ACT:44 突入 


ニンゲに隣接するガーセンのベリル領までは、フロスから馬を飛ばして2日。
ベリル領からニンゲ内の王の滞在する館までは半日の距離である。
ニンゲの国土にガーセンの部隊を侵入させる事になるが、そんな事は後で如何様にも処理出来る。
よしんばニンゲとの間で国際問題になり、戦争に発展したとしても、これを機に叩いてしまえば良いだけの事だ。
おそらく、ニンゲ側はガーセンの与える餌を受け取り、その様な事態には発展しないであろうが。


「うわぁ、うわぁ・・・すごい。お洒落な別荘って感じ?」
場の緊張にそぐわない、能天気な感想にジーグが肩を落とす。

移動中の2日間と突入の時を待ち待機中のこの時間、身体を預かっているのは耕太だ。
馬で走り詰めの2日間は、尻が痛いの、背中が凝るの、文句の言い通しだった耕太だが
今は奇襲直前の緊張した空気に、「スパイ大作戦みたいだ、格好良い。」と、妙な感想を述べ上機嫌である。
日の出前の、薄明かりの中に浮かび上がる建物は耕太の感想通り
白い石材で立てられた瀟洒な物で、庭と広がる原野の境がはっきりとは区切られておらず
開放感が有り、有力商人の別邸と言った趣だ。
その印象の通り、外側からの侵入には無防備で、警備を敷くのも難しい。
敷地内には、ニンゲ側から派遣されたと思しき兵たちが複数見受けられたが
実際警備は穴だらけだ。

昨日の午後遅く、ベリル領に着いたジーグ達は簡単な状況説明を受け、すぐニンゲに向かった。
先行していたベリル領の私有軍の精鋭部隊と国境付近で合流し
ニンゲ側の情報提供者も交えて状況確認と、作戦の計画をつめる。
その時テレストラートが、館に精霊を飛ばし一度探りを入れたが
館及びその周辺に精霊を使った痕跡は無いと言う。
精霊術師が居ることを警戒し、その場ではそれ以上の探りは入れなかったが
一先ず張り巡らされた罠に飛び込んで行く羽目にだけはならないで済みそうだ。

夜のうちに闇に乗じて、館近くの森まで移動する。

闇に紛れての襲撃の方が、敵の目を欺きやすいだろうが
王の居場所が不明な為、部隊を幾つかに分割し、手分けをして探すしかない。
混乱の中、闇の中でかち合った見方同士が殺しあうのを避けるためにも
兵士の殆んどが眠り、夜番も気を抜いている日の出直前に決行と決め
四方から別経路で進入を試みるべく、闇の中へ散開し持ち場で夜明けの訪れを待った。
暗闇の中、夜明けの気配を感じた鳥達が朝の訪れを告げ始める。
闇の濃度が次第に薄まってゆき、館の輪郭が次第にはっきりとし始めた。

「夜明けが来る。そろそろ、テレストラートに変われ。」
場違いにはしゃぐ耕太にジーグが静かに告げる。
現れたテレストラートは、精霊に命じて再び館を探り始めた。
「館内に精霊術師はいないですね。防御結界も張られていません・・・。」
精霊術師はその体内に精霊を宿して居る為、精霊の居場所を確認する事でその存在を探る事が出来る。
館内に上位の精霊、及び不自然な精霊の集合体は無く精霊術師の存在は認められなかった
しかし・・・。
「どうした?」
不自然に言葉を切ったテレストラートに、ジーグが問いかける。
テレストラートは自分の違和感の原因を、頭の中で検討する。
館の中の精霊が異様に少ないのだ。
自然界には磁場の関係や、汚れた土地など精霊の少ない場所も存在する。
しかし、自然に囲まれたこの館の中で、どこにでも居るはずの精霊がここまで数を減らしているのは、一体どうしてだろう?
精霊に問いかけても、あやふやな事を言うだけで原因を言明しようとはしない。
だが、精霊が少ないこと自体は人間には特に害が有る訳ではないし
精霊が館の中に全く存在して居なくとも、テレストラートは自分の身に宿る精霊を使って十分に術を行使する事が出来る。
体に負担がかかる事は否めないが、戦の流れを変え得るこの局面でそんな事は言ってはいられない。
「特に問題は無いようですが、イオクは不可解な術を使います。
予定通り各部隊に風霊を付けます。何か不測の事態が起きれば知らせが来ますので、その都度対応して行きましょう。」

