ACT:27 開戦


なだらかに下る丘の斜面を埋め尽くす人々が身につけた金属性の兜や槍の穂先が、
強い日差しを反射して目を射る。
人々の交わす言葉、武具のぶつかり合う鈍い音、馬たちのいななき
それらの音が混ざり合い、重く人々の間を埋め尽くす。
緊張と高揚。戦場に漂う独特の空気。

耕太はそれらに馴染めなかったが、今日は夢と分かって見る夢のような
気楽な気持ちでそれらに臨んでいる。
テレストラートの目を通して。
前回の奇襲を踏まえてか、軍と別行動を取らず、王のそば近くで専任の兵に守られ参戦する術師は前回と違い驚くほどに少ない。
それはテレストラートがハセフ王に申し出た事だった。

コーサスでの戦いで勝利は収めたものの、ガーセン軍にも少なからずダメージを受けての終戦直後
全ての兵が未だ王都フロスに戻りきらないこの時期に、次の出兵が急遽決定した。

今まで中立を表明し続けていた、自由都市ポートル。
食料、金属、宝飾品、布、武器、家畜、高価な薬や、呪いや快楽、そして人。
金さえ有れば、およそ手に入らないものなど何も無いと言うほど、自由な貿易により栄えたこの都市国家は、商人の代表による議会に統治され
戦さえ、商売の格好の機会と捉え決して片方に加担することなく
分け隔てなく双方に物資を流し、その力を増していった。

また、周辺諸国もポートルの機嫌をそこね、物資の供給を止められようものなら
たちまち、自国の進退に関わりかねないダメージを被ることが分かっているので
『ポートルは中立、そして不可侵』は暗黙の了解だった。
しかし、そのポートルの商隊が立て続けに襲われた。
もちろん、国レベルとは関係なく盗賊の類に襲われることは有る。
特に世情が荒れているこの頃では、日常茶飯事といってもよい位の頻度でそれは起こり
当然、ポートル側でも自衛手段として独自に兵や腕利きの傭兵を雇い入れ警備には余念が無い。
ところが、この護衛が全く役に立たない化け物どもに商隊が襲われることが立て続けに起こった。

商隊の襲われた場所、妖しい術を使う術師、斬り付けても死なない化け物たち
それらの情報から、商隊を襲っているのはイオク軍、もしくはイオク関係のものとみなしポートルは報復として、直ちにイオクに対する物資の流通を完全に停止した。
もともとイオクは物資の乏しい国。
交易が断たれれば自滅するのは時間の問題と思われた、
しかし、それはイオクによる襲撃の数を爆発的に増やす結果となった。
被害地域は拡大し、物資のみならず人までもが消え始める。
殺されるのではなく、商隊が丸ごと跡形も無く消えうせるのである。

イオクの飼っている化け物が、人々を丸呑みにするのだとか
イオクでは人の肉を喰うのだとか
さらわれた人々が呪いを受け、化け物になり人を襲うのだ
とか言った噂の数々がまことしやかに語られ、ポートルに暗い影を落とした。
しかし、金で全てを手中に収めてきたポートルも、イオクに対抗するための手段を手に入れる事が出来ず、
イオクと対等に渡り合う手段を持つというガーセンに、同盟の締結を申し出てきた。
自国に圧倒的に有利な盟約しか結ぶことの無いポートルが提示したとは思えないほど、その内容はガーセンにとっても、かなり有益なもので、それはそのままポートルの状況の深刻さを伺わせたが、
ガーセン側もその同盟関係は、多少の無理を押してでも、手に入れたいものでも有った。

大陸を横断する流通の要・黄金街道。
それはルクス海からガーセンとヌイの国境地帯を通りイオクの脇をかすめポートルを通り荒地を通ってヨーク海に至る。
この街道に展開するイオク軍を一掃するため、帰還した兵たちに、すぐさま派兵が告げられる。
慌しく出兵準備の進むフロスで、王に呼び出されたテレストラートは
数人の術師を伴い王と謁見し、出兵に際し条件を出した。
「この度の戦に参加する人員は、私と長老からグイルリンガーとセイルトア。
ルーイノリス・・・」
『テレストラート様。』
淡々と名を告げるテレストラートの耳元に、ゼグスが微かな囁きを風に乗せて届ける。
テレストラートは一瞬、考えるように言葉を止めたがすぐに続ける
「・・・そしてゼーロングス。
 人数的には少ないですが、フロスを奪還した時の戦力とほぼ同じ、問題は無いはずです。
長の戦で術師たちの状態は良くは有りません。
不安定な術者を戦線に加えても、戦力とならないだけでなく術を乱しかねません。
コーサスの戦いで負傷したものをはじめ、戦に耐えうる状態にない者が現段階で13名。
彼らを村へ帰還させて下さい。他の者にも一定期間の休息を。
そのぶんの穴埋めは、私が長の責任の元に致します。
前王との契約通り、自らの意思によらずに我が村の者に参戦を強いる事はなさらないとのお約束を頂けますよう。」
玉座に座るハセフ王は、王という責任故か、先行きの見通せない戦況ゆえか
わずかに痩せ、その目に鋭さが増し、耕太が以前小屋で謁見した時よりもさらに威厳に満ちていて、耕太など思わずひれ伏してしまいそうな迫力だ。
そのハセフを前に、テレストラートは表面上は恭しい態度を崩すことは無いが
全く臆することなく相対し
術師の現状と要求を、全く譲歩の余地さえもなく突きつけてゆく。
それは、長として人の上に立つ責を負うものの態度だった。

