ACT:41 実情


久々に起こった怪異に、ガーセンは大騒ぎになった。
術による攻撃がやみ、もしかしたらイオクで術を操っている者が死ぬか
何か不都合が生じて、精霊による攻撃が不可能になったのでは無いかという希望的観測はこれで無に帰した事になる。
イオクとの国境近くに現れた、巨大なクラゲのようなそれは
平和な麦畑の上空に、ただ、その透けた身体を漂わせている。
攻撃をして来るでも無く、逃げるでも無くただ浮いているだけだが
そんな得体の知れない物体の下で、畑仕事に励める訳も無い。

「何なんだ?一体・・・。あれもイオクの攻撃なのか?」
「・・・ええ・・・。」
ジーグの問いに答えながら、テレストラートは馬上で眉をしかめた。
上空に浮かぶその物体の正体を探るため、先ほど風霊を飛ばしたテレストラートは
締め付けられるような身体の痛みに苛まれていた。
索敵に使った術はほんの小さな術だ。
いつもの様に戦場に出る前には雪眠草も飲んでいる。
なのに体が軋みを上げている。

前方の物体は確かにイオクの術によるもので、攻撃性は強くないが、近づいた物をその中に取り込み溺死させる。
だが、操られているのは下級の水霊で、それを浄化するのはそれほど難しくは無い。
だが・・・この痛みを抱えたままでは、とてもそれを行えそうに無かった。

今回同行している術師は、テレストラートが居る事もあり、それ程力の強い者はいない。
その程度でも対処できるかもしれない敵のレベルなのだが
生憎、水霊に対抗するための火霊を得意とする者が1人もいなかった。
「ティティー?」
様子がどこかおかしいと気付いたジーグが、後ろから声を掛ける。
テレストラートはそれを手で制し、その場に留まるように指示をする。
術を行う戦場では、身の危険が係わらない限り、テレストラートの指示は絶対だ。
ジーグは精神を集中している為かと、妨げにならぬよう彼の右後方で控える。
そこからは彼の蒼白な顔色は伺うことは出来なかった。
テレストラートはコートの隠しから予備の薬瓶を取り出すと、中身を一気に煽る。

「テレストラート、お前また・・・!」
それを見咎め、ジーグが後方から非難めいた声を上げた。
ジーグが神経質なほど心配するので、最近は彼に見つからないよう隠れて飲んでいたので
ジーグはテレストラートが薬を使い続けている事を知らなかった。
「問題ありません、術に集中したいだけです。念のため、です。」
テレストラートは振り返らずに、言葉だけで釈明し前方の物体に意識を集中する。
薬が効いて来るまで、どのくらいかかるだろう?
それまで、あれが動かないでくれると良いのだけれど。
祈るような気持ちで見つめながら、効率的に浄化する方法を考える
出来れば下の麦畑に影響を与えずに済ませたい。
精霊に課す技を細かく検討するうちに、ようやく身を締め付ける痛みが気にならなくなって来た。
「行きます。」

テレストラートは短い呪文と、微かな指の動きだけで精霊たちに役割を告げる。
花火の様に空に飛び出した数個の火が、浮かぶ物体に向けて弧を描きながら飛び
その中に潜り込むと、クラゲのような物体は内側から弾けて崩れ落ちた。
霧の様に細かく散った水霊は日の光りを受けて、無数の虹を空間に描き出す。
水霊に対し、攻撃を詫び自然界に返るよう願う
火霊に感謝と労いの言葉を送り、術の元から開放する。
術を収め、ホッと息を吐きだし気を抜いた所でテレストラートは眩暈に襲われた。
"まずい"と思った瞬間にはもう意識は闇に飲まれていた。

「テレストラート!」
ぐらりと傾いだ上体を、駆け寄ったジーグが寸での所で掴み止める。
そのまま自分の馬に引きずり上げると、踵を返し周りの兵に「先に戻る」とだけ慌しく告げて走り出した。
驚いた様に眺める兵達を尻目に、混乱を避けるため軍本隊を迂回し宿営地の有る本陣を目指し馬を駆る

