ACT:42 花


「はぁ〜空が青いなぁ・・・・・退屈。」
耕太は城の前庭に面したバルコニーに出て、ぼんやりと空を眺めている。
春の日差しは柔らかく、暖かで眠気をさそうような気持ちの良い午後だ。
空は晴れ渡り、薄く刷毛で刷いたような雲が風に吹かれて形を変えて行く。
その空の色も、雲の様子も耕太の生まれ育った世界の物と変わらない。

この世界に来てもうずいぶん立つ。
一日の長さやひと月の長さが同じなら、たぶん一年はたっているだろう。
行方不明がニュースになっても、もう世間からはすっかり忘れ去られている頃だ。
高校生の行方不明なんて、ニュースにもなっていないかもしれないけど。
オレいつのまにか18歳になっているのかな?
18になったら教習所に通って、車の免許を取るつもりだったのに
オレの平凡で幸せな人生設計は何処にいっちゃったんだろう・・・・・。

なんとなく寂しい気分になってきた。
やる事がないと、ろくな事を考えない。
ジーグはここの所、忙しくて耕太をかまってくれない。
ガーセンの同盟国であるテセオ皇国とユンゲがイオクとの停戦を望み
同盟からの離脱を申し出て来て、それに伴い他国の間にも迷いが見え、各国間の結束が揺らぎはじめている。
実際にイオクに国土を侵された国とそうでない他国との間でイオクに対する対応に明らかな温度差が有るのだ。
イオクの侵攻がこう着を見、その不気味な存在が影を潜め、恐怖心が薄まれば周辺国が警戒するのはガーセン自体。
多国同盟が崩れれば戦力が落ちるのみならず
それらの国がこの機に力を持ちすぎたガーセンを潰そうと敵に回る恐れも十分有る。
イオクの侵攻がこう着していると言っても、何も状況が変わった訳ではない
ガーセン側は同盟関係を維持すべく、その対応に追われている。

それでもジーグは朝と晩に様子見に顔を出して、ちゃんと喰ってるか?と栄養状態をチェックして帰る。
忙しいのにそんな事だけは欠かさない、ジーグの過保護さに呆れつつも
その短い逢瀬をなんとなく待っている自分にも呆れる。

ジーグはもちろん、ゼグスや他の術師たちも忙しくしていて
それでもゼグスなどは何かと気を遣って無理にも相手をしてくれようとするので
かえって心苦しくてこうやって1人、人目に付かないように時間を潰している事が多いのだ。
しかし、やる事が本当に何も無い。
1人で町に出る訳にもいかないし、本を読むにも、言葉が同じなのに字が分からない。
何かを手伝うにしても、どうせまた失敗をしてジーグに余計な心配を掛ける事になるだけなので、止めた。
やる事が無いと浮かんで来るのは
過ぎて行く時間。
目覚めないテレストラート。
ジーグの横顔。
無力な自分。
現実感の薄れて行く学校の生活。
戦場の血の臭い。
考えはどんどん、暗い方面へと流されて行く。
振り払うように頭を振ると、耕太は大きく息を吐き、グッと背伸びをした。

直ぐ下の通路を使用人らしき少女と、大きな籠を抱えた若い衛兵がならんで通り過ぎる。
少女の荷物を運ぶのを手伝っているようだが、楽しそうに会話を交わすその姿は
本当の目的がそれでは無い事を伺わせた。
そばかすを顔に散らした、少し鼻の低い少女は決して美人と言う訳ではなかったが
はじける様に笑う姿は、とても輝いていて可愛らしかった。
歩み去る二人を、バルコニーに肘をついて溜息混じりに見送る。

