ACT:28 精霊術


ポートルとの強固な友好関係を築くため、ハセフ王はガーセン正規軍を動かし、自らも戦線に参加しているが、今回の会戦は戦の規模としては小さなもので、相手がイオク軍とは言え、黄金街道の治安を維持する為の盗賊退治の意味合いが強い。
だが物資強奪の為に街道付近に展開していたイオクの軍勢の数は、予想外の多さで
急遽出撃体制を整えたガーセンの軍勢1師団に引けを取らない数だった。
イオクの総人口を考えると、これはすでに有り得ない事だ。
戦いでは明らかに劣勢で有るにもかかわらず、一向に勢力を落とすどころか、数を増しているとしか思えないイオク軍。
まるで叩き潰しても駆逐する事の出来ない、害虫の様だ。

その、有り得ない兵力と蔓延する不気味な噂、終わりの見えない戦いは兵達の士気を徐々に削いでゆく。
戦場でのイオク軍押さえの要と見なされている精霊術師の数が、目に見えて減っている事も、それに拍車をかける。
それでも勇猛果敢で世に名をとどろかせるガーセン正規軍、敵を目前に闘志を急激に高めてゆく。
轟き渉る鬨の声、武具を打ち鳴らす規則的な音、高まってゆく茹だるような緊張の中で
術師達も精神を集中して行く。
「耕太、あなたに危害が及ぶような事は、決して起こりません
何が有っても心を乱さず、出来る限り平静を保つよう努力をお願いします。」
『う・・・うん。分かった』
開戦を目前に、改めて念を押されると緊張するが
ジーグが守護神のように側に居るし、今回はテレストラートがいる。
自分は何もせず、ただ傍観していればいいこの状況は正に他人事。
前回とは桁違いに気が楽だ
すべて見えてはいるが、画面を通している様な現実感の薄いこの状況なら
たぶんそれほど怖い思いはしないですむだろうし
噂に聞くテレストラートの精霊術をそれこそ目の前で見られるということで、ちょっとワクワクさえしている。

テレストラートが術師達に視線と指の動きで何か指示を送り、深く頷き会うと
グイ、セイル2人の長老が静かに呪文を唱え始め、ルイとゼグスがそれに和するように続く。

王の進軍の号令を受け、各隊の指揮官の号令が飛び、弓隊が一斉に矢を放つ
対するイオク軍から低い雄叫びが、地を這うように轟き敵軍からも矢が黒い雨のように放たれる。
風を切って飛ぶ矢の音が空を覆いつくす・・・しかし
術師の紡ぎだした術による壁に阻まれ、軍上空まで届くことなく、全て落下する。
ガーセン軍から飛んだ矢は風に押され勢いを増し、イオク軍の頭上に降り注ぐかと思われたが、やはり唐突に現れた空を覆う魔法陣に触れると、例外なく焼け落ち灰と化す。
弓が役に立たないと見て、両軍が敵に向かってほぼ同時に進軍を開始
あっという間に距離を詰めた両軍は、入り乱れての肉弾戦へと発展する。

テレストラートは1人、術に参加せずに何かを探るようにイオク軍へ視線を注いでいる
「・・・6人、7人・・・術を操っているのは8人、いずれも大した使い手では無いですね。今回も黒幕は出てきていないようです。」
独り言のように小さく呟きため息をつく。

イオク軍は、開戦直後からガーセン側に押されぎみだ。
兵達は普通の人間のようで、ガーセンの兵に切り伏せられると起き上がることは無く
精鋭揃いのガーセン軍にジワジワと押されて行く。
劣勢の自軍を後押しするように、イオク軍の上空に、突如黒い靄のようなものが湧き上がり急速に濃度を増し広がってゆく。
ガーセン軍の上空にまで広がった不自然な黒い雲から、耳を劈くような雷鳴が轟き
空気を引き裂き、辺りを白く染め地に突き刺さる。
すぐに対抗するようにグイ老とセイル老が両手で複雑な印結ぶと
空気中に描き出された複雑な2つの魔方陣から、強い風が吹き出し暗雲を押し戻し始める
そのまま吹き飛ばすかに見えたが、雲から再び放たれた雷が魔方陣に絡みつき
セイル老側の魔方陣を粉々に弾き飛ばした。