朝を告げる小鳥達の声に紛れて、雄鶏の声が長く尾を引いて響き渡る
それを合図に、各部隊は一斉に庭を超え、静かに突入を開始した。


ジーグとテレストラート、そして術師を守る役目を与えられた5人の兵は、王探索には加わらず
適当な部屋を占拠すると守りを固め、万が一術による妨害が有った時の為にそなえ、待機する。
遠く、混乱と戦いの気配が伝わる中、ジーグは厳しい眼で虚空を睨んでいる。
「ジーグ、戦いに出たいですか?」
テレストラートが静かに問いかける。
ジーグが戦いの中でこそ、最も輝き、生きがいを感じる事を知っている。
「いや。」
しかし、ジーグは視線をテレストラートに戻し、何の迷いも無い表情で言い放つ。
「俺はお前の側にいる。決して離れはしない。」
その言葉にテレストラートの瞳が揺れる。そして開いた唇から漏れた言葉は
「こんな所で、口説いてんじゃね〜よ。スケベ。」
「!!コータ?」
「声が大きいよ、周りに変に思われるだろ?」
「一体なんでこんな時に出てくる。」
ジーグの問いかけに耕太自身、不思議そうに首をひねる。
「知らない。別に出てくるつもりじゃなかったし・・・。」
ジーグに聞かせるつもりでは無かった、心の中でのツッコミを聞かせてしまった形になり
耕太は気まずそうに肩を竦める。
「すみません・・・"仕切り"が少し緩んでいるようです。
こんなに簡単に入れ代ってしまうなんて・・・。
ちょっと緊張しているのかもしれません。」
その一瞬後にはテレストラートに戻り、小さな声で詫びて来る。
「大丈夫なのか?」
その戸惑った様子にジーグは確認する口調で問う
少数精鋭での作戦行動の只中で、テレストラートに不安要素が有れば作戦の成否に関わってくる可能性が大きい。
放置しておいて良い問題ではない。
「問題有りません。大丈夫です。」
それを自覚しているであろうテレストラートは、しかし、はっきりとした声で答えた。

その時、突然沸いた人の気配と、扉の外に見張りとして立たせた兵の誰何の声に
俄かに場の空気が緊張する。
兵の見張る廊下に走りこんで来たのは、揃いのお仕着せを着た数人の使用人らしき女達だった。
突然の屋敷への襲撃に驚き、ここまで逃れて来たものだろう。
その先で、当の侵入者に出くわしてしまった女たちは、恐慌状態に陥っていた。
けたたましい悲鳴を上げ、その場に座り込む者も出る。

部屋の外の騒ぎに、ジーグはテレストラートに部屋の中央に居るようにと指示すると
入り口の兵に声をかけた。
「どうした?」
「使用人のようです。」
チラリと廊下の先の女達に目をやると、その場から声を掛ける。
「お前たちに危害を加えるつもりはない、この屋敷から立ち去れ。」
ジーグの声に女たちは弾かれたように、踵をかえすと反対方向に走り去った。
だが、1人の女が完全に腰が抜けてしまったようで、恐怖に彩られた目を見開きその場から動こうとしない。
見捨てられずに残ったもう1人の女が、何とか連れて逃げようとその腕を必死で引っ張っている。
その様子に、ジーグは溜息を付き
「あんな所に居られては邪魔だ。外に連れ出してやれ。」
言って、部屋の中へと引き返して来た。
「問題ない。使用人の女達が・・・・・」
ジーグが状況を説明しようとしたその時
廊下から女の叫び声と争う気配が伝わって来た。