いくらも行かない内に、腕の中でテレストラートが身じろぎ目を覚ました。
「ジーグ・・・?」
ジーグに抱えられて走る馬上に居る自分の況が分らないのか、問うように名前を呼ぶ
「ドクターの所へ向かっている。」
短く告げると、驚いた様に目を開いた。
「もう、大丈夫です。少し疲れただけで・・・。」
「黙ってろ。」
「ジーグ、本当に平気です。下ろして下さい。」
テレストラートはうろたえた。今、事を大きくされ薬の入手経路を断たれては
術を使う事が出来なくなってしまう。
「何故そんなに嫌がる?」
「別に、嫌がってなど・・・。」
「とにかく静かにしていろ。」
テレストラートの抗議を無視して、ジーグは馬の腹を蹴った。



「ジーグ!!離してください、ジーグ・・・!」
腕の中で逃れようと暴れるテレストラートを抱え、ジーグは医療用として設けられた天幕に馬を走らせる。
「ドクター!ドクター・ケイル!」
「ジーグ・・・!」
鋭い呼び声にケイルが入り口から顔を出す。
「何だい?騒々しい。」
「ドクター、テレストラートに飲ませている薬は何だ?」
「雪眠草かい?鎮静剤だが。」
「本当に?」
いきなりの質問に返ってきた答えは、テレストラートが述べたものと全く同じだった。
だが、テレストラートの言葉を疑っているジーグは不審そうに聞き返す。
「一体何がどうした。」
「テレストラートが意識を失った。」
ジーグの言葉にケイルが微かに眉をひそめる。
「先生、違います!」
「何時?」
「術を使った直後だ。その前にあの薬を飲んでいた。」
「どのくらい気を失っていた?」
「数分・・・。しかし、あの薬を飲み始めてからこいつの様子はおかしい。」
「とにかく中に入って。」
ケイルに導かれ、ジーグはテレストラートを抱えたまま、天幕の中に入る
ケイルの指示通り、寝台の上にテレストラートを下ろしケイルが診察できるように脇に避けた。

「気分は?」
ケイルの質問にテレストラートは俯いたまま首を横に振る。
その様子を見てから、ケイルはジーグに言う。
「ジーグ、ちょっと外へ出ててくれ。」
「嫌だ、断る。」
「ジーグ、診察の邪魔だ出て行け。」
即答で拒否したジーグに今度ははっきりと命じる。
ジーグよりもケイルのほうが軍での位は上だった。その命に逆らう事は許されない、しかし。
「テレストラートの身の安全に関しては、俺は独自の判断を下す権限を持っている。」
「確かに。戦場ではね。
 ここは戦場では無いよ、ジーグ軍兵長。
 後でちゃんと説明するから、今は席を外してくれ。」
ケイルの有無を言わさぬ言葉に、ジーグは何か言おうとした様だったが、結局何も言わず
難しい顔のまま、足音も荒く出て行った。
「やれやれ・・・。
 さてと、テレストラート殿。酷く痛むの?」
ケイルの再びの問いかけに、テレストラートはまた首を振り俯いたまま、小さく応える。
「今は、痛みはありません。」
「どうなの?状態は。悪いのかい?」
「・・・・・わかりません。」
「どのくらい、飲んでる?」
「薬匙1さじを煎じたものを・・・薬瓶で、今日は2本。」
「そんなに・・・?」
テレストラートの応えに、ケイルが眉をひそめる。
落ちた声のトーンにテレストラートは顔を上げ、言い訳のように言葉を補足する。
「術師は薬に耐性が有ります、一般の人々より影響も出にくいですし、薬のせいではありません。」
「じゃあ、何のせい?」
「・・・・・・・・」
黙り込んだテレストラートに、ケイルは溜息を付く。
「テレストラート殿、君が私に隠し事をするなら・・・」
「先生・・・本当に、分らないんです。確かな事は何も・・・。」
「でも、見当はついているのだろう?」
「・・・・・・・」
「話して。確かでなくても構わないから。私が信用できないかい?」
テレストラートは首をふり、しかし迷うように視線を落とす。
ケイルはテレストラートが話すべきか、決めかね悩んでいるのだと思い、静かに待った。

テレストラートは自分の中に注意を向けていた。
耕太が確かに眠っている事を確認する。
その眠りが更に深くなるように導き、万が一にもこれから話す内容が
彼の心に触れないように、幾重にもガードをはりめぐらす。

