太は黙って頷く。
「絶対ここを動くなよ。」
念を押すと、足早に部屋を出て行った。

「あ〜〜〜〜〜〜〜きもちわるい〜」
動かず、少しジッとしていたせいか、何とか吐き気だけは治まって来た。
それでも舟にでも酔ったみたいに胸がむかむかして、動きたくない。
「こんなの、海に舟で釣りに行った時以来な感じ〜。うぇ〜、最悪〜〜。」
何とか気分を誤魔化そうとしてか、耕太は口に出して不平を言い始める。
「ジーグ、遅〜〜い。遅〜〜い。遅〜〜い。
 のど、渇いたよ〜〜〜〜〜〜。」
駄々っ子のように繰り返しながら、石の床をイライラと叩き1人ゴネていると
突然開いていた窓の外から、1人の若い男が部屋の中に飛び込み
部屋の隅に力なく座る耕太に気付き、驚いたように目を見開き動きを止めた。

「これは、これは・・・。」
身動ぎもせずに耕太に視線を据えたまま、男はゆっくりと呟いた。

身体はそれ程大きくは無いが簡素な防具を身に付け
剣を腰に下げた油断の無い身のこなしは戦士だろう。
耕太に据えた視線を、ひと時も外さずに男はゆっくりとした足取りで近づいて来る。
男の口が笑いの形にゆっくりと歪む。その瞳に激しい憎悪を湛えたままで。
これは何かヤバイと思いながらも、疲れ切った身体は言う事を聞かず
男の異様な雰囲気に、気おされたように声も喉で凍り付いた。
「お久しぶりですね、お姫様。今日は貴方の戦士は居ないのですか?」
憎しみに凍てついた不自然に平坦な声で、口調だけは親しげに男は耕太に話かける。
その男の顔に、耕太は見覚えが有った。
「まったく、術師って奴は不死身なのか?
確実に止めを刺したと思ったのに
 また俺の前に現れるとはね。この、化け物が・・・。」

この身を刺し貫かれた衝撃、なぎ払われた剣に身を裂かれる感触。
蘇った死の記憶に、耕太は身体を震わす。
「お前・・・」

振り向いた視線の先で、歪んだ笑いを浮べていた男の顔。
オーガイでの戦いでテレストラートを護っていたジーグの親友。
テレストラートをその手にかけた裏切り者

「俺にも運が向いてきた様だ。」

(2007.09.01)
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