ジーグが慌てて踵を返す、テレストラートも後を追い廊下を覗き込んだ。
廊下の端で、女と兵士がもみ合っている。
既に逆方向を見張っていた兵が、もみ合う2人の元に駆け寄っていた。
「テレストラート、そこにいろ。」
言い置いてジーグは現場へと向かいながら、持ち場を離れようとするほかの3人の兵に鋭い声で指示を出す。
「カサイ、ルツ、はその場で待機。ミンツ術師を護れ。」
駆けつけるとジーグは何のためらいも無く、兵ともみ合う女の首に手刀を叩き込む。
意識を失い倒れ込む女を見て、残ったもう1人の女がけたたましい叫び声を上げた。
それには構わず、ジーグは崩れるように膝をついた兵の様子を見る。
「エナ、大丈夫か?」
「すみません・・・油断しました。」
兵の左足の腿には短刀が深く刺さっており、足から生えた柄を中心に赤黒いしみがジワジワと広がっている。
立ち上がらせる為に、兵が腕を掴んだ事で女が恐慌状態に陥り
護身用に隠し持っていた短剣で刺したのだ。
「抜くな、出血が酷くなる。立てそうか?」
状況が収まったのを確認して、テレストラートが駆け寄って来る。
「傷を見せて下さい。」
「テレストラート。」
テレストラートが兵の傷を治そうとするのではないかと、ジーグが戒めるように名を呼ぶ
それを制する様にチラリと視線送るとテレストラートは兵の傷に手を伸ばした。
「大丈夫、止血します。剣を抜いて下さい。」
テレストラートは水霊に命じて出血を抑える
ジーグは指示通りに素早く短剣を引き抜いた。
兵が低く呻き声を上げたが、傷口からのそれ以上の出血は無かった。
「ごめんなさい、今は治してはあげられない。」
傷口を覆うように手早く布を巻きつけながら、テレストラートは小さく詫びた。
兵の傷を癒す事は出来る。
だが体力を著しく消耗するヒールを今使う事は、何が起こるか分からないこの状況では
たとえ兵力が落ちる事になろうとも避けたい。

「ワイト、エナと女を連れて戦線を離れろ。決っして油断するなよ。
女、抵抗しなければ危害は加えない。
お前の仲間は外まで運んでやる。大人しくこの場を去れ。」
立ち尽くす女が頷くのを確認し
ワイトが気絶した女を肩に担ぎ、負傷したエナを支えながら立ち去るのを目で追いながら残る兵たちに指示を出す。
「場所を移動する、火の手が上がっている。」
ジーグの言葉通り、辺りは何となく煙った感じできな臭い。
火の出所はそう近くは無いようだが、早めに対応しておいた方が良いだろう。
「テレストラートこっちへ来い。俺の傍を決して離れるなよ。」
テレストラートは素直に従いジーグの側に着く。その横顔がどこか緊張しているようだ。「大丈夫だ。」
安心させるように軽く肩に触れると、一向は警戒しながら再び移動を始めた。
その様子をテレストラートの中で伺いながら耕太は
この美しい館が紛う事無き戦場なんだと言う事実を改めて噛み締めていた。


屋敷内を移動する内、何度か人間に遭遇した。
その殆どは逃げ惑う使用人達で、身分の高そうな者や味方の兵たちには一度も会わなかった。
数度か見かけた敵兵も、身を隠してやり過ごしたが1度出会い頭にぶつかってしまい
戦闘になった。
すぐに数人を切り伏せたが、応援の駆けつける音を聞き
長居は無用とその場を立ち去る。
走るうちにいつの間にか、カサイ、ルツ、ミンツの3人と逸れてしまった。

「ジーグ、皆が・・・」
「ああ、はぐれたな。」
テレストラートの声に、ジーグは事実だけを確認するように口にする。
おかしな事態だった。
多少混乱していたとは言え、訓練を受けた精鋭の兵士たちが3人とも
守れと命じられたテレストラートから離れ姿を消してしまうのは考えられない。
まるで空気に溶けでもしたかのように、気付いた時には消えていた。
それに突入してから既に1時あまり。
王を捕らえ建物を征圧した合図に、鳴らされる筈の呼笛は今だ確認できない。
万が一王を取り逃がしたとしても、この規模の建物、既に征圧が完了しても良い筈だ。
屋敷の中は先ほどから静まり返っている。