そこで始めてテレストラートが小さく呪文を口ずさむ。
流れる言葉に呼応するように、弾き飛ばされ散りぢりになった魔方陣が輝きを取り戻すと再び結びつき、姿を現す。
すかさずグイ老、セイル老そしてルイ、ゼグスが和して呪文を唱えると
魔方陣が暗雲を覆うように広がり、雲を猛烈な風により吹き飛ばした。
戦場の上空に抜けるような青空が戻る。
勢いづくガーセン軍から歓喜の声が上がり、イオク軍は戦列の一部が崩れると堰を切ったように敗走しはじめた。

テレストラートの目を通して一部始終を眺めながら
耕太は少し肩透かしを食らった気分だった。
コーサスで生で目にした精霊術は中々に凄かった
自分が実際に戦場に身を置く状況でさえなければ、さぞ見ものだった事だろうが
ハッキリ言ってあの時は、それどころでは無かった。
今日は一転、何の心配事も無い上
噂に聞くテレストラートが術を使うのを見ることが出来るという事も有り
実を言うとかなり期待していたのだ。
こんな状況を楽しむと言うのも、不謹慎な話かもしれないが
大術師が魔法(とは違うらしいが・・・)を使うのを、目の前で見られるなんて
自分の世界では、当たり前だが有り得ない事だし
自分の現状を、嘆いたところでどうせ状況は変わらないのだから、楽しめるところは楽しんでしまわなければ、割りに合わない!

そんな訳で一大スペクタクルショーを期待していたのだが・・・今ひとつ、想像とは違い地味で、耕太は少しばかりがっかりした。
もちろん、黒雲が湧き出して雷が走ったり
空を飾る蒼い魔方陣は、確かに凄いのだが・・・肝心のテレストラートが他の4人のサポートぐらいしかしないなんて・・・。
もちろん、戦場全体を見て的確に人のフォローをするのは難しい事なのかもしれないけど・・・やっぱり、地味だ。

戦闘を放棄し、逃げ始めたイオクの兵士達を、ガーセン兵たちがその勢いのまま敵地深く追い込みをかける。
イオク側はそれを全く押しとどめようともせず、完全に戦意を喪失しているようで
既に戦況は決してしまったかのように見えた。

「何か・・・おかしい。」
テレストラートが呟き、落ち着かない様子で違和感の原因を探るように目を凝らす
「兵を、撤退させて下さい。」
呟くように洩らされたテレストラートの言葉が終わらないうちに
視線の先の前線で、突如ガーセン軍の騎兵の馬達が足を取られたかのように、次々と倒れてゆく。もがく馬体は、主を振り落としそのまま何かに引きずられるように、大地に飲まれて行く。
混乱は急速に広がって行った。
イオク軍の陣地に踏み込んだものから、被害は徐々にガーセン陣地へと近づいてくる。
「一体・・・何が・・・。」
まるで突如、地面が底なし沼にでも姿を変えてしまったかのような光景
しかし、イオクの兵達は混乱する敵兵を他所に、大地の上にしっかりと足をついて立ち
身動きの取れなくなった兵達の側を撤退して行く。
と、ガーセンの兵を、軍馬を飲み込んだ土の中から這い出すように、何かがゆっくりと立ち上がる。
ここにも、あそこにも、次々と数え切れないほどの"人影"が。
それは土と見分けがつかない肌をして、しかし頭も手も足も人の形を持った
出来の悪い土人形にようだった。

続々と這い出る、出来の悪いオブジェのような土人形たち。
生き物のように滑らかな動きで立ち上がる。
しかしその後は、まるでただの人形だとでも言うかのように、そのまま動きを止めた。
戦場を重い緊張感と不気味な沈黙が埋めてゆく。
ガーセンの兵たちはその不気味な光景に息を呑み、敵の出方を伺っている
が、何も起こらない。

「は・・・こけおどしか?木偶が!馬鹿にしやがって!!」
一人の兵士が沈黙を破り叫ぶと、剣を振りかざし立ち尽くす土人形に向かって切り付けた。
それを合図に、様子を伺っていた兵たちが一斉に土人形を崩しにかかる
人形たちは攻撃を防ぐ訳でもなく、硬く頑丈なわけでもなく
剣や槍どころか、素手でさえ容易く貫く事が出来た

