ACT:46 包囲 


青い光に沈む、静寂に満ちた部屋。
その中に逃げ込んだはずの女の姿は見えず
無人の部屋の中、ジーグは神経を張り巡らせて気配を探る。
部屋の中には人が隠れられるような場所は無く
奥へと長く伸びている広い部屋には、今入って来た扉以外の出入り口は見止められない。

部屋の両側には大きな窓が整然と並んでいるが、そのどれも硬く閉ざされていて
人がそこから出た形跡は無い。
水底のように静まり返った重い空気が、ただ部屋に満ちているだけだ。
そこには生きているものは居ないはずなのに
何処からか見られているような視線を強く感じる。
部屋の奥に鎮座している竜の彫像だけが、強い存在感を放っていた。

見た限りでは何も、おかしい事は無い
なのに何かが歪んでいるような不自然な感じがする。

「何か、ここ・・・気持ち悪い。」
耕太が不安げな声でその雰囲気を端的に指摘する。
その声を合図にしたかのように、物音ひとつしなかった部屋に
背後で扉の閉まる重々しい音が響き渡った。
「ひッ!!」
その音に驚いた耕太が、鋭く息を吸い恐怖に身体を硬直させる。
ジーグは振り返り、閉ざされた扉に油断無く近づくと
凝った意匠のドアの取っ手を握り力を込めた。

「閉じている・・・。」
ジーグは『開かない』とは言わなかった。『鍵を掛けられた』とも。
おかしな感覚だった。
取っ手はピクリとも動かなかった。
鍵が掛けられていると言う感じでは無い。
表から抑えているのとも違う。
扉全体がそこに塗りこめられたとでも言うように、力任せに引いても揺れもしないのだ。
まるで壁に描かれた扉を相手にしているようだった。
ジーグの力にもカタリとも鳴らない扉を、不安そうに見つめていた耕太は
首筋に何か冷たいものでも触れたような、ゾクリと背筋を走る悪寒に
反射的に背後を振り返った。

何も無い空間に、人間の手が一本浮いていた。

虚空から生えたような男の物と思われる手は、ゆっくりと指を蠢かせながら
耕太へ向かって差し伸べられる。
「ぅわぁ!!キモチ悪!!
 止めてよ、こういうの苦手なんだってば!!」
耕太は慌てて後退り、手から離れると
転びそうになりながらジーグの元へと駈け寄り、その背後へと隠れた。
その間に、他の場所にも空気の中から生えるように、人の指が現れ
すぐに掌が、腕が後に続く
4本・・・10本・・・
腕はそのまま肩へと続き、頭が現れ上半身が現れると
歩み出るように右足が、そして左足が踏み出し
まるで見えない幕の向こう側から、こちらに歩みだしたかのように
人間が姿を現した。

その数、13人。
「狂戦士・・・か?」
中年の男、痩せた若い男、立派な髭をたくわえた初老の男・・・
皆、ありふれた町民風の格好をしており、武器らしき物は帯びていない。
内2人は片やでっぷりと太った、片や若く美しい女性だったが
そんな事は何の慰めにもならなかった。
男たちの何人かの手に、鎖の付いた枷が嵌められているのを見て取りジーグが呟く。
「あの檻に入れられていたのは、こいつ等か?」

みな一様に青白い顔をし、その顔には何の感情も、意思も、浮かんではいない。
死んだ魚のように濁った目でぼんやりと虚空を見上げ
2人を取り囲むように半円形に並び
青い光の射す部屋の中に、ただ立ち尽くしている。
それが何とも不気味だ。

だらしなく開かれた口の端からゆっくりと、涎が筋を引いて落ちてゆく。
耕太はジーグの背に縋りつきながら、その光景を恐怖に身を竦めて見つめていた。
この感じには覚えが有る。