小さく息を吐き、テレストラートは視線を上げると、真っ直ぐにケイルの目を見た。

「反魂が、不完全なんです。この体はそう長くはもたない。」
その言葉の意味する重さにケイルは血が下がる気がした。
しかし、それは一体どう言うことだろう?
もちろん反魂などと言う言語道断な技についての知識が医者で有る自分に有る訳ではない。
それでも確かに死んだはずの彼は今、ここにおり
魂を呼び戻すと言うその術は、正しくなされたとは言えないのだろうか
その疑問を読み取ったかのようなタイミングで、テレストラートが自分の言葉に苦笑をもらす。
「完全な反魂など、無いのかも知れませんね。
オーク老は力有る石を使い、私の魂を呼び戻し、この体に封じました。
術を保つ為に、その石と一緒に。
術に使われた"賢者の石"と呼ばれる石は、人に不老不死を与えると言われています。
しかし、その石は人の手で制御出来るような代物では有りません。
その石が私の中で育ち始めている。
術の発動時に影響が出る事から、恐らく私の力を喰らっているのでしょう。
精霊喰いと同じです。不完全な体には2人分の人格も負担になっています。
元々不安定な術の上に私が目覚めてバランスを崩してしまった。
必要時以外はなるべく私の意識と共に力自体を封じ、石の影響を最低限に留めようとはしていますが、
耕太と私の人格を保つ為に使っている力さえ、石は喰らっている。
石の影響が限界を超えれば、この体は人間としての形を保てなくなり、崩壊するでしょう。
後に残るのは、石だけです。」
「・・・・・どう、すればいい・・・」
掠れる声で訊ねたケイルにテレストラートは静かな声で答える。
「最終的には、この体にやどる人格を1つだけにします。
それと共に身に宿る精霊を全て開放し、血に宿る力も封印します。
耕太には何の力も有りません、彼なら石を成長させる事も無く、一生分ぐらいはこの体ももつでしょう。」
「君は、どうなる?」
「先生、私は死んだ人間です。」
静かなその答えに、ケイルは言葉を失う。
悲痛な顔の医師に向かい、テレストラートはまるで慰めるように言葉を続ける。
「大丈夫。まだ、時間はあります。」
「・・・どれくらい?どれくらいもつ?」
「確かな事は分かりません、後、1年か・・・
 その間に、何としてでもこの戦を治めたいのです。」
「それよりも、何かその間に方法を探せないのか?君を救える手段を。」
「私がこの体で目覚めてから10ヶ月余り、時間の許す限り有りとあらゆる書物を洗ってきましたが
手がかりさえも掴めませんでした。
たとえ、これから先の全ての時間を費やしても、何かが見つかる可能性は少ないと思います。
そんな不確実な事に時間を費やすよりは、耕太の為に
私の守るべき村人達の為にも、この戦を終わらせたい。」

「でも、それは・・・確実な事では無いのだろう?」
「ええ。」
「でも、ほぼ間違い無いのだな?」
「はい。」
再び言葉を切るケイルを真っ直ぐに見つめ、テレストラートが問いかける。
「先生。皆に話しますか?」
「君は・・・1人で逝く気なのか?」
その問いに、テレストラートは答えず、ただ静かな瞳でケイルを真っ直ぐに見つめている。
「もう、君は決めてしまっているんだね?」
その問いに、テレストラートは静かに深く頷いた。
それを見て、ケイルは目を閉じ深く息を吐き出す。

「・・・・・セント将軍には、話す。
どんな不測の事態が起きるかもしれないし、後のことも有る。
あの男が知らないでいたら、対策の立てようが無い。
それから、具合の悪い時には隠し立てせず、直ぐに私の所に来るように。
君の負担を少しでも減らす事ができる様に、出来る限りの協力をしよう。」
「ありがとうございます、先生。」
「少し休んで行きなさい。ジーグには過労による貧血だとでも言っておく。
 あの男を騙し続けるのが、一番厄介だぞ。」
その言葉にテレストラートの瞳が一瞬だけ揺らいだ気がした。
「クソッ!君が自分を犠牲にするのを知っていながら、何もできないなんて。
 ハシャイに会わせる顔が無い!」
「ごめんなさい、先生。」

苛立たしげに呟くケイルにテレストラートは小さく詫びた。

(2007.08.03)
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