ACT:45 誘


呟いた声は震えていた。
栗色の髪にハシバミ色の大きな瞳。
優しげで、儚げな美しい少女。
しかし、それは今、耕太にとって恐怖の対象でしかない。
「ティティーさま。」
愛しい者の名を呼ぶように、手を差し伸べ
タウは切なげに声を震わせた。
名を呼ばれた耕太はと言えば、傍から見てもそれと分かるほど盛大に顔を引きつらせた。

信じられない事にタウは、耕太を目にすると嬉しげに瞳を潤ませ駆け寄ろうとする。
まるで、あの洞窟での一件など全く無かったとでも言うかの様に。

そりゃあ、オレは女の子に弱いって自覚は有る。
タウはオレの好み、ど・ストライクで、そんな彼女に好意を寄せられて有頂天だったし
彼女の事、本気で好きだった。
しかし、いくらオレでも甘い言葉で騙して誘い出した上に
崖の上から化け物の前へと突き落とし、実に楽しそうに哄笑していた彼女に
何を言われたって、信じる事なんて2度と有りえない!

「近寄るな!」
鋭く発した声は耕太自信、こんな声が出せるのかと驚いた程
あからさまな敵意と嫌悪を孕んでいた。

オレって自分で思っていた以上に傷付いてたのかも・・・。

「ティティーさま・・・」
その声に打たれた様にタウは震え、その瞳が悲しみに彩られる。
その大きな瞳に涙がみるみる溢れ出し、頬を伝って零れ落ちる。
「ごめんなさい・・・ごめんなさい、私・・・知らなかったんです。」

知らなかったって、何を?
人に嘘をついたらいけない事とか?
人を突き落としちゃいけない事とか?
化け物に人を襲わせたらいけない事とか?
そうだね。化け物なんて、そう居ないから知らなくっても・・・って、そんなハズ有るか!!
あまりの急激な状況変化による緊張と恐怖は、耕太の思考の許容量を軽く超え
耕太は自分でも場違いだと思うようなノリツッコミを頭の中で展開していた。
茶化しでもしないと、神経が切れそうだ。

「本当に、ごめんなさい・・・あんな事をしておいて、私・・・
騙されていたんです。
ガーセンが大陸の統一を狙って大きな戦を起そうとしていると・・・」
彼女の白い頬を大粒の涙がこぼれ落ちて行く。
「今のうちに止めなければ、沢山の人が死ぬって・・・私が愚かでした・・・」
弱々しい細い肩が、固く握られた小さな白い手が
彼女の心を表すように小さく震えている。
「何も、知らなかったのです・・・言われて・・・それが本当の事だと信じて・・・
イオクがこんなに人を殺しているなんて、知りもせずに・・・」
信じるな、耳を貸すな。耕太は自分に言い聞かせる。
「私、怖くなって、逃げようと・・・でも・・・」
切々と訴える少女の姿に胸が痛む。
「タウ・・・」
「本当に・・・ティティーさまがご無事でよかった・・・」
涙に濡れた顔で、少女は微かに笑い
すぐに涙に流れるようにその笑顔が崩れ落ちる。
「私、とんでもない事を・・・。」

この少女が本当に自分を陥れたりしたろうか?
あの時、あそこは暗かったし
オレは混乱していたし
酷いショックで、記憶が大げさに書き換えられてたりしてないか?
だって・・・こんな・・・
「私、ティティーさまに、会わせる顔がありません・・・。」
タウは耕太を見るのが耐えられないと言わんばかりに、顔を覆って泣く。
「どうか・・・どうか、私を罰してください。」
消えてしまいたいとでも言うように、小さく身をすくめ震える少女に
耕太の胸は激しく震えた。
「タウ・・。誰にだって過ちは有るよ。
でも、気が付いたんだからやり直せる。」
「ティティーさま・・・いいえ・・・私は・・・」
「タウ、君が悪いんじゃない。君が悪いんじゃないよ。」
思わず耕太はタウの方へ足を1歩踏み出していた。
「ティティーさま・・・」
タウが涙に濡れた瞳で見上げてくる。
柔らかな頬のライン。微かに震える小さな唇。
甘く匂い立つような可憐な少女。
「私を、許してくださいますの・・・?」
「うん・・・。」
自分の答える声を、耕太は他人事ように遠くで聞いた。
「嬉しい・・・。」
甘い微笑み、甘い香り、滴るように甘い愛しい少女。
「私、王の居場所を知っています。ご案内しますわ
ティティーさま、一緒に参りましょう。」
「本当!?でも・・・。」