少女に導かれた洞窟の奥で
地を這いにじり寄って来る、あの化け物
人為的に作られたと言う、精霊術師。

「ジーグ・・・・・やばいよ、これ。」
震える声が終わらない内に、取り囲む男たちがまるで示し合わせたように
一斉に一歩を踏み出した。
ジーグは耕太を壁際に押しやり、剣を抜き放つと一番近い距離に居る右端の男の肩から胸にかけてを切り下ろした。
ぐずりとした感触が刃を通して伝わって来た。
まるで、泥の詰まった麻袋を断ち切ったかのように、男の身体は断たれた傷からドロリと崩れ、白い床の上に広がった。
「何だ・・・一体。」
剣を引き、床に広がった男の体だった物に触れないよう、慌てて退きながらジーグが呻く。
「同じだ・・・あの時と!あの洞窟のと同じだよ!!
 それ、人に作られた術師だ!!」
その言葉を肯定するように、崩れた男の体の表面に赤く複雑な文様が浮かぶ。
それに呼応するように、ゆっくりと包囲の輪を詰める男達の体にも
赤く浮かび上がった文様が、妖しい光りを放ち蒼い部屋を不吉に赤く染める。
床の上に広がった泥水のような男の体を掻き分けるように
突然伸び上がった人間の掌を中心に、黒いもやのようなモノがかかり
ゆっくりと渦を巻き、室内に微かな風が起こり始める。

「コータ、テレストラートに変われ!」
鋭く発せられたジーグの声に応じるように、背後に立つ気配が全く別のものに変わる。
小さく紡がれ始めた意味を理解する事の出来ない、美しい旋律のような言葉が
不意に途切れ、背後から息を呑む気配がジーグの背に伝わって来る。
不審に思い振り返ったジーグの視線の先で
テレストラートは蒼白な顔で眼を見開き
驚愕に・・・それとも恐怖にだろうか、表情を凍りつかせ
前方の一点を見つめている。
その体が小刻みに震えているのが、離れた此処からでもはっきりと見て取れた。
テレストラートの視線の先を追い、ジーグが眼にしたのは異様な存在感を示す
あの竜の彫像。

鈍く光る金属質の石と、透明感の有る青い石で形作られた伝説の生物。
その腕に抱かれる青い石で形作られた卵が、淡く光を放っている様に思えた。
その存在にジーグは既視感を刺激される気がした。
「まさか・・・」
喉から漏れた声は、掠れていた。
「コータ・・・コータ、コータ!!出て来い!今すぐ、テレストラートと変われ!!」
ただ事ではないジーグの叫び声に、体の主導権を渡したばかりの耕太が再び表に現れる。
「一体何だよ!?オレ何の役にも立たないよ!」
「精霊喰いだ!」
「え・・・?」
言われた言葉の意味が、咄嗟には理解できぬまま
ジーグの指し示す先に有る大きな竜の彫像を目にして、その言葉と過去の記憶が結びつく。

精霊喰い。

精霊術師を無力化するためにイオクが作り出した、呪具。
精霊術師が触れると、その体内に宿る精霊を喰らい急激に成長してゆく。
その変化は術師の力を喰らい尽くすまで止まらず、術師の力が大きければ大きいほど変化は激しいと言う。
戦場で殆んど呪具に飲み込まれていた、白い術師の死に顔を思い出す。
腕をせり上がる呪具に、恐怖の声を上げたカナトの顔も・・・。
あれは小さな何の変哲も無い腕輪だった。
「嘘・だろ・・・あんなデカイ、あれが・・・。」
身の丈ほども有る彫像。
そして此処にいるのは、ガーセン最強の精霊術師だ。
あれがテレストラートに反応したらどうなるのかなんて、怖くて考えるのも嫌だ。
体中から血の気が引いてゆくような恐怖
これはテレストラートが感じている恐れ。
あのテレストラートがこんなに何かを恐れた事なんて、一度も無かった。
「絶対テレストラートを表に出すなよ!!」
「分かってる!」
どういう仕組みか、耕太では精霊喰いは発動しない。
同じ理由でか、耕太は精霊術を使う事は出来ない。

耕太をその背に庇いながら、ジーグは何とか包囲網を突破するべく
取り囲む男達を攻撃してゆく。
切りつけては形を変えるだけと、押しのけるように剣の腹で払うが
その力だけで剣は体にめり込み、ドロドロと絡み付いて動きを封じようとする。
鋭く舌打ちをすると、ジーグは鋭い動きで剣を体から引き抜くと
耕太を片手で抱え、床に広がる人間だったものの上を飛び越え
そのまま窓へと走った。