自分と同じ年で村の長というのも驚きなのに、
この断固として揺ぎ無い態度と、全ての責は自らが負うと言い切る実力と自信。
いくら一族の代表とは言え、小さな村の長が大国の王を前にこれほどまでに堂々と渉り合えるものだろうか?
生徒会長どころか級長すらした事の無い耕太には、想像も出来ない事だ。

謁見の前後も、テレストラートは膨大な量の仕事を超人的な速さでこなしてゆく
与えられた情報を分析・判断決断を下し指示を出す。
その流れるような仕事っぷりは、正に圧巻で、とても人間業とは思えない。
その上、その殺人的な仕事の合間を縫って様々な書物を当たり、異世界や魂、古の呪術など、今の現状を打開する為の糸口を探る為の調べ物までしているのだから信じられない。

それは以前、耕太が人伝に聞き、そんな人間の代わりなんて出来ないと憤った
完璧なテレストラートそのものだった。
しかし、今の耕太はテレストラートが決して完璧な人間などでは無い事も知っている。
テレストラートの心の中に垣間見た深い闇。
重圧・不安そして孤独
テレストラートの中に感じたそれらは、余りにも深く
耕太にはとても直視する事が出来ずほんの一部を除き見たに過ぎなかったが
あんな物を胸に押し込め、全く表に出す事もせず
どうやったら生きて行けるのか
耕太には不思議で仕方なかったし
痛々しくて仕方なかった。

『テレストラート。区切りがついたなら、少し休んだら?
 根を詰めると体に悪いよ。気分転換に散歩でも行かない?』
ほうっておけば際限なく仕事に没頭しそうなテレストラートに、だから耕太は雑事の合間に声をかけた。
「いえ・・・まだ・・・」
テレストラートはそう言って言葉を切ると少し考えてから言葉を続けた。
「そう・・・ですね。耕太、行きたい所が有るんです、付き合っていただけますか?」

テレストラートが耕太だけを伴に訪れたのは、城の裏手に有る四角い建物。
大きいが簡素な外観の白い石材で建てられたその建物の、大きな扉を通りぬけると
中はがらんとした、奥へと長い広間で、凝った彫刻を施した白い石の柱だけが、奥へ誘うように規則的に並んでいる。
中には人影も無く、天窓から差し込む午後の光が白い室内に満ちて
静謐で神秘的な雰囲気を醸し出していた。
「ここは王族の霊廟です。」
寂しいほどに何も無い広間をゆっくりと奥に進みながらテレストラートが説明する。
『墓場って事?』
答える耕太の言葉に含まれる、恐れを感じ取りテレストラートは優しく微笑むと言葉を継ぐ。
「ご遺体がここに眠る訳では有りません。墓所はテセ山の中に別に有ります。
 ここは王族の魂を祀る為の場所です。」
『神殿みたいなもの?』
「そうです。王族たちは死後、神となってここに留まりガーセンを守ってゆくと言われています。」
広間の再奥には巨大な玉座が据えられているが、そこに座すものは居ない。
空の玉座の裏側に豪奢な象嵌を施した扉があり、テレストラートはそっと押し開くと静かに中へと入ってゆく。