彼女いない歴17年・・・いや、もう18年か?とにかく人生イコールなオレには辛い光景。
「はぁ〜〜〜〜いいなぁ。
 オレ、何でこんなにモテないんだろう・・・。」
「そんな訳ないでしょう?」
思わず口に出して呟いた言葉に、返事が返るとは思わず、驚いて振り向いた先には3人の若い兵が立っていた。
耕太に向け、丁寧な礼を取ると親しげな笑顔で近づいて来る。
その内の2人の顔には、見覚えが有った。確か・・・
「あ・・・君達、確かポートルで・・・。」
「覚えていて下さいましたか、光栄です!!」
数ヶ月前、自由都市ポートルで一緒に酒をのんだ兵達の中にいた顔だ
酒場に誘われ、大騒ぎをしたのだ。何故か後半の記憶は殆んど残っていないのだが・・・。
酒を共に酌み交わした気安さからか、兵達は軽い調子で話しかけてくる。
「テレストラート様なら、それこそ選り取りみどりでしょうに。」
「ああ、でも鉄壁の守護者が付いていますからね。」
「ああ、そうか。」
「敵はもちろん、テレストラート様に言い寄ってくる女も男も、全部追い払っちゃいますからね。ジーグ軍兵長。」
もちろん冗談のつもりだろうが、笑えない。
それとも、本気だろうか・・・どちらにしても、情けない。
「テレストラート様、俺たち今日は非番で、これから花街に繰り出すんですよ。
 一緒にいかがです?」
「馬鹿!お前、何誘ってるんだよ。失礼だろ?」
「いいじゃないか、テレストラート様だって息抜きが必要だって。ね、行きましょうよ。」
「え・・・でも・・・。」
耕太が、怒りもあしらいもせず戸惑う様子に、兵は勢いづく。
「もしかして、花街に行かれた事、無いですか?」
「当たり前だろう!俺達と一緒にするなよ。」
「素晴らしい所ですよ。楽園です。」
「誰か、心に決めた女性がいらっしゃるのですか?」
「居たっていいじゃないか。そんな堅苦しい。人生楽しまないと!」

花街。花街って・・・所謂、フウゾクだよね???
その、女の人と・・・。でも、オレ未成年だし、あッ18だからOK?
っていうか、この世界じゃ成人ってたぶん15,6。
でも、でも、だまって町に出たりしたら、ジーグに何て言われるか・・・
でも、1人って訳じゃないし。近衛兵が3人も一緒だし。
ジーグは忙しくて今日はもう、夜寝る前に様子を見に来るぐらいで
それまでに帰れば、バレッこないし。
良く考えて見ろ、オレってば人の体に間借りしている状態で
もしかしたら、一生この状態かもしれなくて
テレストラートにはジーグって恋人がいて
それって、もしかしたら、一生出来ないかも、しれないの?オレ・・・それはちょっと可愛そ過ぎるだろう・・・・
これは、千載一遇の大チャンスかも!!!?でも・・・・。

「もしかして、女は未経験とか。」
グルグルと頭の中で考えを廻らす耕太に、兵の1人が爆弾を投下する。
不意を衝かれた耕太は、取り繕う事も忘れ真っ赤になる。
冗談のつもりで言った兵の方も耕太の思わぬ反応に驚く。
「えッ!本当ですか!?」
「それは、いかん。」
「男は、女を抱く為に生きてるんですよ!」
「行きましょう!テレストラート様。最高の店へお連れしますから!
 御代の心配は要りません。ガーセンの英雄に俺たち3人が奢ります。心置きなく男になって下さい!ね!!」
あまりの勢いに気おされ、思わず耕太は頷いてしまう。
「そう来なくっちゃ!、アル、お前先に行って店に話つけて来い。
ケチるなよ思い切って『白鷺(しらさぎ)』の、そうだな白蘭(びゃくらん)か桜花(おうか)が良い。」
「任せとけ!」
「テレストラート様、フロスで最高の女をご紹介しますよ!」
「さあ、参りましょう!」
盛り上がる兵たちの勢いに流されるように、耕太は決心の付かぬまま厩へと向かい歩き出した。


そこは、見た事も無い世界だった。
白い石畳が敷かれた真っ直ぐな通りの両側に、柱を多用した開放的な建物が並んでいる。
大きく取られた入り口や窓には戸の代わりに、薄い布が幾重にも重ねられ
柔らかな動きで誘うように風になびいており、布の向こう側を動く人影が薄っすらと浮かび上がっている。
美しい意匠を凝らしたバルコニーには、美しい衣装を身にまとい
あるいは美しい肢体を惜しげも無くさらした女たちが笑顔と鈴の様な笑い声を頭上から振りまく。
昼日中だと言うのに、通りは人で溢れている。
女の腰に手を回した兵士。
酒に酔い、上機嫌で店を物色しているらしい若者達の一群。
道行く男たちに花束を売り歩く少女。
路上で立ち止まった筋骨逞しい男性二人が、愛しげに抱き合い深く口付けを交わしている。
そのまま、2人は薄布の中へと消え
入れ替わるように中から出てきた美しい少年と知的な感じの壮年の男性が
名残惜しげに腕を絡め口付けを交わし別れを告げる。
其処かしこで、開けっぴろげに愛が交わされている。
耕太は通り過ぎてゆくそれらを眼にするのが、恥ずかしくて、それでも目が離せない。