だが・・・
「ぬ・・・抜けない!?」
泥沼に棒を突き刺すかのように、容易く貫くことのできた体から得物を引き抜こうとすると、1mmたりとも引き抜くことが出来ない。
どころか、渾身の力を込めて引き抜こうとしているにも拘らず、少しずつ深くのめり込んでゆく。
剣の刃が、柄が飲み込まれ、それを握る手までもが土の中に入り込む。
ふと土人形に目をやった兵士は、深々と貫いているはずの剣の切っ先が、人形の向こう側に突き抜けていない事に気づき、愕然とする。
明らかに、人形に収まりきる長さではない。にも拘らず、人形の背面にはひび割れ一つ無い。
まるで、剣そのものを飲み込んでしまったかのように。
慌てて手を離そうとした兵士は、しかし逆に人形に強く押し付けられる。
今まで、微動だにせずただ立っていた人形たちが、その腕を上げ、兵たちを抱え込んだのだ。
慌ててもがく兵士達、その身体は徐々に人形の中へと飲み込まれてゆく。

どんなに力を入れても、引き抜くことが適わず、もろそうなその身体を突き崩そうと拳をその顔面めがけて思い切り突き入れた。
殆ど抵抗も無く、顔にのめりこんだ腕はその勢いのまま二の腕までも入り込んだが
剣と同じく、その先は頭の後ろから突き抜ける事は無かった。
言いようの無い恐怖に、兵士が絶叫する。
戦場のあちらこちらで、兵たちが泥人形から逃れようと半狂乱になり、あたりは混乱の坩堝と化す。
どんなにもがいても、離れることが出来ず、やがて恐怖の声さえも飲み込んで
後には人形だけが不気味に立ち尽くしている。
いや、人形たちは次の獲物を求めて、ゆっくりと手を伸ばし始めた。

中途半端に地面に飲み込まれたまま、身動きの取れない兵たちに静かに手を伸ばし
手近に標的を捉えられなかった物は、新たな獲物を求め前へ歩み始めた。
王の出した撤退命令は既に意味を成さず
ゆっくりとした歩みの土人形に追われる形で、ガーセン軍は混乱しながら後退する。
反撃を試みた何人かの男達が、消えた兵達と同じ運命を辿る。

パニック状態で逃げ出す人々の中、何とか秩序を取り戻そうとどやしつける指揮官達の声も人波に押し流される。
混乱状態の軍の中、ハセフ王は帰還を進言するセント将軍を煩そうに手で払い
苦い顔で敵軍を睨みつけている。

ルイスは王をおいて混乱の中1人ででも逃げ出すのと、それとも将軍が守る王の元に共にいるのと、どちらがより安全か図りかね、取り乱し、その派手な衣装に負けないぐらい、大きな顔を真っ赤に染めて、意味不明の言葉を喚き散らしている。

テレストラートは王の側にあり。
先程、兵の撤退を進言してからすぐに瞳を閉じ、小さく言葉を紡ぎながら微動だにしていない。
ゼグスたちも初めはテレストラートに和するように言葉を紡いでいたが、途中でついてゆけなくなり今はただ呆然と状況を見守っている。
ジーグを初めとする術師の護衛たちは、混乱する軍の中で術師達が暴走する自軍の兵達に巻き込まれる事の無いよう油断無く構えている。

耕太は今すぐ走って逃げ出したいほど恐ろしかった。
テレストラートが瞳を閉じているというのに、何が起こっているのか全て、何故か分かるのだ
それも、まるで手に取るように。
『うわぁあああああ〜こっち来る、こっちに来る〜
 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!!
 展開が地味だなんて、言いません。平和でいいです!平和が一番です
こんな盛り上がりなんていりませんから、来ないで〜〜〜〜〜。』
「耕太。落ち着いて。」
テレストラートの落ち着いた声がハッキリ聞こえた。
彼が目を開くと、耳が聞こえないのかと錯覚するほどに騒がしかった周囲の音が、スーッと離れていくような気がした。
テレストラートの体が薄く発光しているように見える。
彼は指示を仰ぐように、ゆっくりと王へと視線を向ける。
王がその視線を受けて深く頷く。
テレストラートは視線を前方へ戻すと、右手を挙げ空に幾つかの印章を描き短く言葉を紡いだ。
それだけだった。

突如、空気が弾けた。
そんな感じがした。
大きな音がしたのか、閃光が弾けたのか、何かに打たれたのか
上手く言葉には出来ない感覚では有ったが、何かの衝撃があってその場に居たもの全てが驚いて一瞬動きを止めた。
呆けたように互いに顔を見合わせ、徐々に通常の感覚が戻ってくる。
そこには既に混乱は跡形も無かった。