各部隊に見張りにつけ、異変を知らせて来る筈の風霊に動きは無い。
それでもテレストラートがどこか不安そうにしているのが、気になる。
虚空に視線を走らせているのは、常人には眼にすることの出来ない精霊の姿を追っているのだろうか。
「ティティー、何か気になるのか?」
「・・・・・精霊が、居ないんです。」
「どう言う事だ?」
「この建物の中には、本来居るはずの精霊たちが全くいません。」
「それは、問題なのか?」
「・・・分かりません。ただ、とても不自然です。
他の隊に付けた風霊たちも何も言って来ませんし、後から確認の為に飛ばした風霊も、戻って来ない。」
ジーグの眼は精霊を捉える事は出来ないが、精霊とは何処にでも存在するありふれたものらしい。
テレストラートの様子からして、この事態はかなりおかしな物なのだろう。

このまま、様子を見るべきか。
それとも一度引くべきか。

虚空に視線を走らせていたテレストラートが左手の壁に視線を流す。
「ジーグ、あの壁。通路だと言っています。」
「隠し扉か。」
開けるべきだろうか?
中に敵がいた場合、テレストラートを守りきれるか?
建物の位置的に、ここに王がいるとは考え難い。
だが、そのまま放置するには気がかりな事も事実だ。
たとえ敵に攻撃されたとしても、自分はテレストラートだけを守りぬけば良い。
敵自体はテレストラートが排除できる。この建物の中に少なくとも術師は居ない。
彼の精霊術に対抗出来るものなど、有りはしないだろう。
ただ危険を回避しているだけでは、ここに来た意味がない。

周辺を探ると、壁に突き出した燭台が動く事が分かった
下に強く引くと壁の一部が奥に沈み、そのまま静かに横にスライドして壁にポッカリと大きな口が開いた。

中に人の気配は無い。
そこは広い部屋だった。完全な隠し部屋でも無いらしい。
部屋の向こう側には庭に面した窓が有り、そちらからの出入りは自由だ。
作りからして避難所と言うよりは家主が洒落で作った物だろう。
しかし、今その部屋に所狭しと置かれて居るのは大きな空の檻だった。
大型の獣を入れる為の、柵の幅も大きな金属製の檻。
今は空のその中には、鎖に繋がった枷がいくつか落ちていた。
輪を二つ連ねたような形のそれは、大型獣を繋ぐには細く、形も不自然だ。
「繋がれていたのは、人か・・・・?」
異様な光景にジーグは薄ら寒いものを感じた。
「ここには何も有りません、戻りましょう。」
テレストラートも何か不穏な物を感じたのか、ジーグを促すと先に立って元の部屋へと戻って行く。
テレストラートが隠し扉を潜り抜けた瞬間、ジーグの眼の前で行く手を阻むように扉が突然閉まった。
「ジーグ!?」
テレストラートが振り返り、あわてて壁の燭台に走るが
先程は簡単に引く事が出来た燭台が
全体重を掛けても、びくともしない。
慌てて扉に戻ると、壁に向かって声を掛ける。
「ジーグ、聞こえますか?」
「ああ、聞こえている。」
「無事ですか?」
「大丈夫だ。どうなっている?」
「分かりません、扉が開かない。壁を崩します、少し離れていて下さい。」
「待て、中にも仕掛けがある筈だ、探すから・・・・・。」
その時テレストラートは背後に人の気配を感じ慌てて振り返った。
丁度、部屋の前を通りかかったらしい少女が驚いた様子で足を止めこちらを見つめている。
彼女は1人きりの様だし、武器も携帯していない様子だ。
どう対応すべきか、テレストラートが一瞬迷っていると少女が信じられないと言った様子でつぶやいた。
「ティティーさま・・・?」

誰?
テレストラートはその少女に見覚えが無い。
少女は何の躊躇いもみせずに、部屋に足を踏み込んだ。
その途端、テレストラートの胸を恐怖が満たす
原因の分からないそれに戸惑い、テレストラートは小さく確認するように呟く。
「耕太?」
『・・・逃げて、逃げて、逃げて、逃げて!!!』
突然パニックを起こしたかのように内側で叫び出した耕太の感情に巻き込まれ
テレストラートは混乱する
身動きの取れなくなったテレストラートを、何とかここから動かそうとして
耕太は思わずテレストラートを押しのけて表へ出てしまった。
いきなり世界が現実感を増し、目前に迫る恐怖の対象に耕太自身、足が竦み動けなくなる。
「嘘・・・。」
目にした少女の愛らしい顔に、耕太は盛大に顔を引きつらせた。
「タウ・・・。」

(2007.08.16)
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