明るく、開放的で、艶やか。
耕太が想像していたような、後ろ暗さや、如何わしさは感じられない。
皆が後ろめたさも無く、楽しげに愛し合う相手を探していた。

フロスの城下には何度も下りた事があったが、こんな所があるなんて全く知らなかった。
見上げた建物の2階で、赤い髪を美しく結い上げた可愛らしい少女が
耕太の視線を捕らえると、甘い笑みをうかべ手を振る。
その服の胸元から覗く白くこぼれそうな胸の膨らみに、耕太は真っ赤になり慌てて視線を外した。
「あの娘が好みですか?テレストラート様」
並んで馬を進める兵の1人が、赤毛の少女に手を振り返しながら、からかう口調で耕太に声を掛ける。
「駄目駄目、テレストラート様にはもっと相応しい極上の女性が待っていますからね。」
あまり煽り立てられると、かえって気後れしてしまう。
事ここに至ってやっと現実感が押し寄せて来た。

オレ・・・これから、するんだよね。女の子と。本当に。
えっと・・・はじめは、どんな風にすれば良いんだ?
緊張して、初めてなのに失敗なんかしない様に、頭の中でシュミレーションを・・・
駄目だ・・・何にも浮かばない・・・兄貴に借りたAVの・・・違う、あれは作り物だから
あんな事したら女の子に引かれる・・・・・
落ち着け!相手はこの道のプロなんだから任せちゃえばいいんだ!
オレ、オレ・・・本当に男になるんだ〜。
テンション上がって来たぞ!!!!!

一行は賑やかな通りを抜け、さらに奥へと進んで行く。
道の両脇から建物は減り、美しく整えられた緑が続く。
時々、緑の中に見え隠れする建物は、立派な貴族の邸宅と言った風情だ。
人通りも疎らで、時折すれ違うのは身分の高そうな男や、いかにも金持ちそうな男
カッチリとお仕着せを身に着けた使用人風の者ばかりで、女性を伴っている人は全くいない。
一体・・・どこに行くんだろう・・・・。もしかして、オレからかわれてるんじゃ・・・。
「着きましたよ。此処です。」
耕太が疑問に思い始めた時、右側の兵がそう告げた。

「ここ・・・?」
耕太は指し示された建物を見上げた。
門の奥に立つその建物は白い石造りの3階建てで、フロスの第2の門の内側に建つ貴族たちの屋敷のようだ。
やはり白く塗られた金属の繊細なデザインの門は内側に向け、誘うように大きく開かれている。
門の内側に広がる前庭は、この屋敷の規模にしては狭い感じがしたが手入れが行き届き、美しく整えられていた。
「来たきた、テレストラート様、こちらです。」
屋敷の中から、先に花街へと向かった兵が駆け出してくる。
「どうだった?」と尋ねる他の兵に、「バッチリ!」と様になった様子で片目を瞑って答える。
その後ろから、お仕着せを来た上品な初老の男と
美しい揃いの服を着た10歳位の可愛らしい少女が2人
ゆっくりとした足取りで彼らの前に歩み寄ると、慇懃な態度で深く腰を折る。
「お待ちしておりました。テレストラート様。」
「馬をお預かりします。どうぞこちらへ。」
テレストラートから、馬の手綱を受け取ると少女の1人にそれを託し
男は屋敷へと耕太をいざなう。もう1人の少女が耕太の手を取り笑顔を向けると
導くように引いた。
「皆は?」
「俺たちは、他に馴染みの娘がいますので、そっちに顔を出さないと。な?」
「頑張って下さい!テレストラート様!」
「後で、話聞かせて下さいね〜」
「馬鹿! 後で、迎えに来ますよ。楽しんで下さい。」
3人に見送られて、耕太は屋敷に足を踏み込んだ。
勇ましく戦って散ってこいと、旗を振り家族に見送られ
戦場に向けて送り出される出兵のシーンが頭の中で繰り広げられ、何か変な感じだった。