それと時を同じくして、進み来る土人形の前に大地が盛り上がり
あっという間に巨大な土の壁が現れ、行く手を阻む。
しかし、土人形は歩みを止めることなく、壁など無いかのようにそのまま進んだ
土人形の体は何の抵抗も無く壁にのめり込むと、通り抜けたかの様に反対側から、その姿を現す。
すると今度は地を割って氷がせり上がり、壁を抜けようとしていた土人形もろとも壁の表面を氷で覆いつくし、人形は動きを止めた。

耕太は自分が感じる感覚に、鳥肌が立つ思いだった。

全てが、遠く切り離されたようで
それでいて、そこで起こっている全てのことが理解できた
神経が戦場全体に広がっているような・・・
まるで全てが自分の手のひらの上で展開されているような感覚
これは・・・人間の感覚じゃない・・・。
圧倒的な力。

ごく、短い言葉で全てを制して行く。
継ぐ言葉で壁の向こう側が炎に包まれる。
土に取り込まれ、逃げる事の出来なかった兵士達が炎に巻かれ恐怖の声を上げる。
しかし、精霊の炎は人を傷付けることなく人形だけを焼き、炎の中でボロボロと形を崩し、崩れ去り、灰に変えてゆく。
地面を覆いつくした灰の中から、一際大きな人影が立ち上がり人々は息を飲む。
しかし、それは炎の中ですぐに形を崩し、中から姿を現したのは光で形作られた大蛇だった。
巨大な光の蛇は長大な体をくねらせると、炎を避けるように大地の中へとその体を滑り込ませ、消えた。

同時に、氷で覆われた土の壁が音も無く崩れ落ち、巻き起こった風に吹かれて一瞬で炎も消えうせる。
ガーセン軍の前に広がるのは何事もなかったような大地。
そこには数名の取り残された兵士達が呆然と座り込んでいたが、大地に、人形に飲み込まれた人馬は跡形も無く消えていた。
その向こうには展開するイオクの軍勢。
全てが、ほんの数瞬の出来事。

ガーセン軍から天を裂くほどの歓声が沸きあがり、それに押されるようにイオク軍が逃げ始める。王の号令の元、逃すものかとガーセン軍がすかさず特攻を開始する。
すでに勝敗は決していた。

大きく息を吐き、ジーグを探すように流したテレストラートの視線が
状況に置いていかれたように、呆然と大口を開けたまま戦地を見つめるルイスの視線とぶつかった。
テレストラートは愛想良く微笑みを作ると声をかける。
「ご期待に添えましたでしょうか?ルイス・ロイス様」
「テレストラート殿!」
驚くほどの大きな声で叫ぶと、呆けた顔を一瞬で満面の笑みに切り替え
ルイスは馬をぶつけそうな勢いでこちらに突進してきた。
「いやぁ、すばらしい、実にすばらしい!
 噂は本当でした、いや、噂以上ですな。醸し出す空気から違うと、一目見た時から思っておったのですよ。いや、実に素晴らしい!
 この目で見てもまだ信じられんぐらいですよ、孫の代まで語り草です、今日参加させていただいて実に光栄だ!ガーセンが天下を取るのは間違いないですな。
ポートルも大いに協力させていただきますよ。テレストラート殿、困った事が有ったら何でもこのルイスに言って下さい。遠慮はいりませんよ、もちろん個人的な事でもかまいませんからね。」
開戦前とは別人のように、手放しで褒めちぎる商人の変わり身の早さにテレストラートは呆気に取られ、ジーグは苦い顔をする。
「ポートルへおいでの際は、是非、我が家にご滞在下さい。最高のおもてなしをご用意させていただきますからね。」
打算と下心に彩られた誘いを、抱きつかんばかりの勢いでまくし立てるルイスはダーシス将軍が引きずるように引き離すまで、テレストラートの側を離れようとしなかった。

「あんの、イボ蛙―――――!調子に乗りやがって、今度近づきやがったら皮引ん剥いてやる!」
『あいつ絶対下心が有るよ、いやらしい目でテレストラートの事見てさ!キモイんだよひき蛙!!!』
内・外2重奏の罵倒に、テレストラートはこ困ったように苦笑した。

(2007.05.18)
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