何だろう・・・何か忘れてる気がする。
頭に霞がかかった様に、考えが上手くまとまらない。
王様、そう敵の王を探しに、ここに来たんだ。
探して・・・探してどうする?オレが?そうじゃなくって探していたのはガーセンの兵達
テレストラート。そして
「ジーグ・・・。ジーグを呼ばないと・・・。」
途端にタウの顔が曇る。
「ジーグさま・・・ジーグさまは私をお許しにはなりませんわ。
 私、手打ちにされてしまいます・・・ティティーさま、どうか・・・。」
「そんな事ないよ。ああ見えてジーグは結構、人が良いんだ。
女の子を切ったりなんか、絶対しない。」
「いいえ、私のした事は、決して許されるような事ではありません・・・
手打ちにされても・・・それも、仕方がない事です・・・。」
「タウ・・・大丈夫。オレが守るよ。」
「ティティーさま・・・。」
彼女に名を呼ばれる度に、愛しさに頭がクラクラする。
彼女から漂う、甘い香りに・・・。

「では、ジーグさまを探してから、王の元へ参りましょう。
ティティーさま。私と一緒に。」

何かまた、大事な事を忘れているような気がするけれど、思い出せない。
甘い香り、甘い声。
それが全てで、それ以外
どうでも良い事のように思えた。
「ティティーさま、さあ・・・。」
差し伸べられた手に、引き寄せられるように耕太の手が上がる。

「そこまでだ。」
底冷えするような声と共に突然、首に当てられた剣にタウが息を呑み、身体を硬直させる。
「・・・ジーグ?」
ぼんやりと名を口にする耕太にチラリと視線を向け
尋常ではないその様子にかすかに眉をしかめる。
霞がかかったような甘い世界に突然現れたジーグに
耕太は混乱してぼんやりと事態をただ見詰めていた。

「ティティーさま・・・」
助けを求めて縋るように名を呼んだタウに向けて、ジーグが唸るように低く告げる。
「その汚らわしい口でその名を呼ぶな。」
その声の余りの冷たさに、言われたタウよりも耕太が打たれたように
頭がハッキリして状況が飲み込めてくる。
「ジーグ。」
「耕太、下がれ。この女から離れろ。」
タウが首に刃を押し付けられたまま、クスクスと笑い始める。
「何がおかしい?」
「いいえ、大した忠誠ぶりだと思いまして。
 ティティーさまに夢中なあなたでは、"魅了"の術もきかないのでしょうね。
残念ですわ、もう少しで可愛らしい死体をあの方への手土産に出来ましたのに。」
笑顔で口にする言葉の内容の物騒さに、耕太が目を見開く。
「それは悪い事をしたな。代わりにお前の死体をお前の主に送りつけてやろう。」
その言葉にタウは再び可笑しくてたまらないと言うように、鈴を転がすような可憐な笑い声を立てる。
「まあ、武器も無く無抵抗の女を殺めるおつもり?
 お美しい矜持をお持ちのガーセンの戦士様に、そんな事がお出来になって?」
自分がこの場で死ぬ事など有りえないと、まったく疑ってもいない口調でタウは挑発する様に言い放つ。
それに対し、ジーグは苛立つでも、怒るでも無く
事実確認をするような、平坦な声で尋ねる。