少女に手を引かれ、豪華な作りの建物の中を耕太は緊張しながら進んで行く。
「すぐに白蘭が参ります。お寛ぎ下さい。」
階段を上がり案内された入り口の、ドアの替わりに垂らされた薄布を潜って中に入ると
男と少女はそこで恭しく礼を取り、耕太を1人残して立ち去った。
耕太が通されたのは、建物の外観と同じく白を基調に整えられた広々とした二間続きの部屋だった。
一間目は広い空間に柔らかそうな敷物が引かれ、沢山の大きなクッションが其処かしこに置かれている。
中央には低いテーブルが有り、その上には色とりどりの果物や、菓子
ガラス製のグラスや、酒のビンが美しく並べられている。
部屋のあちらこちらに、花が溢れんばかりに飾られていて、その甘い香りが開け放たれた窓から入る風に漂っていた。
薄い布で仕切られた奥のもう一間を覗いて、耕太は慌てて布をめくった手を離した。
そこに有ったのは、豪奢な天幕の張られたキングサイズのベッドだった。
「・・・・・セレブなラブホ・・・。」
思わず言葉が、口をついて出る。
正確には高級娼館。
容姿、知性、品位、そして技術。選りすぐられた女性を揃え、最高の持て成しで
最高の時間を、厳選された客のみを相手に提供する。
この店を使用出来る事自体が、ステータスになり得る。そんな店だ。

耕太は落ちつかなげに、部屋の高い天井を眺めたり
柔らかなクッションをつついたりしていた。
「失礼いたします。」
涼やかな声と共に、部屋に入って来た1人の女性がふわりとその場で膝を付くと深く頭を下げた。
「お相手を仰せつかりました、白蘭と申します。テレストラート様。
 本日は御指名を戴き大変光栄です。」
挨拶を述べ頭を上げた白蘭に、耕太の目は釘付けになった。
柔らかな頬の輪郭
日に透ける様な白い肌
柔らかく波打つ長い金の髪
萌える若草の様な瞳には長い睫が影を落とし少女のようなあどけなさを感じさせる
なのに、その眼差しはけぶる様で、ふっくらと肉感的な唇は艶っぽい笑みを浮かべている。
呆然とただ見つめるだけの耕太に、白蘭は不思議そうに問いかける。
「どうかなさいまして?」
「凄い・・・今まで見た女の人の中で、一番キレイだ・・・・。」
思わず思ったことが口から零れる。
そんな耕太に白蘭は可笑しそうに笑い
「まぁ、テレストラート様。お上手ですのね、本気にしてしまいますわ。
お側にお寄りしても?」
問われて耕太はただガクガクと頷く。
一体どんな構造になっているのか、さっぱり見当のつかない
白く薄い生地のフワフワした服を靡かせて、白蘭が耕太の直ぐ前までやって来る。
その流れるような優美な動き、座る際にふわりと広がった服とサラリと流れる金糸の髪
まるで、本物の天使のようだ。
吸い込まれそうな美しい瞳で、覗き込みながら耳に甘く心地よい声で問う。
「テレストラートさま、何かお召し上がりになりますか?」
今は目の前の白蘭を観賞する事に夢中で、他の事など、どうでも良かった耕太はきっぱりと首を横に振る。
「では、私をお召しになります?」
甘い笑みと共にしっとりと囁かれ、耕太は口の中がカラカラに乾き、ゴクリと唾を飲み込んだ。



「イオク王が国を出ただと?」
突然もたらされたその情報に、ガーセン首脳部は騒然となった。
開戦からこちら、イオクの国王ダイスは公の場に姿を現していない。
まるで安全な殻の中に閉じこもる様に
戦場はもちろん、他国との協定締結の場にも一切現れず
実は既に死亡しているのでは無いかとの憶測も囁かれていた。
その王が自分を守る殻、イオクから単身出て他国に滞在していると言うのである。
ガセか、罠か、真実か。真実であれば、その目的は?

様々な憶測が飛び交う中、対応を決める為
ハセフ王は王都に残る4人の将軍達に緊急の招集をかけた。
そんな中。
「誰か、テレストラートを見なかったか?」
「ジーグ?」
「ゼグス、コータが今、何処にいるか知らないか?」
「いえ、今日は朝に会ったきりですが、どうかしましたか?」
「緊急の事態が起きた。が、コータが何処にも居ない。一体・・・どこに行きやがった?あいつ。」
「中庭では?南塔には居ませんでしたか?」
「両方探した。どちらにも居ない。ゼグス、精霊で探せないか?」
「わかりました。」
ゼグスは風霊を呼び城内をくまなく探すよう、指示を出す。
術に入ったゼグスに側で、ジーグは落ち着かなげにそれを見守っていた。

「コータ・・・一体何処に居る?」



複雑な構造に見えた白蘭の服が、彼女の簡単な一動作だけでストンと綺麗に床に落ちる。
目の前に露になった、白く艶かしい裸体に耕太は感嘆の溜息を洩らし
万感の篭った声で呟いた。

「生きてて良かった・・・。」
(2007.08.08)
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