「部屋から出ろ!」
耕太を下ろし鋭く指示すると、彼らを追って、ゆっくりと方向を変える男達に視線を戻す。
耕太は素早く窓の鍵を外し、手をかけると力いっぱい押し開こうとした
しかし鍵は簡単に外れたと言うのに、窓は開かない。
念のために内側に引いてもみたが、結果は変らない。
「開かない!!ジーグ、開かない!」
「ぶち破れ!」
ジーグの指示に周囲を見回し、手近にあった椅子を掴むと窓に投げつけた。
しかし、椅子は窓に当ると呆気なく跳ね返って床に落ちる。
耕太はその椅子をもう一度拾い、今度はしっかりと手に持ったまま
硝子の窓に力を込めて叩き付けた。
粉々に砕け散ったのは、頑丈そうな椅子の方だった。
「うそ・・・強化硝子・・・?なモノ有るわけ無いのに・・・。」
椅子は粉々に砕け散ったと言うのに、硝子のはめ込まれた窓にはヒビどころか
傷1つ付いてはいない。
「駄目だ、ジーグ・・・開かない。出られないよ!」
「退いてろ。」
ジーグが窓に向き直り、手にした大剣を振り上げ渾身の力でぶつける。
耕太には持ち上げる事も困難な程に重い刀の
人の体など容易く二つに引き裂くジーグの渾身の一太刀が弾かれ、虚空に蒼い火花が散る。
「な・・・んで・・・。」
その様子を間近から見ていた耕太は呆然と呟いた。
ジーグの大剣は、窓に触れてもいなかった。
触れる寸前、何か見えない壁でも存在するかのように、弾かれたのがはっきり見えてしまった。
「・・・出られない。」
絶望に打ちひしがれて立ち尽くす耕太の腕を、ジーグが掴んで窓の方に乱暴に押しやる。
驚いて反射的に振り向いた耕太の目に映ったのは
耕太を捕まえようと白い手を伸ばす、若い女の人形のような無表情だった。
いや、人形の方がはるかに人間らしい表情だろう。
虚ろな目は今や、その体に浮かぶ紋様と同じく
鈍い赤い光りを放っており、すでにそれはもう、人間には見えなかった。

左手で耕太を女の手から遠ざけながら、ジーグはなんの躊躇いも無く女の細い腰を断ち切る。
そこからずるりと崩れるのと同時に、突如沸き上がった突風がジーグ目掛けて吹きつける。
風は鋭い刃となってジーグの皮膚を裂き、血の匂いが風に漂う。
取り囲む者達の殆んどは、既に人の形を成してはいない。
崩れ落ち、混ざり合い、数も、正体も分からない物体へと成り下がり
床を覆いつくして、ジワジワと2人を追い詰めて行く。

ジーグは鋭く罵り声を上げた。
罵りたいのは自分自身だ。
怒りに突き動かされ、敵を侮り、不用意に敵の手中に飛び込んで
耕太とテレストラートを危険に曝している。
いつも、自分は肝心な所で選択を誤るのだ。
何が有っても守ると言った自分が、切りつける事の出来ない相手に手も足も出ない。
床を這うバケモノ達は、先程から呻き声のようなモノを上げ始めている
それに呼応するように、模様が妖しく色を強めている
耕太は人為的に作られた精霊術師だと言った。
ならば、次に来るのは術による攻撃だろう、それを防ぐ術は術しか無い
しかし、テレストラートが術を使えば精霊喰いが発動するだろう
八方塞だ。
何とか、何とか道を開かなければ。こんな所で2人を死なせる訳には行かない。

ジーグが幾ら切り裂いても、バケモノの体は直ぐに戻ってしまう。
ジーグの反対から床を這い、回り込んだバケモノから逃れ
耕太は窓枠によじ登ったが、まさかこれで難を逃れられる程甘くは無いだろう。
現にジーグは風の刃に切られて血まみれなのだ。
こちらは精霊術を使えないのに、向こうは術を使えるなんてインチキだ!