「俺が女を殺せないとでも?」
その時ジーグの顔に浮かんだ表情に、耕太は背筋が凍る思いがした。
「生憎と戦士の誇りなど、とうの昔に潰え果てた。
 俺のものに2度も手を出そうとした者を見逃せるほど、俺の心は広くない。」
底冷えのする様な光を眼に湛えながら、口の両端は笑みを形作るように微かに上がっている。
耕太の身動きさえ封じるほどに、吹き付けて来るのは明らかな殺気だ。
始終余裕を見せていたタウの表情が初めて微かに強張り、青ざめるのが見て取れた。
『こ・・・怖ええ〜〜〜〜〜』
タウは確実に殺される。
たとえ、どんなに性格に問題が有り、自分を騙し、殺そうとした相手とはいえ
見かけはか弱く可憐な美少女だ。
その彼女が無残にも首を落とされ惨殺されるのは、あまりにも・・・可哀想・・・
と、言うより・・・自分の平凡な精神の安定の為に見せるのは、是非止めてほしい・・・。
そうは思っても、目の前で壮絶な笑顔を浮かべるジーグに意見の変更を求めるべく
言葉を掛ける勇気は、これっぽっちも湧いて出なかった。

『こ〜わ〜い〜よ〜誰か、助けて〜〜〜〜』

ジーグに背を向け凍りついた様に立ち尽くし
タウは蒼白な顔で唇を震わせている。
ここに来て、やっと自分の現状を把握したものか
色を無くした唇が、何度か音も無く動かされる。
声にならないそれは、助けを求めるものか、それとも祈りの言葉だろうか。

気配は無かった。
しかし、戦場を生き抜いて来たジーグの感覚が僅かな空気の動きを察知した。
頭で考えるよりも早く、体が反応する。
突然ジーグの背後に湧き上がった人影が、手にした剣を彼の頭部目掛け振り下ろした。
「ジーグ!!」
耕太が声を発した時には、ジーグは背後の人物を一刀の元に切り伏せていた。
一瞬の隙を突いてジーグの呪縛を逃れたタウが、耕太の脇をすりぬけ素早く部屋の奥へと逃れる。
「待て!」
追おうとしたジーグに切り伏せられた筈の男が、不自然な動きで立ち上がり
再び攻撃を仕掛けて来る。
更にその背後にもう1人、一体どこから現れたのか
空間から生まれ出たとしか思えない男が
感情も殺気も窺わせない、凪いだような無表情で手にした剣を振り上げた。

「狂戦士か!」
しかしジーグは慌てる事無く、手足を落とし確実にその動きを封じて行く
部屋の奥へと逃げながら、確認するように振り返ったタウは
一瞬で2人の男を切り倒したジーグを目にして忌々しげに舌打ちをする。

タウは走り出ようとしていた扉の前で急に方向を変えると
部屋の別方向に有る扉を目指して走り、体当たりするようにして扉を開けると中に滑り込んだ。
ジーグがその後を追い、耕太も慌てて後に続いた。

そこは広い空間だった。
天井には明り取りの為の大きな窓が設けられ、そこにはめ込まれた色ガラスを通った光が
部屋の中を幻想的な青に染め上げていた。
「何処に行った?」
がらんと広い部屋の中に、タウの姿は見えない。
部屋の中には幾つかの椅子と、奥に大きな石の彫刻が置かれている
それは羽根を広げた飛竜を模った物で、青い石で形作られた卵を守る様に抱いている。
その大きさは人の身の丈程も有り、その見事な細工は今にも動き出しそうで
美しさよりも不気味さを感じさせる。

それだけだった。他には何一つ無い。
だが、ジーグの緊張と殺気が急激に張り詰めて行くのを耕太は感じた。
「・・・ジーグ」
場の空気に耐えられなくなった耕太が、ジーグの背に呼びかける。
「耕太。俺の側を離れるな。」

(2007.08.18)
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