扉の中は、やはり白を基調に豪華な装飾で整えられた部屋で、溢れんばかりの白い花で飾り立てられている。
その部屋の中央に据えられているのは、やはり白い石で作られた長方形の大きな箱
―――――棺だ。
『墓じゃないって言ったのに〜』
棺の蓋は固く閉ざされ、中を覗ける窓が有るわけでも無く
蓋も人が1人ではとても開けることは出来ないであろう、重々しい造りでは有ったが
やはり死体が中に入っていると思うだけで良い気分はしない。
耕太は生まれてこの方、身近に葬式さえも経験した事が無かった。
この世界に来て、あまりの死の身近さに過敏にならざるをえない。
「ハシャイ様です。」
耕太に説明する為か、テレストラートはゆっくりと棺に近づきながら言う
「ハシャイ王の本葬はまだ執り行われていませんので、それまでは墓所ではなくこちらに安置されています。」
テレストラートは王の棺の近くまで来ると跪き、祈るように両の手を組む
「ハシャイ様・・・我が君。ハシャイ・ゼル・ゴーダ・・・・・・・」
それから後、歌うように紡がれる言葉は耕太には意味が判らなかったが
古の言葉で静かに告げら、広い部屋の中にゆっくりと広がってゆく柔らかな言葉が
王の死を悼む祈りの言葉なのだという事は理解できた。
言葉自体が力を持つという古の言葉・・・。
美しい旋律を刻む言葉に耕太もよりそうように耳を傾ける。
静かな音の流れがいつしか止まっても、しばらくその余韻に浸るように2人は黙ってその場に跪いていた。

「・・・・・ありがとうございました。」
しばしの沈黙の後、テレストラートは小さく息を吐き出すと礼を言いながら立ち上がる。
『いや・・・うん。どんな人だった?』
「ハシャイ王ですか?・・・そうですね・・・。」
少し考えるように言葉を切る。
「自信家で、強引で、横柄で、口が悪く、他人の都合など気にせず
 敵に容赦がなく、目的の為に手段を選ばず。
 女性が好きで、お酒が好きで、派手好きで、お祭り好き、時に子供のようで・・・」
『ちょっと・・・それって・・・。』
指折り数えながら並べ立てるられる王を称える言葉とは、とても思えない形容の数々に
耕太が面食らう。
耕太の反応にか、それとも何かを思い出したのか
テレストラートは可笑しそうに小さく笑い声を洩らし、続ける。
「・・・太陽のように人を惹きつけてやまない、だれよりも自国と民を愛する、偉大な王でした。」
最後の言葉に込められた思いの重さに、耕太は再び面食らう。

『好きだった?王様の事。』
「ハシャイ様を?・・・そんな風には・・・。考えた事が有りませんでしたね。」
考えるようにかすかに首をかしげて、花々に覆われた王の棺に目を向ける。

「彼はこの国の支配者で・・・私は、村を守るために。
 自分の村の将来だけを考えて、ハシャイ様に忠誠を誓い契約を交わしました。
 王はそれが目的で村にやって来たはずですが、 私の選択に酷く腹を立てていらっしゃる様子で・・・。
 何を考えているのか、私にはいまだに理解できません。」
 
ハシャイ王の事を語るうち、テレストラートの心が悲しみに痛むでも無く
懐かしさに浸るでもなく、静かに凪いで行くのを感じ
耕太は少し不思議に思う。
その疑問を感じ取ったのか、テレストラートは苦い笑みを浮かべながら答える。
「おかしな感情の動きをするでしょう?術師は強い感情を抑えるように幼い頃から訓練されるのです。
そうしないと、咄嗟の怒りで山を焼いてしまったり、悲しみで人を吹き飛ばしてしまったりしては大変でしょう?」
そう言えば、前にもそんな話を聞いた気がする。
強い感情に精霊たちが勝手に感応して暴走してしまうのだと・・・。
テレストラートほどの力を持っていれば、それはシャレではすまないのだろう。
でも、強い力故に泣いたり、怒ったり出来ないのは人間としてとっても疲れそうだ。
テレストラートの心がいま凪いでいるのは、強い感情を押し殺しているせいなのだとしたら、それは辛いだろう。
『テレストラート、泣いてもいいよ。』
「え・・・?」
『ほら、こここんなに広いし誰も居ないし。オレさ、誰にも言わないからさ
 人間、泣きたい時は思いっきり泣いた方が絶対良いと思うよ。
 すっきりするって言うかさ・・・。うん。』
耕太の言葉にテレストラートの心に小さな小波が起きた気がしたがすぐに消えうせた。
「ありがとうございます、耕太。」
微笑を浮かべたまま、視線を棺に戻す。
「自分が死んだ事で私が泣いたりしたら、ハシャイ様はきっと酷く怒ります。
 そういう方でしたから。
 もうそろそろ戻りましょうか。こんな所に付き合わせてしまって、申しわけ有りませんでした。」