バケモノたちは明らかにジーグではなく耕太の方を標的として狙っているような動きを見せる。
ジーグの放つ凄まじい殺気は感じるようで、避けている様子が見受けられるのだが
実際に打撃を与える攻撃を仕掛ける事が出来る訳ではなく、忌避して避けている程度で
押し留める事は出来ていない。

ジーグの隙をついては耕太を捉えようと伺っている、ドロドロとした物体を前に
耕太は必死で考えを巡らせた。
あの時、バケモノを退治したのはテレストラートの放った炎
けれど、その前にあのバケモノは確かに松明の火も恐がっていた。
火!火だ!何処かに火を・・・
巡らした視線の先に壁に備え付けられた燭台が跳び込んできた。
三叉の支えの上には3本の蝋燭が頼りないながらも炎を揺らめかせている。
「ジーグ、火!そいつら火を嫌う!」
叫んで耕太は窓枠の上で伸び上がり手を伸ばすと、一番こちら側の蝋燭を掴み取った。
「やった!!」
耕太は蝋燭を落とさないように慎重に引き寄せると
小さな火を消さないように注意しながら、手早く脱いだコートにその火を押し付け
炎を移そうとした。
燃えるコートをバケモノたち目掛けて、投げつけてやるつもりだった。
弱々しい火は消えることは無かったが、厚手の布には中々火が移らない。
「クソッ、点け・・・点け、点けよ・・・早く!!」
しかし耕太は不審な点に気が付いた。
火がつかないだけではない、こげ跡一つ付いていないのだ。
不審に思い揺れる炎にそっと手をかざす。
「何・・・これ・・・」
炎は熱を持っていなかった。
まるで炎の映像を写しているかのように、そこで弱い光を放つだけで
触れた指先を焼きはしない。
「本物じゃない・・・駄目だ!・・・クソッ!!」
耕太は役に立たない蝋燭を、腹立ち紛れにバケモノに投げつけるが
やはり何の効果も起きはしない。
「耕太、テレストラートの短剣をよこせ!精霊の加護を付加してあるかもしれない。」
言われて慌てて取り出し、投げた短剣は清廉な青い光を纏っていた。
ジーグはそれを受け取ると、そのまま1動作で短剣を床に広がるバケモノに突き刺した。
この世の物とは思えない、凄まじい絶叫を上げ
短剣を突き刺されたバケモノが、一瞬で燃え上がる。
「やった!」
「駄目だ、長くは持たん!」
歓声を上げた耕太とは逆に、ジーグは苦々しい声で告げる。
その言葉を肯定するように、素早く引き抜かれた美しい短剣は
その刀身に纏う青い光を、引き剥がされる様に徐々に失いつつある。
その光の流れる先に有るのは、巨大な呪具。
ジーグの手の中の短剣は、何かを訴えかけるようにカタカタと刃を鳴らしている。
「これで窓を破る、耕太下がれ!」
言って投げつけるように大きく振りかぶったジーグの腕に、まだ辛うじて人の形を保っていた数体が縋りついた。
先ほどの攻撃により、ジーグも障害物から標的へと認定されてしまったらしい。
ジーグは纏わり付く体に蹴りを入れ、短剣をその手に握ったまま無表情な顔面に拳を叩き込む。
鋭い蹴りは男の体を弾き飛ばす事は無く、その体を突き抜け
叩き込まれた拳に、呪われた体は浄化の炎で焼かれながらもジーグの体を離そうとはしない。
「ジーグ!!」
バケモノ達の体を覆う赤い紋様が、その輝きを増し
風の刃が空を裂き流れる様が、光りの軌跡として耕太の目にも、はっきりと見えた。
「・・・・・・・っ!!」
嫌な音がした。
肉を断ち切る音。

信じられない程の大量の血が、滴り落ち
ジーグがバケモノのわだかまる床の上へと崩れるように膝をつく。
「ジーグ!!!」
叫びと共に身の内から激しい感情が押し上げて来る
怒り、驚愕、悲しみ・・・それらがゴッチャになったような
激情としか表現しようの無いもの。
それが、恐怖も状況も耕太自身も押しのけて噴き出そうとしている。
これはテレストラート。
耕太は自分の体を抱きしめ、噴き上がる激情を押さえ込もうと必死に声を張り上げる。
「駄目、駄目だ!テレストラート、駄目!!」
耕太の切羽詰った声に、状況を察したジーグが断ち切られた肩の傷みも忘れ怒鳴る。
「馬鹿!止めろ!!テレストラート」
振り向いた視線の先で、立ち尽くすテレストラートの体が蒼い燐光を纏い
視界の隅で竜の彫像が、不気味に脈打った気がした。

(2007.08.25)
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