底の無いような、悲しみ・不安・重圧・孤独
それらの上に"平静"の蓋をしてその上に立っている。その危うさ。
回りの大人たちは、それに誰も気付きもせず
彼の能力と、彼が作り上げた"長"としての完璧な仮面だけを見てテレストラートを頼るのだ。彼が必死でバランスを保ちながら立っている事も知らず。
自分だってテレストラートの心の片隅を覗き込まなければ、気付きはしなかったろう。
でも・・・それはとっても辛い事のように思える。

いや・・・気付いている者も居る。少なくともジーグは知っている。
だからジーグはテレストラートの側に常に有ろうとするし、心配もしている。
テレストラートにもジーグの存在は無くてはならないものなんだろう
深く暗い孤独の中で・・・最後の希望の光みたいに。



「何だね?これは」
展開する軍の中心部で恰幅の良い1人の男が、あたりをはばかる事も無く大声で不平を喚き散らしている。
「ガーセン自慢の術師とやらは、たったこれだけかね?ヒューロンに出した援軍では30人もの術師をつぎ込んだそうじゃないか。これはどういう事だね!」
男は自由都市ポートルの議会に属する有力者の1人ルイス・ロイス。
正規の軍を持たないポートルの代表として今回の戦を見物に来ている。
ルイスは声も顔も体も大きな50代の男で、大きな体はポートル産の小柄な馬の上で余計に大きく見え、大作りは目や口が蛙を思わせる。
髪を奇妙な形に高く結い上げ、何の役に立つのか不明な小さな帽子が留め付けられている。
その身を包む、たっぷりとした仕立ての服は、大陸では貴重な貝から取れる染料で鮮やかな緋色に染められている。
その姿は戦場に有って、標的はここだと!言わんばかりの目立ちようだ。

「たったの5人だと!!ハセフ王は我らとの盟約を軽視しているのでは無いのか?」
ルイスは炎天下の戦場に自分がいるという待遇に不満が有るようで、緋色の衣を汗で暗く染めながら先程から、何かと文句を付け続けていた。
そこへ要の術師が5人しか参戦しない事を知り、イライラは頂点に達したらしい。
「その様な事は有りません、ルイス殿。ここに居る術師はいずれも屈指の実力を持つ精鋭ばかり。」
ルイスの相手を不本意ながら任される事となった、十将軍の中では最も年若いダーシスは
この男の口に石を突っ込み黙らせたいという欲求を、鉄の自制心で抑えながら告げる。
ダーシスを良く知る腹心達は、正確に上官の心情を読み取り、場の空気は緊迫してゆく。
しかしルイスはそんな事には気付かず、もしくは気にもせず、顔をしかめ、まくし立てる。
「精鋭?あれが?年寄りと子供ばかりじゃないか!」
ルイスは馬首を廻らせると術師達に近寄るなり、テレストラートを不躾にじろじろと見ると大げさに肩をすくめて見せた。
「はぁ〜屈指の実力者ねぇ。私はまた、王が連れてきた稚児かと思いましたよ。
 綺麗な顔以外にも立派な実力が有ると良いんですがな。」
これ見よがしな嫌味に、ジーグが前へ出ようとするのをテレストラートが目で制す。
「ルイス殿、言葉が過ぎますぞ。彼はテレストラート・ロサウ・トゥール
 術師を統べる長です。」
ダーシスが不機嫌も顕に間に割って入り、ルイスの馬の轡をつかむと引き離しに掛かる。
テレストラートは穏やかな表情のまま、ルイスに目礼する。
術師達の中で最も年若いと見て、からかう対象に選んだルイスはさすがに驚いた様子で
決まり悪そうに首をすくめた。
テレストラートの動じない態度にも多少気おされたようだが
「ガーセンの精霊術師の実力がウワサ通りだと良いがね。」
と、さらに捨てゼリフを吐きながら、その場を離れる。
後に従うダーシスの背中が怒りに強張り、彼の腹心達が緊迫した空気を背負ったまま付き従うのを気の毒に思いながら見送っていると、毒づく声が聞こえる。
『嫌な奴!蛙野郎!!』
「イオクの矢に当たりやがれ、爬虫類が!」
内と外からの内容の似たセリフに、テレストラートが思わず笑いを洩らす。
『バカにされたんだよ!』
「笑い事じゃない!」
「・・・・・すみません。」
再び同時に発せられた苦情に、テレストラートは笑いを押し殺しながら謝った。

前線から鬨の声が響き渡り、全軍に広がってゆく。
各部隊の指揮官が走り回り、緊張が高まってゆく。
テレストラートは術師達を見回し、ジーグと目を会わせ小さく頷くと大きく息を吐きだし呟いた。
「行きます。」

(2007.05.13)
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